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世界貢献への選択肢

こんにちは。
最近、国際支援関係に興味ある人々と
アフリカのキベラスラムで活動されている方を
囲んで対談する場に
関わらせて頂くにあたって
思い出したことをここに書いておきます。

世の中には、「私のため」だけではなく
公意識で動く、動きたい人々が
たくさんいます。

人生の先輩として既に活動している方もいれば
それを目標に、話を聞きまくりにいく
またNGOやNPOで活動する
若い子たちもいます。

私もその若者のうちの1人でした。
幼い頃から
生まれた国が違うだけで
なぜこんなにも生きる環境が違うのか
特に開発途上国の貧困問題に関心があり
社会的に弱い立場の人のために
何かできる存在になりたいと思っていました。

私にとってその第1歩は
ネパールで孤児院を運営する方の
フィールドワークに同行したことでした。
孤児院だけでなく、
ネパール社会において様々な生きづらさを持つ人々、学校教育、農村部、都市部、スラム、、
各地を訪れて現地の人々とお話し
社会問題や環境問題とひとくくりに言っても
今起っている事象は全て繋がっていることを
強く感じました。

そして、'途上国支援' '国際支援'
の立場は変わらずとも
草の根活動として
目の前の小さなことから支援する人々と

政治・行政・法律など
国という概念上に成り立つ
大きな枠組みから支援する人々の

2通りのアプローチ方法があることを知ります。

私が関わってきた多くの人々は
殆どが草の根活動型の人です。
もちろん、草の根活動をしながら
行政と手を組むという方々も多々おられます。

途上国にて
目の前で食べ物も生きる未来もない
1人の女の子を助ける一心で活動する人
学校に行けない子どもたちに教育を与えてあげたいという一心で活動する人
日本でも
生きづらさを抱えた人々、子どもたちに
寄り添おうと活動する人々など…

本当にかっこいい人たちです。
自分の目の前で困っている人がいたら
自分が助けずに誰が助けるんだという
使命をもって活動されている方々

同じ地球上に生きる1人の人間として
私たちの誇りであり、心から感謝しています。

しかしこの活動は
目の前の何かを救うことができる反面

その地域・国・世界の環境を大きく変えたり
社会的弱者を作り出す
社会システムそのものを変えたりすることは
難しいです。

だからこそ、
個別で草の根活動をするだけではなく
国際支援を手がける大きな企業に属したり
行政・政策に関わるべきだという人もおられ、
その役割の人々も全力を尽くして
頑張っておられます。

では私は
どちらの役割を持って
国際社会に貢献したいのか?
どちらのアプローチ方法が
自分に向いているのか?

問い続けても、答えは出ませんでした。
どちらも自分の役割ではないように感じるのです。

目の前の命を助ける人々は
自分の時間とお金のほとんどを
そこに注いでいる。
誰にでもできることではなく、
心からかっこいいと思う。
しかし今の私がそれをしたいかと問われると、
少し違和感があるのです。

もちろん、助けることを拒む訳ではありません。
日本には私を産み育ててくれた家族と
なつかしい土地がある。

海外で「この子たちを守りたい!」という以前に
私が守るべきものがあるのではないか?
身近なこと、日本のこと、守らずして
遠く離れた海外の子たちを守ることができるのか。

日本にも、各地域にも、
問題は数えきれないほどある。
本来私が守るべきものから目を背けていないか?

私がこの時代に、日本という地
(もっと言えば滋賀という土地に)
産まれた意味、理由に関して
あまりにも無責任すぎるのではないかと。

しかしだからと言って行政に携わりたいのか
と問われてもYesとは言えません。
何事も数字的に捉える社会の基盤と
固く難しい言葉遣いが必要な場は
息の詰まる場所だからです。

では、私は何をしたいのか。
どうやってこの世界に貢献したいのか。

今までずっと外側にばかり向けていた目を
自分の内側に、向けました。
すると見えてきました。
私はどう在りたいのか。
どう生きたいのか。

世界に貢献するために自分にできることは
先程述べた2方向のアプローチだけではない
ということに気づきました。

そもそもなぜ今の社会で
多くの問題が表れているのか
ここからのアプローチです。

それは、
何もかも分離された社会だからです。

波紋のように西洋から広まり、
日本はとうの昔に飲み込まれ
途上国ではここ10年でやっと
農村部まで行き渡ってしまいました。
それがスラム街などの貧困・格差問題、
世界各国の社会・環境問題となって
表面化しているのです。

まず、この世に産まれた瞬間から
母子の分離
(生きる中で何よりも1番大切な時間)

生活と学校教育の分離

本来一体だった
衣・食・住の作り手と消費者の分離

人工線で区切られ地縁(結)・血縁(家族)の分離
→文化・知恵・祖先への感謝が
 引き継がれなくなる
 核家族が増加し、助け合いがなくなる

そして国という概念で線を引くことにより
地球上における
民族や地域性の分離

なぜなら、
分離させた方が
お金が効率よく回るからです!
そして支配が可能になるからです!
全て数字化。

どの分離も関係の無いように思えますが
こう見ると全て繋がっていることが
分かるでしょうか?

そして1番大きな分離が
天・大地(自然)と人間の分離です。

今の世界は何もかも、
人間だけで決めて作り上げた世界です。

お金を効率よく回したいのも
上に立つ者として支配したいのも
全て人間の欲望・欲求です。

そしてこれが元となって
間接的にたくさんの歪みを生み出しています。

この歪みを元に戻すために
今私たち人間がこの地球に生きるのならば
絶対に思い出さなければいけないことが
あります。

それは、土地の声に耳を傾けることです。
人間の欲望だけで物事を決めるのを
やめるということです。

土地が広いから観光地にしたい。
この土地を利用して何かお金を作り出せないか。

まだそんなことを考えている人へ。
現に、人間の欲望が地球の限界を押し破っている
状態ではないですか。

この地球に、小さな微生物たちがいないと
私たちは生きれない。
太陽や水、火がなければ
私たちは生きれない。

生かされているという感覚がありますか?

土地はどうしてほしいのか。
豊かな土で、どんな野菜を作ってほしいのか?
米や麦を作ってほしいのか?
それとも、そのまま自然に
元の姿に戻りたいのか?
この上で、人に住み続けてほしいのか?
本当にコンクリートで固めてほしいのか?
木を切ってほしいのか?植えてほしいのか?

ちゃんと土の声に耳を傾けて
一人一人が向き合っていく必要があります。
共同創造です。

土地の声を聞くことがいつしか
母子、衣食住、地縁・血縁とそれを超えた縁
地球上のあらゆるものの分離
の再結に繋がるのです。

目の前の苦しみを直接助ける訳でもない。
行政や法律を変える訳でもない。

それでも、どこか他の土地に行かずとも
ここでできることがあります。

土地の声を聞こうとすることができます。
これは
分離された何かと何かを結び直し
歪みを元に戻すことに繋がります。

天と地に挟まれた人という役割を
果たすことができます。

こうして自分の足元から
結び直す世界を少しずつ創り出し
波紋のように少しずつ周りに広げ
各地に点在する波紋同士と繋がれば

この世の歪みを元通りにし
新たな世界を創るという
立派な世界貢献となるのです。

今目の前のことからコツコツと。
私にできることをやっていきます。

そしてネパールで出会い
私にたくさんの気づきを
もたらして下さった方々へ
彼・彼女たちに対して
直接何かすることはできなくても

「あなたと出会ったおかげで
私はこんなにも変われたんだ。
あなたとの出会いが
分離された社会を結び直したいという
私の原動力となっている。
ありがとう。」
この感謝の気持ちが
いつか届けばいいなと思っています。

そして、今を一生懸命に生きる
彼・彼女たちに恥じない生き方
しようと思います。

今まで国際支援や社会貢献に
興味があったけれど
イマイチ自分のポジションが
見つからない…
と違和感を覚えていた方々に
この話からピンとくるもの
なにか突き刺さるものがあれば
幸いです。

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