『果つる底なき』を読んで。
池井戸潤さんのデビュー作で、第44回江戸川乱歩賞を受賞した「果つる底なき」を読んだので感想をまとめました。
気合を入れたいときに読む「池井戸作品」
私は2年ほど前から積極的に読書をするようになり、特に池井戸潤さんの作品をよく読んでいます。理由は簡単、小説素人の私にとって知っている数少ない作家のひとりだったからです!
私が池井戸作品を読むタイミングは、「自分に気合を入れたいとき」です。
仕事中に気が抜ける時が増えてきたり、「なんかつまらないことで悩んでるな~」と精神力が弱ってきたりしたときに読むようにしています。
超有名な「半沢直樹」シリーズに代表されるとおり、池井戸作品はいわゆる「勧善懲悪」の色が強く、読書後は単純に勇気が出たり背中を押されます。(もちろん、だからといって内容が薄いことは決してありません!)
私は毎年秋になるとメンタルが落ち始めるので、師走に向けて忙しくなる日常に気合を入れたい!と思ってこの本を読み始めました。
感想
「底知れぬ闇」と「まっすぐさ」の共存
まず抱いた感想は「人がすごい死ぬ」ということ。
小学生みたいな感想ですが、作者のメジャーどころから読んできた自分にとってはそこまでミステリー色の強いイメージがなかったので、そういった意味では非常に新鮮に感じながら読むことができました。
しかしながら、池井戸作品の根幹である「勧善懲悪」的基盤はしっかりとしているので、自分が期待したとおりの読後感を得られたのでとても良かったです。
独裁者で嫌われ者、私利私欲のために悪事を働く副支店長や、仕事も人間性も優れているが良くも悪くも器用に立ち振る舞って地位を得てきたことを自嘲する支店長、自らの信念に従って他人にはできない困難な道を選び続ける主人公とその親友・・・。小説やドラマでは「よくある設定」ではあるものの、現代に生きる私たちのほとんどが似通ったコミュニティに属し、主人公と同じような苦しみを抱いているからこそ、多くの人が池井戸作品に共感し、勇気をもらっているのではないでしょうか。
信念を貫き続ける先にあるものは
自分の信念に従って生きていくことはとても難しい。
それによってより苦しい状況に陥ることもあれば、巻き込まないで済んだ自分の大切な人も同じ苦しみに引きずり込んでしまうかもしれない。
信念に従うことで何か得られるものが明白であるならば話は別だが、大抵はそうではなく、そのことで誰が喜ぶのか、誰が幸せになるのかも分からない。
「多くの情報や多様な考えをいかに取捨選択していかに効率よく生きるか」が重要視されている現代ではなおのこと、このような生き方はいわゆる「不器用」と嘲られ、実行していくのが難しいと思います。
心に残ったセリフに以下のようなものがあります。
主人公が対峙しているものは「形もなく、概念もないもの」であり、「果つる底なき暗澹たるもの」。
彼は考えられないほどの恐怖と向き合いながらも、自分が大切に想うすべての人の思いを抱えて、そして「私のために」信念を貫き続ける。
状況的には、わざわざ深追いする必要はない。行動せずとも自分が不幸になるわけではないし、行動しても幸せになるわけではない。
けれども、自分が今まで生きてきた中で大切にしたいこと、大切に想う人々のことを考えると、この信念を曲げることは自分が自分でなくなることに繋がる。損得勘定ではなく、「意志」で行動する。
私はこの心情にすごく共感できます。
頑固で不器用な性格のため、辛い思いをしている同僚のため、部下のため、友人のため、そして何より自分のために、常に「自分が大切にしていること」を曲げずに行動してきました。
ほとんどの場合で大きなしっぺ返しをくらい、一時はうつ状態になるときもありましたが、後悔は一切していません。
ですが、愛する家族ができ、守るものが増えたことで、以前より信念を曲げざるを得ない時が増えてきました。
それを「大人になったね」とほめてくれる人も多く、実際物事が円滑に進むことを実感するときもあります。
しかし、決して自分を失うようなことはしたくありません。
「調和」を大切にすることは必要ですが、「本質的に最も大事なことはなんだ」と常に自問自答し続けていきたいと思っています。
まとめ
色々な場面で自分を偽って心の仮面をかぶることが多くなってきた最近、このような「闇が深いけどまっすぐな作品」に巡りあえてよかったと思います。
自分の大切にする「信念」が、人生の道しるべになっていくと信じて、これからも突き進んでいこうと改めて背中を押されました。