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東大信仰の毒親によって、20年以上悔恨の念を抱き続けている看護師の女性

 裕福な医者の家庭で、音楽の才能と優秀な頭脳をもってして生まれた。
そんな彼女に、母親は1日8時間のフルート練習を強要した。高校受験では、1週間ホテルから塾に通わせた。
 よい大学に通わせることが子の幸せだと信じている親。数十年後、子にどう思われるか。子はどう生きているか。子にどのような苦しみを背負わせるのか──。



 「医療の仕事が本当に好きじゃない。夜中に『なんでこんなことしてるんだろう』って考えたら、眠れなくなる。仕事中、おばあちゃんの手を持っている時にふと、『あの時違う道を選んでたら今違ったんじゃないかな』って思う時があるんです。自分で自分の道を選んでこなかったことが悲しい」

 彼女は仕事を含め、自分の選択に20年以上後悔の念を抱き続けている。
親から、選択を許されずに過ごした。
 「親が子の選択を断つ」という行為は、暴力・性虐待やネグレクトと比較すると酷くないと感じるかもしれないが、彼女の精神を病むほどの悔恨の念を目の当たりにすると、自身の親または親である自分自身を鑑みることになるのではないだろうか。


裕福な医者の両親の元に生まれる

 恵美(仮名)さんは、埼玉県在住の40歳女性。 看護師を10年、保健師を1年半働いた。昨年からは、仕事を辞めて専業主婦になった。

 現在は38歳の夫と、小学5年生と1年生の子どもの4人で暮らしている。
 結婚した後、恵美さんの両親の家から10分の距離に、新築の家を建てた。

 恵美さんの両親は、いわゆるエリートの医者の家系。
父親は脳外科医、母親は内科医。
他にも親戚には複数人、医師がいる。
 恵美さん一家は、父・母・弟を合わせた4人で暮らしていた。
 田舎の裕福な家庭だった。

「家族や親戚は、明らかにアスペルガー・ADHDの人達ばっかり。診断されたわけじゃないけど、明らかにそう。母親は旅行中も落ち着きなく歩き回ってる。ゆっくりすることができない。あと、凄くヒステリーだった。多分、私も発達障害あると思う」

 恵美さんの母親は、結婚を期に医者の仕事を辞めて専業主婦になった。
 仕事を続けたかったが、姑に「妻が働いていると夫の稼ぎが少ないと思われるから仕事を辞めろ」と言われ、辞めざるおえなかった。

 恵美さんの幼少期の頃の母親は、常にイライラしている人だった。
近寄りがたく、彼女は母親に寄りかかった記憶はない。
 母親は極端なナチュラル志向で、納豆に付属されているタレを使うことを禁止する人だった。納豆にタレをかけようとしたら、母親が「下品!」と怒鳴る。
 他にも、顔を手で洗うと「下品!」と言われる。洗面器に水をためて、タオルで洗うようにしつけられた。

 「母親が怖くて私と弟は怯えていました。それを見て、父親がよしよしと私達をあやす。父は優しいって思ってたけど、大人になってわかったんです。黒幕は父親だったんだって」

 父親は脳外科医として働いている。
しかし父親は、自らの意思で医者になったわけではなかった。
 親から「医者にならないと食べていけないからなれ」と言われて、勧められるがままに医者になった。
 父親は恵美さんに、「俺は東大の文学部に行きたかった。でも親の言うとおりに医者になって良かったと、今は思ってる」と話していたことがあったそうだ。

 「父は頭がおかしい人。子どもは親の持ち物だから、親が子の将来を決めるのは当たり前。親は子のことを全て分かっているのだから、子は親の言う通りにするのが正しい。父はそう思っているんですよ」


小学生の子どもに1日8時間、フルート練習を強要する

 恵美さんは、教育で覆い尽くされた幼少期を過ごした。

「私が3歳の時、フルートをやってみたら上手くて、先生に『この子は素質がある』って言われちゃって……。そこから大変だった」

 母親は娘に才能があることに気が高ぶり、恵美さんに1日1時間フルートの練習を強要するようになった。 3歳の子どもが1つのことに1時間集中し続けることなど、そう出来るものではない。

 彼女が小学3年生になった時、選抜で上位数名のみ参加できるフルートの合宿が開催された。
 合宿場所は講師の先生の別荘で、先生の師匠である音大の先生も一緒に参加する。
特別感が漂う合宿の選抜に、彼女は選ばれてしまった。
 この出来事以降、母親のフルート熱はエスカレートしていった。
 テレビは禁止され、夏休みになると1日8時間フルート練習を義務付けられた。

 「私はフルートが全然好きじゃなかった。でも辞めたい素振りを見せると、母親が凄い形相で『今からフルートを捨てに行く』と言って車に乗ろうとする。フルートは捨てていいと思ってたけど、母親がいなくなるのが怖かった。私と弟は、必死で泣き叫んで母を止めようとした。それでも母は『離せ!』って言って車に乗り込む。私が車の前に立って泣きながら止める様子を見ると母親は満足する。そして、『わかったんなら、早くやってきなさい!』ってフルートを私に押し付けた」 

 これが何年も続いた。 夜中の0時までフルートをやらされる日もあった。

 彼女が反抗的な態度をとった日は、家族会議と称した不気味な会が開かれることも度々あった。

「弟が寝た後、母と父と私の3人で椅子に座る。無言で何時間も座らされた。どうすればいいか分からなかったけど、立ったら怒鳴られるだろうから耐えてた。夜中の3時になったら母親が急に『寝ていいよ』って言って解散。わけがわからない。私に謝らせたかったのかな」

 フルートでこの熱量だ。勉強への熱量も凄まじかったのだろうか。

 「勉強は学校の授業を聞いているだけで成績良かった。
中学3年生の時、お母さんの医者仲間に誘われて模試を受けた結果が、県で上位だったんです。そしたら母親が『フルートはもういい』って言ってきて、次は高校受験させようってなったんです」

 12年間嫌々に続けていたフルートを、途端に辞めることができた。
 とはいえ、フルートが塾に替わっただけのことだった。

塾を強要し、受験学校を強要し、東大信仰を強要。

 埼玉県の田舎の方に住んでいた恵美さんの自宅近くには、塾がなかった。

 「土曜日に高速バスに乗って、東京の御茶ノ水の塾に通った。朝の6時に家を出て、20時まで勉強。夏休みになったら母親と1週間ホテル暮らし。ホテルオークラに泊まって、そこから塾に行った。学校の授業は退屈だったから、最初は塾が面白かった。それにKinKi Kidsにハマってて、田舎では売ってないグッツを見れて楽しかった」

 現在の値段だが、ホテルオークラの1番安いプランのツインルームで1泊約10万円だ。塾の受講料や教材費とは別の出費だ。

 最初は面白いと感じていた塾だったが、これだけ強要されると嫌になっていった。
しかし母親に嫌がる素振りを見せると怒鳴られるから、言われるがままに続けた。

 恵美さんは中学校の友人と「頑張って県で一番賢い女子校に行こう」と言い合っていた。それを母親に言うと、「そんなのは宝の持ち腐れだ。東京楽しいって言ってたじゃないか。東京か横浜の学校に行きなさい」と言われた。
 母親に対して反感はあったものの、高校受験で人生が決まることはないと思い、母親が勧める横浜の私立高校に受験し入学した。
 現在のこの私立高校の偏差値は65−69。神奈川県の高校の上位10位に入る学校だ。

 自宅からは遠いため、寮に入った。
 彼女が入学した高校は東大信仰が強く、教師達は東大合格者を輩出させるのに躍起になっていた。
 そのため勉強に対して凄く厳しかったのだが、恵美さんは成績優秀だったので、楽しく高校生活を送っていた。

「高校生の時は弁護士になりたかった。いや、なりたかったと言うより……。母親が『女の人が男と張り合うには資格が必要だ。だから資格が取れる学校に行きなさい』って言われてた。医者にはなりたくなかった。英語と国語が得意で、口喧嘩が強かったから当時は弁護士ぐらいしか思いつかなかった。でも友達は社会学や法学を学びたいって言ってて……。私は親からの資格縛りがあって、選択肢が少なかった」

 周りの子達が将来の夢や、自分の興味関心があるものに目を輝かせているのを、彼女はどんな気持ちで見ていたのだろうか。
 高校卒業後は弁護士になるために、一橋大学の法学部を目指そうと考えていた。
だが、成績が良かったことで教師に目をつけられてしまった。
 当時のこの学校の教師は、東大に入れそうな生徒を見つけたら、東大受験に誘導する風習があったそうだ。

「先生から凄い説得が始まって、東大、東大言ってくる。親まで言ってくるようになった。父親は『俺は田舎の医学部には行きたくなかった。本当は東大に行きたかったんだ。だからお前が叶えてくれ』って。母親は『東大に行けば、結婚しても仕事辞めろって言われないだろうから東大いけ』って言ってきた。反抗したら『1年間に外車を何台も変えるお金を出して行かせているんだ。東大受験しないなら今の高校に通わせてる意味がない。東大にいける頭があるなら東大目指すのが当たり前だ』って言い出して。私が東京楽しいって過去に言ってたことを逆手にとって、『あなたが東京楽しいって言ってたじゃないの。東大に行かないのなら今すぐ学校やめて田舎に帰ってきなさい』って脅すように言ってくるようになった」

 恵美さんは中学生の時、親の言う通りに受験してしまったことを後悔していた。
だから、親からの抑圧に辟易しはじめていた。



次回タイトル「負の感情から親が授けた教育は、子の教養にならない。」

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