田淵 未来

実話ナックルズnoteにてエッセイを投稿して頂けました。児童養護施設経験ライター。毒親…

田淵 未来

実話ナックルズnoteにてエッセイを投稿して頂けました。児童養護施設経験ライター。毒親に育てられ、先日、兄が自死。毒達のDNAに抗いながらの子育て。 毒親育ち・児童養護施設経験者にインタビューしていますインタビューイー募集中☘️メアド:tabuch.mirai@gmail.com

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    看護師をしています。看護師ネタの記事たちです。

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    実話ナックルズnoteさんに掲載して頂けた記事です。

  • 毒親出身の子育て

    毒父・毒祖母に育てられた私だが、2人の子の親になった。 自分は毒親になりたくない。子どもへの愛情とは、家族愛とは何か。 母親を知らない私が母親をしている。父親を知らない夫が父親をやっている。 歪な親で育つ我が子は幸せに生きていってくれるか。自問自答の日々です。正直、果てしない旅ですよ。

  • なぜ兄は、今日、人生を終わらせたかったのだろう

    兄が自殺した後の、私の心境記事たちです。 記事の一つを、実話ナックルズnoteに掲載して頂けました。感謝です。

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[兄が死んだ②] 「兄の最期の晩餐は三千円だった」親の愛情が計量計のように見えたら、皆苦しまないで済むのに

兄が自殺した当日 兄が死んだ① 「なぜ兄は、今日、人生を終わらせたかったのだろう」 兄が死んだ② 「親の愛情が計量計のように見えたら、みんな苦しまないで済むのに」  今日は、死んだ兄との初対面の日。  寝ている娘を見て、夫とクスッと笑ったあと、また少しだけ寝ていた。  目を開けてしまったら、今日が始まってしまう。 仕事日の朝とは比べられないぐらいの憂鬱感だった。  だが娘の寝顔が、死ぬほど美しく愛おしく見えた。 ああ、やっぱり私は救われている。 昨日と同じものを感じた

    • 彼女は、看護学校卒業時に5万円を巻き上げた

       看護師専門学校の3年生。卒業式の1ヶ月前。  クラスは40人。 男子は1名だけで、ほぼ女子校のようなもの。  卒業する頃には入学時と比べて10人ほど辞めて減っているのはよくあることだ。 しかし私のクラスでは卒業までに辞めた子は1人だけだった。  辞めるのを見越して学校側は40人採ったのに、なかなか辞めなくて先生たちは少し困惑していた。 翌年の採用人数が減っていたのは、少し申し訳ない気持ちになった。  なぜだろうか。 私のクラスの女子たちはメンタルが強いというか、図太いと

      • 川の前で佇む美女に声をかけた

         こんなに暑い中、スーツで仕事に行かなければならない。 頭がどうにかなってしまいそうだ。うだる暑さで眉間にシワが寄る。  コンクリートから感じる熱は気持ちが悪いし、暑さのせいで普段より一層と町並みがごちゃごちゃとしているように見える。  この町並みが嫌いだ。 立ち並ぶ家の間にある、人工の堀川も気に入らない。 汚い灰色と黒が混じった色のコンクリートの間に流れる川の水が、夏の強い日差しに反射してきらきらしてる。 そうはいっても実際の水は汚く、触ることもおぞましい。 生臭い匂いがし

        • ロマンと自信の館/福井県恐竜博物館

           3歳の娘が、「映画ドラえもん/のび太の恐竜2006」を見てから、「恐竜、恐竜」言うようになった。  お風呂上がり裸でティラノサウルスのポーズをし「恐竜のおばけだぞ〜」と言いながら歩いている娘を見たら、(いよいよ、恐竜博物館に行ってみるか!)と夫婦で決まった。  車で片道3時間。 私と夫、加えて3歳と0歳2ヶ月の同行。 夫は日帰りで余裕と言っていた。 だが私は、次行った際は絶対に一泊すると宣言させてもらった。  普通に子ども連れによる大変さはあったものの、結果的には楽し

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        [兄が死んだ②] 「兄の最期の晩餐は三千円だった」親の愛情が計量計のように見えたら、皆苦しまないで済むのに

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        記事

          ワーママ迷走時代突入。迷い子の一角としてインタビューを受けた。

          「ワーママ」 子育てをしながら働いている女性を指す言葉。  数十年前までの日本では、結婚・出産した女性は仕事を辞め、専業主婦になるのが当たり前の風潮だった。 その後国が女性の社会進出を掲げ始め、出産後も仕事を継続する女性の層が増えていった。  しかし働きながら一人で家事・子育てをしている女性がまだ多い状況で、不安や不満の膿が加速させてしまうのだろうか、「自分は何者なのだろうか」といった思考に陥り迷走してしまう女性が一定数いる気がする。 因みに私は迷い子に陥った経験がある一角だ

          ワーママ迷走時代突入。迷い子の一角としてインタビューを受けた。

          児童養護施設の先生/大人は子に絡めばいい

           小学4年生の時、児童養護施設に入った。  私が入所した児童養護施設は男子寮と女子寮に分かれていて、2歳〜高校生までの子達がいた。  大人は日中は3人ほど、夜間帯には1人いた。 その大人の中で、一番印象に残っている先生がいる。  田中先生(仮名)は男の先生で、当時は32歳だったと記憶している。  児童養護施設の食事は、学校の給食のように調理師さんが作ってくれたものがワゴンで運ばれてくる。 だが米だけは、大人や中高生で炊くルールになっていた。  田中先生は手先の不器用な

          児童養護施設の先生/大人は子に絡めばいい

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/四

          四話目のインタビュー記事です。 建城(タテキ)さんは、生後5ヶ月で乳児院に入り、その後16年間児童養護施設で過ごした。定時制高校の卒業前にして母親との同居を決める。最初は喜んでいた母親も、彼がもう親の思い通りになるような年齢ではないことに気が付かず、認められず、彼に暴力を振り始める。その後彼に何の相談もなく、母親は同僚の年下男と再婚した。そしてこの再婚相手も彼に暴力を振るうようになる。彼は誰にも相談せず、戦わなくてもよい問題だと割り切り、一人で耐えていた。しかし耐えていればい

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/四

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/三

           三話目のインタビュー記事です。 建城(タテキ)さんは、親のDVや虐待が原因で生後5ヶ月で乳児院に入り、16年間児童養護施設で過ごした。中学生の時はイジメによって不登校になった。しかし彼の周囲の人達の助けもあり克服され、定時制の高校で生徒会長をしたりと建城さんに良い兆しが見え始めていた。しかし、やはり毒親は子どもの足を引っ張る存在でしかないと言い切れる出来事が起きていく。 一話目↓ 二話目↓ 18歳。児童養護施設が退園となり、母親との生活が始まる。  児童養護施設に入

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/三

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/二

           二話目のインタビュー記事です。 生後5ヶ月の時に、親のDVや虐待によって乳児院に入った21歳の青年にインタビューした。彼の親権をもつ母親は、1シーズンに1回の面会もドタキャンするような精神的な不安定さが垣間見え、彼は乳児院を出た後も16年間児童養護施設で過ごした。養護施設で過ごしながら、彼は小・中・高校の生活が、様々な不調やトラブルにより通えなくなっていった。 一話目↓ ドラマを見て「親がいないから普通じゃないんでしょ」と言う小学生  小学5年生の時、建城(タテキ)さ

          乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/二

          [インタビュー]乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」

           今、私の目の前に、生後2ヶ月の息子が眠っている。  3ヶ月後に、この子と離れて暮らす。 そう想像してみるが、この気持ちは悲しいなんて感情では整理できない。 刺されたことなんてないけど、胸に刃をあてられたような気分になる。 きっと、同じような感覚になる親は沢山いる。  だが、生後5ヶ月で親から離れることになった子の気持ちなど、もう大人になってしまった我々には理解できない領域の感情だ。 母親を求めるようにプログラムされて生まれてきたその生命体は、どうやって生きていたのだろう

          [インタビュー]乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」

          パンデミック時に騒いだ老害人、君等によって何人も看護師辞めました

           あれほど不安の渦の中心にあったコロナウイルスも、今ではアメリカ大統領候補選やパリ五輪といった話題が関心の的だ。  皆さまの不安が少し静まってきていると思う。 そろそろ、渦中だったあの時の出来事や本心を言葉にしてもいいと思う。  数年前、私は看護師として総合病院に勤めていた。  海外でコロナウイルス感染症が発症し、日本にも広まるかもしれないと、病院内はその話しでもちきりだった。  土曜日、緊急入院してきた患者さんがいた。 70歳代ぐらいだっただろうか。  肺炎と診断され

          パンデミック時に騒いだ老害人、君等によって何人も看護師辞めました

          惚れた男はアシタカ。結婚した男はトンボ(魔女宅)。

           初恋の人は?  私は迷うことなく、ジブリ作品「もののけ姫」主人公のアシタカ。 私が3歳の時に映画が公開され、5歳の時にはアシタカに惚れ惚れしていた。  当時はDVDではなく、ビデオテープ。 エンディングを聞き終わったら、巻き戻しボタンを押して少し待ち、音が止まったら再生ボタンを押す。 これを何回も繰り返す。  飽きるまで繰り返さないと気がすまない子どもでした。  今でも定期的に見たくなるから、大げさでもなんでもなく通算50回は見た。 アシタカ拝むために…  5歳の私

          惚れた男はアシタカ。結婚した男はトンボ(魔女宅)。

          毒親が住む土地は穢れていく

           私が3歳頃から高校3年生まで住んでいた戸建ての家は、今はもうない。 父が売ったらしい。  帰る家がなくなったことになるのだが、落ち着く場所ではなかったから全然問題ない。  だが今ふと思い返してみたら、元実家もご近所さんも色々と普通ではなかった気がする。  もしかしたら、土地が穢れていたのでは…。 土のせいなのか分からないが、住む人達に様々な災いが降り注いでいた。  そして、私はあの土地から遠ざかったことで、安定した人生を送り始めたのは事実だ。  元実家は、私が3歳頃に

          毒親が住む土地は穢れていく

          第二子出産後のヤバイ私へ。お守りレターnote。

           第二子出産前の、妊娠中に書いた記事です。  “出産後の女性というものは、ホルモンの変化の影響により別人のようになる”  私は別人なんて優しいものではなかった。 人間の形はしているが、私の負の部分のみを表面化したような。 それも違うような。 私自身も気がついていない、奥に留まっていてくれていたヨドミが湧き出てしまった。 そんな感じだ。  年齢を重ね憑き物がとれ、生きやすくなってきたと感じ始めた矢先、引き戻された気分だった。  新たな命を前にして、新たな自分を見つめないと

          第二子出産後のヤバイ私へ。お守りレターnote。

          兄の遺影への違和感/美しくないと、子を肯定できない父へ

           あの時に感じた違和感を形にしようと思う。 ずっと、ずっと、ひっかかっていた。  兄が32歳で自殺した。  兄の葬式の前の日に父から電話がきた。 「にぃ(兄)の写真、持ってないか?」 持っていなかった。  でも私が娘を出産した時の家族写真がある。 撮ったのは約3年前。 父もデータを持っているはずだ。  3年前の写真なら遺影に使っても、まあ良いのではないだろうか。 父に伝えた。  葬式の当日、遺影を見た。 高校の制服を着た兄がいた。 卒業アルバムの写真だ。 父は、高校生の

          兄の遺影への違和感/美しくないと、子を肯定できない父へ

          私が世界一だ。世界で一番、夫と子どものいい写真が撮れる。

           この人のこの記事を読んでからというものの、私の中の写真を撮るということが、ぐっと面白く、楽しく、美しいものになった。  なんなら、自分の写真いい!とまで思える。 つまり、自分が撮るものに大変満足できるようになった。  幼少期より、自然に対する憧れが強かった。 だからなのか、その自然を切り抜いた、絵や写真に惹かれることが多かった。  自分からこの惹かれるものを生み出してみたかったが、私は美術のセンスが飛び抜けてなかった。  高校生の時、美術の筆記テストで満点をとった。 だ

          私が世界一だ。世界で一番、夫と子どものいい写真が撮れる。