
一人、虐待親に圧力をかける教師がいた
視線を感じる
1秒、目があった。
重く、鋭く、強い目だ。怖い目だ。
私は、何かやっただろうか。
また、何か、間違えたのだろうか。
何十人と同じ制服を来た中学生がいるというのに、なぜ私を見ていたのだろうか。
友人たちは
「教頭って無愛想だよねー。真顔しか見たことない」
「何考えてるか分からないから怖いよね」
そう言っている。
たったの一秒。
気にすることないか。
皆が言うように、よくわからない人なのだろう。
大人になった今だから分かるのだが、私の通った中学校はよくなかった。
抑圧的で、閉鎖的で、おかしな先生もいた。
通ることの禁止されている階段(タバコを押し付けた跡が大量にあるため)があったりと、過去の不良生徒の残り香があった。
体育の授業が始まる10分間の休憩時間の間で着替えを終え、グラウンド3周終わらせて体育座りをして待っているようにと指示をだされた。
できていない時のペナルティは、走り込みや裸足。
だから着替えが遅い子は他の生徒に責められる。
プールの授業に生理が重なったら、ストレッチを短めにして早々に水の中に入れられる。
水に入れば生理の症状が落ち着く(?)らしい。(タンポンなし)
とりあえず生理を理由に休むことは許されなかった。
学年の集会でおしゃべりしているグループがいた。
集会の途中で急に先生がキレて、資料の紙を全て破り捨てて、奇声に近い怒号を上げながら部屋から出ていってしまった。
陸上の部員がサボって帰宅途中、先生が車でおいかけ、逃げるサボり部員を陸上部のレギュラーに走って捕まえさせる。鬼ごっこ?部活動の一環として?交通量の多い道で?なによりキモい。
生徒も生徒だ。あんなキモイことをよく引き受けたものだ。
いくら強豪校にした名教師ともてはやされていようと、気持ち悪い。
このシーンは私が一人で帰宅途中に見たのだが、吐き気を催すほどに引いた。
あの中学は、支配する人と支配される人の構図が明確に見えていた。
早く卒業したくて堪らなかったのだが、3年生になると少しマシになっていった。
その威圧キモい教師達に反対をするような、新しい先生が増えていった。
この質の悪い中学校でも、唯一良かったものと言えば、木だ。
門に入ると一本の松の木がある。これがかなり大きいのだ。
3階建ての建物以上の大きさなのだ。
この松の木を、下から上まで見上げていくと、自然と青空や雲を背景とした松の木のてっぺんを見ることになる。
凄く近くにも見えるし、遠くにあるようにも見える。
よく分からないが清々しくなれるから、好きだった。
もう一箇所は桜。
門をくぐり、靴箱に行くまでの道が桜並木道になっている。
そこまで広い道ではないから、落ちた桜の花びらが足元に沢山とどまってくれる。
風通りもいい。
温かい風が通り、桜が舞う。
春に毎朝、ゆっくりと黙って歩くのが好きだった。
その日も一人でゆっくりと歩いていたら、声をかけられた。
「朝ご飯は食べましたか?」
目つきの鋭い、教頭だ。
「はい…」
朝の好きな時間を邪魔された。
普通、「おはようございます」ではないのか?
なぜ朝ご飯?
はじめて話しかけられたことにも驚き、警戒心を隠せなかった。
「何を食べましたか?」
食べていないと思われているのだろうか?
私が嘘をついていると思って、食べた内容を聞いているのだろうか。
小学生の時も、保健の先生に尋問されるように質問されたことがある。
疑われているようで、邪険な気持ちになりつつも答えた。
何の食べ物を答えたかまでは覚えていないが、あの時の雰囲気だけは何か印象的で。
普段通り、教頭の目は鋭かったのだが、なんだか、桜のせいだろうか。
何か違う感じがした。
怖くはなかった。
その時は警戒心が拭えず、すぐにその場を立ち去った。
中学を卒業し、高校生になった。
ある日、何の会話の流れからか、祖母がこの教頭の話をし始めた。
「あの教頭は感じの悪い人だった。〇〇くん(このまえ自死した私の兄)の入学式の日に私と〇〇(私の父)が呼び出された。そしたらなんて言ったと思う?!あの教頭、『この学校では虐待はさせません』って説教してきたのよ!私言ってやったのよ。『この子(私の父)は根は優しいんです。この子は悪くありません。この子はあの女(父の前妻)にたぶらかされたんです』って」
私はこの日を堺に、「根は優しい」という言葉が嫌いになったのだが、そんなことより、あの教頭先生がそんなことを言っていたなんて。
祖母を適当にあしらい、自室にこもり、ぼーっとした。
胸の真ん中が熱くなる。
そこから浸透していくように熱さが広がっていった。
一つ、涙が出たら、次々に出てきた。
枕に顔を押し付けて泣いた。
笑ってるのか泣いているか分からない、あの、変な声だ。
ひとしきりに泣いたら、途中からは笑えてきて。
いやいやいや。
わからないよ。
あんな仏頂面で?
あんな鋭い目つきじゃ気づけないよ。
朝食の質問だけじゃ、感じ取れないよ。
泣きながら笑っていた。
ひとしきり泣いたら落ち着いて、部屋の天井を見ながらぼーっとしていた。
教頭先生、そんなことを言っていたのか。
あのくずどもに。
なにがくずかというと、父は兄の顔を原型がなくなるまで殴り、私達兄弟は児童養護施設にはいることになった。
兄の顔の写真を祖母は見たのだが、愛息子の父をかばい、世間体を気にして、虐待はなかったと言い張るようなクズなのだ。
だが当時は、そんなことを言うことはできなかった。
私の内側のものを、口に出せなかった。
なぜかは分からない。呪だろうか。親子の呪だろうか。
いや、私がただ弱かっただけだ。
弱い私が言えなかった言葉を、あの目つきが悪く、仏頂面で、怖い教頭先生が、言ってくれていたのだ。
お前らはおかしいぞ。
お前らの好きにはさせないぞ。
私が見張っている。と。
身内以外の大人が、おかしな親達に圧力をかけてくれていた。
これがどれだけの効力があるか、分かるだろうか。
虐待をする親は、周りの大人には自分が虐待をした親と思われたくないのだ。
こういうやつらへ、あの鋭い目で威嚇したのだろう。
それがどれだけ強い抑制となったのか。
事実、中学以降私は父から殴られていない。
私は知らないうちに守られていた。
一人で闘っていたように思っていた。
何と闘っているのかもよく分かっていなかっただろうが。
その最中に、守られていると知っていなかったとしても。
後から知ったとしても、助けられたと思えた。
だって味方などいないのが当然だと思っていたし、これから自分に何か幸せだとか、幸福だとか、喜びだとか、明るいとか、美しいとか、そういった未来を予想する能力はなかったから。
偽善ではなく、静かに見守っていてくれた。
あの時私は、これから強く生きていけると、確信に近い気持ちが湧き上がった。
私は本当に、よい道を歩いている。よい道を歩いてこれたのだと、そう思っている。
近年、教育や、教師に対して問題が沢山浮き彫りになってきている。
私も2児の母になったのだから、色々と考えなければならない。
今、この時の教頭先生のような教師はいるのだろうか?
だがそんなことを言っても「具体的にはどんな教師?」と聞かれて終わるのだろう。そして私はうまく答えられない。
具体的に答えられないから、事実と感情を書くしか私にはできない。
こういう先生はいないのですか?
それはもう、夢のような話なのだろうか。