TKC#2 「会社退職は計画的に!」(過去日記vol.2)
過去日記第2回目です。
前回は、「博報堂をやめて東京藝術大学大学院に進学した」というそれだけ聞くとキラキラな経歴の真相を晒しました。今回は「映画を志して東京藝術大学大学院映像研究科で奮闘する日々」というキラキラな経歴の真相です。28歳無職バツイチで借金抱えて実家出戻りになった大学院生の日常です。
過去日記vol.1を読んでもらうとわかるのですが、僕は無計画に会社員を辞めました。https://note.com/nichibeientame/n/n5bc8f272a6b8
会社を辞める人はこれだけは気を付けてほしいなと思うことがあります。住民税は翌年に払う、という落とし穴です。そんなこと常識?僕は全く知りませんでした。びっくりしました。心臓とまるかと思いました。少なくともクレジットカードとかは全部止まりました。28歳無職バツイチで借金抱えて実家出戻りになった大学院生に、前年のエリートサラリーマン(自分で言うんだ)の給料分の住民税の請求がきたら、、、そりゃ止まりますよ。それくらい追い込まれる日々がやってきました。経済状況察してください。(でも家があるだけ恵まれてましたけどね。感謝)
追い込まれる日々のエピソードを1つご紹介します。東京藝大の映像研究科は上野ではなく横浜の馬車道という駅にあるんです。東横線で横浜まで行って、そこから直通のみなとみらい線で3駅なのですが、これがね、横浜から急に金額上がるんですよ、電車変わるから。直通なのに乗り換え扱いで高くなるんです。横浜駅までなら200円くらいだったのが、馬車道まで乗ると倍以上になった記憶があります。これがきつくて、、、毎回横浜駅から歩いてましたね、、、だいたい徒歩30分ちょっとを毎日、、、。元々東横線は終点が横浜じゃなくて桜木町だったんです。芸大は桜木町駅からは徒歩10分もしないんですよ。それが、みなとみらい線、という謎の路線になったせいで、終点が横浜になり、そこから先は別路線になったのです。なんだよ、みなとみらい線って!許せない!
ただ横浜駅から歩いたところで、支出は少し減らせても、収入がないと無理ですからね。色々単発で働いたりしてなんとかしたり、情けない話ですが、、、当時付き合っていた女性の送り迎えをしてタクシー代をいただいたりしました。なかなかですよね。これは情けないのでひた隠しにしてきたのですが、10年経ったので笑い話になると思うので晒してみました。(笑ってます?)
あとはやっぱり奨学金。とにかく奨学金!と思って説明会に行きました。芸大の上野キャンパスに。やっぱりね、芸術はお金がかかりますから。たくさんいました。説明会に人、人、人。その集まった芸大生に向かって担当の職員だか先生が開口一番こんなことを言うんです。
「奨学金は借金です!返さなきゃいけないんですよ!芸大の就職率知っていますか?みなさんはほとんで職につけません。返せませんよ。返せないから借りちゃダメです!」
すごい現実突きつけられたな、とショックを受けました。一瞬ひるみましたが、迷わず借りました。そんな返済が始まる2年後のことより、大切なのは今ですからね。とにかく、今、金がないんだ!それ以外に理由って入ります?奨学金って無利子のものと、有利子のものがあるんですが、両方全額で借りるべく申請しました。
ただね、僕って前年までエリートサラリーマンじゃないですか(2度目)。だから無利子の方は降りなかったんですよ。だから有利子の方だけしか借りれなくて、それだけじゃ足りないし、お金ってのは持っていても意味ないなって思ったんですね。で、結論、詳しいことは省きますが、全額FXで投資しました。こう見えて経済学部出身ですから。マクロ経済、ミクロ経済、マルクス経済、ってのがあるってくらいは知っているレベルの経済知識あります。だから自信満々で最大レバレッジかけて、全額オーストラリアドルに投入して、スワップ金利を月々の収入にしていました。いやはや結構儲けましたよ。だいぶ助かりました。オーストラリア大好きです。(行ったことないけど)
ただ、悲劇が起きるんです。2011年すごい円高が起きるんですよ。ユーロがギリシャを支援したとかなんとかで。詳しいことはよくわかりませんが、ギリシャ危機の影響らしいです。この時の急激な円高で僕は全ての財産(というなの奨学金、というなの借金!)を失います。今でも覚えています。藝大のすぐそばのウミシャンという台湾料理屋で、有名な美術監督の先生と、ゲスト講師できていた某有名監督と飲んでいる時にその悲劇が起きたんです。携帯見るのも失礼だしなと思って、しばらくFXのアプリを見なかったすきに、、、全額失いました。だから、僕はギリシャが大嫌いです。(行ったことないけど)
ギリシャのせい(?)で全てを失った僕は、奨学金に再度無利子の方の奴も申請します。全財産をギリシャのせいで失ったので、助けてください!と言う悲痛な叫びが届き、今度は審査OK。これでなんとか生き延びることができました。
大学院生活、経済状況がなかなかハードコアでした。
気がつけば、一切、藝大もエンタメも何も関係ないことを書いてしまいました。次回こそは、大学院で学んだことや制作実習について必ず書きます。ちなみに僕は2011年の8月にロサンゼルスのUCLAに短期ですが幸運にも行くことができるのですが、そのお金はどうしたんだって言う話の伏線として、この貧乏話は大切だったんです(多分!)。
僕は藝大で映画制作を学びながら、UCLAにも行き、LAでハヤトさんと出会い映画祭をやったり、日本に戻って「らくごえいが」という映画を作る時に、その映画祭で出会った山田孝之さんが主演になってくれたりとか、、、これら全てがつながっていきます。
一生懸命やっていれば無駄なことはない、てな感じのセリフがハーレムビートというバスケ漫画の3巻くらいにあるのですが、それだけを信じて、とりあえずスーパー短期視点で目の前のことだけに全力投球していました。この頃は。中長期視点とか持ち合わせてません。
20代の終わりは、無茶苦茶貧乏でやばい時期を過ごしましたが、一生懸命必死でやってたら、誰かが助けてくれるし、そして一生懸命やったことは必ず何かにつながると、なんの根拠もなく突っ走っていました。結果論としてそうなったけど、なぜあの時、あんなにバイタリティがあったか、今思うと不思議ですが、過去の自分のその点に関しては少しだけリスペクトしてます、我ながら。だから、自分が怠けそうになったら、あの頃の気持ちを思い出して、奮い立たせようとしています。だからかわかりませんが、最近も事務所に行くのにバスも電車も使わず、片道30分ちょい歩いています。デジャブ、、、。(コロナ対策で歩いてるだけだから、、、ガクブル)
過去日記vol3、今度こそ芸大実習についての話に続く。
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