私の考える「エンジョイ」と「ガチ」~オンラインゲームの楽しみ方~
弁論をしたくなったので筆を執った。
乱文、散文失礼する。
少々強い表現があるかもしれないのでご容赦願いたい。
1. 嫌いな言葉
私は「エンジョイ勢、ガチ勢」という言葉が大の嫌いである。
ここで勘違いしないでほしいのはエンジョイ勢の存在自体は否定していないことだ。「エンジョイ勢、ガチ勢」という「言葉」が大嫌いなのである。
なぜ嫌いなのか?それは「乱暴すぎる言葉だから」である。
人間が十人十色というのは公然の事実である。人によって性格が異なるし考え方も違う。それならば、人によって楽しみ方が異なるのも当然の話だ。「それを分けるのが『エンジョイ勢、ガチ勢』って言葉でしょ?」という意見が飛んできそうだ。しかし、ことはそう単純ではないのである。
2. 具体例
例えば、ここに二人のエンジョイ勢がいたとしよう。仮にA君とB君としようか。一見、二人ともエンジョイ勢だし二人とも楽しい時間を過ごせそうである。
しかし、もしA君が「ゲームそのもの、対戦を楽しみたいエンジョイ勢」でB君が「ゲームしながら雑談するなどの緩い時間を楽しみたいエンジョイ勢」だった場合はどうだろう。A君はゲームに集中したいが、B君はそうじゃないので当然話しかけまくる。うまくいかないのだ。
したがって、どっちかが気を使う必要が出てくるのはすぐにわかる。気を使う時間は当然楽しくないので、どっちかが楽しくない時間を過ごすことは推測に難くない。
これはガチ勢でも同じ話で、もし「ほんとにレートを上げたい、上位を目指したいガチ勢」と「上位うんぬんよりも自己ベストを目指すガチ勢」が同じになった場合はどうなるだろうか。一応「勝つ」という点で同じ方向を向いているので先ほどのエンジョイ勢よりかはまだましかもしれないが、それでもどこかで温度差が生じてくる。うまくいかなくなる。
このように「人の楽しみ方はたった二つの言葉でくくれるほどに単純ではない」のである。「エンジョイ勢、ガチ勢」は確かに大きな指標になるかもしれないが、その中にさらに小さく細分化された指標がある。この細分化された指標にまで目を向けられる人は少ない。
3. 問い
ここであなたに問いたい。
「あなたは何をどうやって楽しみたい?最終的に何を目標としている?」
人と遊ぶとき(とりわけ対戦ゲームなどで)はこれを常に意識してみてほしい。これを言語化して相手に伝えるだけでよい。それで「お互いに楽しい時間が過ごせなかった」という事故が減らせる。
4. 言語化しないで生じる弊害
もしこのように言語化しないで、「適当にエンジョイしましょう」とか「ゆるくやりましょう」という言葉で片づけたらどうなるだろうか。周りが気を使うことになる。なぜなら、あなたにどのように接したらよいかわからないからである。
それならば最初から、「雑談しながらただ時間つぶしのためにやりたいです」とか「ゲームを楽しみたいので勝ち負けを気にしながら、でもレートは気にしないでやりたいです」といわれた方がまだ対処がしやすい。
また、私が「エンジョイ勢」という言葉で疑問に思うのが、「誹謗中傷批判NG」という言葉の代わりに「エンジョイ勢」という言葉を使っている人がいる点だ。
ぶっちゃけて言うと、エンジョイ勢でもやばい人はやばい。あまり効果はないだろうな、というところが実感である。
それならば「誹謗中傷批判NG」と最初から言われた方が対処しやすい。
このようにはっきり書くことで最初からこう書いてありましたよね?とトラブルの際にも対応できる。
5. 本当に「たかがゲーム」か?
「たかがゲームでしょ?暇つぶしじゃん、なんでそこまで考えないといけないの」と思われる方もいるかもしれない。しかし待ってほしい、あなたの画面の向こうにいるのは一人の人間だ。場合によっては初対面の、見ず知らずの人間である。初対面の人間にこちらから何も接し方を提示しないで、やみくもに気を使わせる方がよくないのではないのだろうか。画面の向こうの人間も楽しみたいのに、ただただ気を使う時間になってしまったら楽しくない。ゲームはみんなで楽しむものであるのに、そうなってしまってはせっかくのゲームが台無しである。みんなで楽しむためにも最低限の義務や責任というものが存在するのではないだろうか、というのが私の持論だ。
6. まとめ
ここまで書き散らしてきたが疲れたので終いとする。
まとめると「楽しみ方の言語化が足りないとにお互い楽しめないという事故が起きやすい。相手も人間なのでちゃんと楽しみ方を相手に伝えてみんなで楽しく遊ぼう。」ということだ。
今日はこのあたりで失礼する。