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思いわずらうことなく愉しく生きよ
思いわずらうことなく愉しく生きられるようになったのは、つい最近のことだ。
ストレスのある仕事をしているわけでもなく、経済的にもどうにかなり、毎日がしあわせだ。たぶんそれは年を重ねたからかもしれない。少なくなっていく残り時間を大切にしていきたいと毎日を過ごしているから。
だけど彼女たちは、これが家訓であるため幼いときからそういう姿勢であったのだと思う。すごいな。
思いわずらうことなく愉しく生きよ 江國香織
犬山家の三姉妹、長女の麻子は結婚7年目。DVをめぐり複雑な夫婦関係にある。次女・治子は、仕事にも恋にも意志を貫く外資系企業のキャリア。余計な幻想を抱かない三女の育子は、友情と肉体が他者との接点。三人三様問題を抱えているものの、ともに育った家での時間と記憶は、彼女たちをのびやかにする。
麻子のスーパーマーケットでお買い物をするしあわせや、夫の帰りを待つしあわせ、知っている。「悪いのは私」感も、夫の甘えもあるあるだ。
治子の「抗えない身体」という正直さや、一緒に暮らしている彼をまっすぐに愛し、別れも潔く、いいなと思う。
育子の家族を大切にすることも、恋愛に意味を見出せなく、友情とセックスが同義なことも、わかってしまう部分がある。
私は彼女たちを知っているし、かつて彼女たちだったしたぶん、今もだ。
だって、私ものびやかすぎる。
『私たちはのびやかすぎる。ずーっとそうだったんだもん』『のびやかすぎるもの時としてたぶん迷惑なのだ』
江國香織さんは、この小説を健全さとは何か、をめぐる物語と書いている。それぞれが健全だ、と主張すれば、そうだと思うし、多様性かもしれない。
女性は健全で、のびやかで思いわずらうことなく愉しく生きている。
心と身体がすこやかで、偏らない、正直に健全にのびやかに生きる、というのは案外難しいのかもしれない。
(再読)