「こうあるべき」ではなく「ありたい」ように
嫌なことがあるとなんでこうなっちゃったんだろう、どうしてあの人はこんなことするんだろうって思う時があります。
そう考える時は大抵何事も上手くいかず、弱っている心にさらに追い討ちをかけられているようで負の連鎖となり一層辛くなります。
その負の連鎖から抜け出したい、抜け出したい、と
もがくけど中々抜け出せず苦しむ時間って本当に辛いですよね。
でもふと、頭の中がクリアになる時が来ます。
クリアになるきっかけはきっと人それぞれで、泣いたり怒ったり溜まった感情を表現できた時だったり、人に話して感情を整理できた時、好きなことをしてストレスが発散できた時、綺麗な景色を見て心が癒された時。
心がふっと穏やかになり冷静になった時、またゆっくり考えると
苦しくなっているときは決まって何かを責めている時だなーと感じます。
なんで自分はこんなにダメなんだ、他の人はできているのに、こんなはずじゃないのにと自責の念に苛まれ
なんであの人はこうしてくれないんだろう、周りのこと考えてくれないんだろうと相手のことを責めて
「こうあるべきだ」って思いに囚われすぎて、色んなものを責める気持ちになってしまうんだろうなーと。
責めたくなることがあってもいいと思うんです、心が前を向けない時って絶対にあります。
でも、ずっと責め続けていても何も変わらないですよね。
そんな時私は「ありたい」自分を考えます。
出来ないことに対して嫌だと思った自分を受け入れ、
できる様になりたいのか、できる様になりたいなら何をすればできるのか・・・
先のことを考えすぎると出来ないかもしれないという思いに苛まれてまた負の連鎖に逆戻りなので、まずは今出来ることをやってみよう。それでダメならまたその時に考えればいい。と一旦思考をストップします。
厄介なのが責める対象が相手の場合ですよね。
人は中々変わりません、自分も含めて。
ただそれが分かっていれば、相手に変わってほしいだなんて無理難題だということも分かります。
それなら、そのために自分ができることをすればいいだけだと思うんです。
関係が深い人なら自分の気持ちを伝えて話し合うのもひとつ
関係が浅い人ならしょうがない、と諦めて適度な距離をとるのもひとつ
自分の心が楽になるようにできることをまずしてみよう、って思うと少し楽になる気がします。
感情って本当に厄介ですが、上手く付き合っていきたいものですね。