読書記録『木漏れ日に泳ぐ魚』

初夏のある日、アパートの一室で最後の夜を過ごす男女の物語。
たった一晩の二人だけのやり取り。
二人が一緒に過ごすことになった経緯や、別れるきっかけとなった出来事。
今まで二人で過ごした時間が、分析や解釈によってみるみる変貌していく。

この小説は色々な解釈ができると思う。
禁じられた恋愛をする男女の物語。
様々な証拠から衝撃の事実が判明する推理サスペンス。
二人の掛け合いによる感情の変化を堪能する心理小説。
最後まで内容に圧倒されながら読み続けたが、読後に自分が受けた印象は、「事実は一つだが、真実は一つではない」ということだ。

一般論として、
 事実=実際の出来事
 真実=事実の解釈
といった意味合いがある。
なんとなく分かってはいるものの、自分の中では事実と真実はほぼイコールであり、そのことについて深く考えたこともなかった。

この小説では、二人を取り巻く「事実」はずっと変わらないのに、そこに様々な角度から解釈をし続けることで、「真実」が二転三転し、大きく変化していく。事実が事実のままなら、彼らは怒ったり悲しんだり絶望したりせずに済む。しかし、そこに真実を求めることで、感情は大きく揺れ動き、彼らの考えに、そして人生に大きく影響を与える。

「事実」は実体があり、「真実」には実体がないのかもしれない。
「真実」とは個人や時代によって変化していくものである。
私たちにできることは、そこにある事実を自分にとってどのような「真実」に解釈していくかのみである。

この小説では、知りえた事実をあまりに残酷な真実へと解釈せざるを得なかった二人が、それでも最後は前を向いて生きていく。
最後の描写はそういう描写だと、私は感じた。
けれども、それも私の中の「真実」であって、他の読者の中にはまた違う「真実」が生まれるのだろう。
「真実」の持つ残酷さに胸が痛くなる一方で、「真実」に向き合い乗り越えていく人間の強さも感じることができた。
単に「知らなくてよかったのになあ」で終わらせない小説であるところが、この本に出会えて良かったと感じる部分である。


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