現代版文福茶釜 「分福茶釜に憧れて、女子高校生になりました!」
あらすじ
化け狸の宇山有為は、分福茶釜の伝説に強く憧れ、いつか立派な茶釜に化けたいと願っていた。
しかし、現代では茶釜を見る機会すらなく、人々は電子ポットやペットボトルでお茶を楽しんでいる。
夢を叶えるべく、有為は親の反対を押し切り、里を飛び出して人間の世界へ。
子供に化けて街を探索するうち、有為は「女子高校生」に変身するのが一番楽しいと気づく。
セーラー服や自由奔放な生活、そして美味しいものに囲まれて、毎日を満喫するようになった有為。
ある日、ようやく念願の茶釜を手に入れたものの、誰からも称賛されることはなく、孤独を感じる。
やがて不満が募り、女子高生の姿で街中での悪戯を企むが、上品な佇まいの女子高生・静御前(実は化け狐の紗理奈)に正体を見破られ、「狩人に狩られるぞ」と忠告される。
紗理奈から高校生活の礼儀や仕草を学び、次第に人間社会に馴染んでいく有為。彼は再び「立派な茶釜」に化けることを目指しながら、変身の力を駆使して周囲の人々と不思議な絆を築いていく。
しかし、その一方で、狩人が彼の正体を暴こうと影から狙っていた…。
最後に有為は、化け狸としての誇りと茶釜の夢を守るため、仲間たちと共に狩人との対決に挑む。
登場人物
主人公:宇山 有為(うやま うい)
正体:化け狸
変身後の姿:女子高校生(セーラー服が似合う、少しボーイッシュな美少女)
年齢:見た目は17歳
容姿:茶色のサラサラしたミディアムヘア、大きな瞳とやんちゃな笑顔が特徴。狸らしく、ほっぺが少しふっくらしており、動きが軽やか。
口癖:「なんだかんだ、まぁいっか」「分福茶釜になれるまで止まらねぇ!」
好きなもの:甘いもの(特にたい焼き)、茶器やアンティークな物、セーラー服
嫌いなもの:無愛想な人、スマホの文字入力(不器用でうまく打てない)、狩人
特徴:人間界での生活にすぐ順応し、特に女子高生の自由な生活と食べ物に魅了されている。狸特有の「ちゃっかり」した性格で、賢い反面、欲望には忠実。目標は「人々を魅了する分福茶釜に化けること」。茶釜を手に入れた後の本来の姿で人に褒められることを夢見るが、なかなか叶わず奮闘中。
静 御前(しずか ごぜん)/紗理奈(さりな)
正体:化け狐
変身後の姿:上品で才気溢れるお嬢様風の女子高生
年齢:見た目は17歳
容姿:黒髪ストレートのロングヘア、端正な顔立ちで、清楚な雰囲気を漂わせる。猫背はなく、背筋がピンと伸びている。
口癖:「まったく、もう少し品位をもって」「その程度では化け狐とは張り合えないわよ」
好きなもの:抹茶と和菓子、古風な茶室、香水(特に和風の香り)
嫌いなもの:下品な行動、無礼な態度、狸独特の無邪気さ
特徴:実はかなり世話焼きな性格で、有為の素行や言動にたびたび苦言を呈するものの、彼を放っておけず助けてしまう。都会の狩人たちの情報に詳しく、女子高生姿の有為が危険な目に遭わないよう注意を促す。有為とは茶釜と抹茶好きという共通の趣味を持ち、同じ茶器専門店でたまたま出会った。
佐々木(ささき)
正体:人間(サラリーマン)
役割:有為に茶釜をプレゼントしたが、正体を知らずに下心から親しげにしてしまう
年齢:50歳
容姿:少し禿げかけた中年のサラリーマン。だらしないスーツ姿と愛想のない表情。
口癖:「欲しいんだったら、買ってやってもいいぞ?」
好きなもの:若い女子高生に話しかけること、安くて美味しい居酒屋
嫌いなもの:無視されること、自分の思い通りにいかないこと
特徴:茶器に特別な興味はないが、会社帰りに出会った有為(女子高生姿)に気を引こうと「茶釜」を買い与える。しかし有為の化け狸の姿を見て逃げ出す臆病者でもある。
『分福茶釜に憧れて、女子高校生になりました。』
俺の名は宇山有為(うやま うい)、田舎の山里に住む化け狸だ。
爺様や親父たちからは、昔から「立派な化け狸になるんだぞ」と言われて育てられた。
だが、俺には昔話で聞いた「分福茶釜」に特別な憧れがあった。
分福茶釜——それは人間たちを笑顔にし、幸せを振りまく不思議な茶釜。俺は子供の頃から、その伝説を何度も聞かされてきた。
どんなに冷たい風が吹こうと、嵐が来ようと、心の中にはいつも分福茶釜の優しい温もりがあった。
そして俺は、心に誓ったんだ。いつか分福茶釜のような立派な茶釜に化けて、人間たちを喜ばせたいと。
だが、時は令和六年。村の老人たちはこう言う。
「茶釜なんぞ、もう使うやつはいねぇ」と。
代わりに聞いたのは、今じゃやかんも使わない人間たちが「電気ポット」とやらでお湯を沸かしてるってこと。
お茶もペットボトルに入ったのを買うだけで、自分で淹れることすらしないらしい。
そんなの、俺には理解できない。
分福茶釜のような立派な茶器に触れたことのない俺には、茶釜がいかに素晴らしいものかを感じることすら許されない。
だが、俺は諦めきれなかった。
親父もお袋も、山の友達も、茶釜を見たことがないと言っても、俺の心の中には、まだ「分福茶釜」に会いたいって強い想いがくすぶっている。
だから俺は、ついに決めたんだ。自分の足で人里に降りて、茶釜を探すって。
親父は「危ないぞ、やめとけ」と言ったが、俺にはもう止められない。
「分福茶釜」を見たい、触れたい、そして…その茶釜に化けたいんだ。
ふもとの道に立ち、俺は決意を新たにした。
山を抜け、人里の町並みが見えてきたとき、俺は胸が高鳴った。
茶釜があるはずだ…その思いだけで、久しぶりに自分の殻を抜け出せた気がする。
最初のうちは、目立たないように子供の姿に化けていた。
人間の街は思っていたよりも騒がしく、山の静けさに慣れていた俺には息苦しい。
だけど、町中を歩くたびに聞こえる人々の笑い声や活気に、俺の気持ちはどこか浮き立っていた。
しかし、町中を歩いても、茶釜を見かけることはなかった。
茶器屋を探しても「茶釜はもう扱っていない」と言われるばかり。
俺の「分福茶釜」への憧れは、この現代の人間たちには届かないのか…そんな不安が、次第に心の中で膨らんでいく。
それでも、俺はあきらめきれなかった。
何か手がかりがあるかもしれないと、今度は別の姿に変化してみようと思いついた。
それは最近町で見かける女子高校生たちの姿だった。
彼女たちの姿は俺にとって、自由で、飾らず、そして人間の中で何よりも楽しそうに見えた。
まさに「自由気まま」な狸のような存在だ。
こうして俺は、セーラー服を身にまとい、髪を耳まで隠すほどに長くし、完全に女子高生の姿で町を歩くようになった。
思いがけず、気軽に声をかけられたり、店で食べ物を奢ってもらえたり、人間たちの親切がこんなにも温かいものだと感じた。
けれど、茶釜の手がかりは一向に見つからない。
茶器の代わりに見つけたのは、俺が人間の中でどれだけ馴染めるか、そして彼らとの交流の楽しさだった。
そして少しずつ、「俺はなぜ分福茶釜に憧れたんだろう?」という問いが浮かび上がってきた。
「分福茶釜に化けて何をしたかったんだ?」
それは人間を驚かせるためじゃない。
人間に喜びや温もりを与え、俺自身もその一部でありたいという願望だった。分福茶釜の伝説を通して、俺が本当に求めていたのは「人間とのつながり」だったんじゃないか。
俺が憧れたのは、茶釜そのものじゃなく、人間たちが繋がり合って笑い、温もりを感じている姿だったんだ。
そして俺は、化け狸としての自分にとってのテーマを見つけた気がした。
「俺が茶釜に化けることが、どれだけ人間の心に触れられるかを試す旅なんだ…..。」
町での女子高生生活を始めてしばらく経ったある日、俺は「宇山有為」という人間の名前を手に入れ、地元の高校に通うことに決めた。
狸としての俺には、女子高生としての「自由で気まま」な生活は楽しくて仕方がなかった。
授業の内容はちんぷんかんぷんだったが、昼休みにはパンやお菓子を買いに行ったり、友達と笑い合ったりと、人間の生活にどっぷりと浸かっていった。
そんな中、クラスメイトの一人、静御前紗理奈(しずみさと さりな)と名乗る女子が、ある日、俺に近づいてきた。
長い黒髪に古風な美しさを持つ紗理奈は、他のクラスメイトとは少し違った雰囲気を纏っていた。彼女がじっと俺を見つめるその目には、不思議な力があるように感じた。
「あなた、化け狸でしょ?」と、彼女が静かに呟く。
思わず身を引いた。
正体を見破られたとわかり、心臓が跳ね上がるのがわかる。
俺は彼女を見つめ返し、少しでも平静を装おうとした。
「どうして、そんなことを…?」
「匂いでわかるわよ」と紗理奈は微笑む。
「私も、同じように化けているから。」
彼女はなんと化け狐だったのだ。
紗理奈は、自分もまた人間に化けてこの街で生活をしていること、そして人間社会でのふるまいや危険について忠告してくれた。さらに、最近この町に「狩人」と呼ばれる者が現れ、化け物を狙っていることも教えてくれた。
俺は、そんな存在がいることに衝撃を受けたが、次第にその話に興奮を覚えた。
「分福茶釜」の伝説のように、人間社会に潜む謎めいた者たちと遭遇できるかもしれないという思いに、胸が高鳴ったのだ。
ある放課後、紗理奈と一緒に町を歩いていた俺は、小さな茶器専門店を見つける。喜びに胸が震え、思わず店内に駆け込んだ。
そこには、小さな茶釜がいくつも並んでいた。
その光景に夢中で見入っていると、店の奥から禿頭の男がニヤリと笑いながら近づいてきた。
俺はなんだか嫌な予感がしたが、男が「欲しいものがあるなら買ってやるぞ」と囁いた。
ただの親切な人間だと思って一度は茶釜を選び、男に買ってもらったが、男はその後も執拗に俺につきまとい、何か不気味な空気を醸し出していた。そしてとうとう、
俺を人目のない裏路地に連れ込み、いかがわしいことをしようとしたのだ。
恐怖と嫌悪が込み上げてきた瞬間、俺はついに本来の姿に戻って化け物の姿で彼を脅し、全力でその場から逃げ出した。
その後ろには、悲鳴を上げて逃げ惑う男の姿があった。
この出来事は、俺にとって大きな転機となった。
化け狸としての力を使っても、俺は人間社会の闇に巻き込まれる可能性がある。
紗理奈の忠告が胸に重くのしかかり、俺はこの世界でどうやって生きるべきかを真剣に考えるようになった。
紗理奈と再び顔を合わせた時、彼女は言った。
「あなたがやろうとしていることは危険よ。もしもこのまま適当に人間の真似事をしていたら、本当に狩人に見つかってしまうかもしれない。」
俺は、それでも「分福茶釜のような存在になる。」
ことを諦められないと告げた。
だが、紗理奈はそんな俺に冷ややかな目を向けた。
「なら、もっと人間を知ることね。まずはその身だしなみと、匂いから見直しなさい。このままじゃとても分福茶釜にはなれないわよ。」
こうして、俺の新たな決意とともに、紗理奈の指導の下で“本物の人間”になるための試練が始まった。
紗理奈の助言を受け、「本物の人間」になるための修行が始まった。
俺の夢である「分福茶釜に化ける」という目標に一歩近づくため、まずは日常生活から徹底的に「人間らしさ」を身につける必要があるらしい。
紗理奈は化け狐として人間社会でうまくやっているだけあって、そのアドバイスは的確で、俺の知らない「人間らしさ」のコツを教えてくれる。
例えば、匂いの問題。紗理奈によると、俺は山の動物っぽい匂いが残っているらしい。
「もう少し都会の香水を使ってみるといい。」と勧められ、初めて香水というものをつけてみる。
慣れない香りに戸惑いつつも、少しずつ「女子高生」としての立ち振る舞いを学んでいくことに。
また、紗理奈は「もっと女子高生っぽい趣味を持つべきだ。」とも言う。
彼女の提案で、カフェ巡りやスイーツ食べ歩きに付き合うことになり、そこでさらに女子高生っぽさを磨いていく。
俺は徐々に新しい自分を見つけるようで、今まで知らなかった楽しみを味わうようになっていった。
ある日、クラスの女子グループに誘われてカラオケに行くことに。最初は戸惑ったが、無邪気に楽しむ友達を見て、俺も思い切って声を張り上げた。
歌うことの楽しさを知り、どこかで本当に「女子高生として生きている。」という実感が湧いてくる。
この新しい生活が、自分の夢を叶えるためのステップだと信じて。
そんなある日、俺は放課後の教室で偶然、紗理奈と男子生徒の川上健斗(かわかみ けんと)との会話を聞いてしまう。
健斗は少し無骨で真面目そうな少年で、以前から紗理奈とは顔見知りのようだった。
どうやら健斗も、普通の人間ではないことがわかった。
彼は「狩人」一族の末裔であり、妖怪や化け物を監視・取り締まる役目を担っているらしいのだ。
紗理奈は「お互いに手を出さなければ平和に過ごせる。」という姿勢で接しているが、健斗は化け物に対する警戒心が強く、特に最近、町に不穏な動きがあることを紗理奈に忠告している。
俺はこの話を聞いて一気に身の毛がよだつ。
狩人である健斗が俺の正体を知れば、すぐにでも「排除」されるかもしれない。
紗理奈にとっても彼は一触即発の存在であり、二人の間には微妙な緊張感が漂っているのだと感じた。
この出来事をきっかけに、俺はさらに一層「人間らしく」なろうと決意を新たにする。
もしも健斗に自分が化け狸だと気づかれないようにできれば、夢である「分福茶釜に化けて人間を魅了する。」
という目標も、きっと叶えられるはずだと信じて。
ある日、紗理奈と一緒に訪れた骨董店で、ついに念願の「分福茶釜」に似た立派な茶釜を見つけた。
輝く金属の質感、精緻な細工、そして長い時を経た重厚感──まさに理想の茶釜だった。
俺はその茶釜を見た瞬間、胸が高鳴り、「俺もこんなふうに美しく、尊敬される存在になりたい。」と強く思った。
紗理奈も「夢に一歩近づいたわね」と微笑み、応援してくれる。
しかし、その喜びもつかの間、茶釜に手を触れようとした瞬間、奇妙な寒気が走った。
振り返ると、そこにいたのは健斗だった。
どうやら彼もこの骨董店を見回りに来ていたらしい。
健斗はじっと俺を見つめ、「その茶釜には何かしらの怨念があるらしい。普通の人間なら近づかない方がいい。」と警告してきた。
その後、健斗は「最近、街に化け物の気配が増えている。
もし、周りにおかしな者がいれば教えてほしい。」
と厳しい口調で言い残し、去っていった。
俺は冷や汗をかきながらも、彼に気づかれていないことに安堵しつつ、自分の存在がリスクだと再認識する。
健斗が自分の正体に気づく日が近いのでは、と不安が募っていった。
しかし、その不安を振り払うように、俺は自分の夢を叶えるために、もっと人間らしい生活に力を入れる決意をした。
今まで以上に女子高生の姿に徹し、学校の行事や部活にも積極的に参加し始めた。
友達との交流も増え、人間としての生活が充実し、俺の心の中に本当に「人間になりたい」という想いが芽生え始める。
俺が「女子高生」として充実した日々を過ごしている一方で、街には不穏な噂が広がり始めた。
どうやら、最近目撃された「不審な女子高生」の存在が話題になっており、「街の妖怪伝説が再来した」という噂まで飛び交っている。
俺が化け狸として周囲の注意を引きすぎているのかもしれない、という焦りが生まれた。
さらに、健斗も本格的に街の調査を始めており、「怪しげな存在」を徹底的に排除するつもりのようだ。
彼の存在が俺にとって最大の脅威となり、これまで築き上げてきた「女子高生としての生活」が崩れるかもしれないと恐怖を感じるようになる。
その一方で、紗理奈も俺のことを心配しつつ「バレないようにもっと気をつけて。」
とアドバイスをくれるが、「正体を隠して生きることの難しさ。」を彼女も痛感している様子だ。
彼女自身も化け狐であることがバレるリスクがあるため、周囲への警戒が強まり、俺たちの関係にも少しずつ影が差してきている。
追い詰められた状況の中で、「茶釜としての夢を叶えるために、どこまでリスクを冒して良いのか。」
という葛藤が俺の胸中で渦巻き始める。
そして、「人間らしい生活」を守りたい一方で、本当の自分を受け入れてもらう方法はないのかと悩み始め、次第に揺れ動く心に不安が募っていった
。
俺の人生が完全に崩れ去った瞬間が訪れた。
ある晩、学校帰りに紗理奈と一緒にいたとき、突然、健斗が現れた。
彼は俺の正体に気づいたようだった。
俺の姿があまりにも不自然だと感じていたのだろうか。
だんだんと追い詰められていく自分に、心の中で「バレるのは時間の問題だ」と思いつつも、なんとかその場を誤魔化していた。
しかし、健斗の目が鋭く、俺の逃げ道を全て塞いでいた。
健斗は、俺の化け狸の正体を暴露するつもりはなかったが、今後どんな手を使っても俺が「人間として生きる」ことは許さないと断言した。
正体がバレると、俺が化け狸であることを知っているもの全てが危険にさらされるからだと。
彼は警察に通報すると言い、俺の心に恐怖と絶望が広がった。
その夜、俺はひとり、街の隅にある廃工場に逃げ込んだ。
そこでしばらく一人で過ごすことを決めたが、その間、心の中で繰り返されるのは「こんな自分を変えられないのか」という悩みだった。
人間になりたかった、ただそれだけだったはずなのに、どんどんと世界は俺を追い詰め、誰にも理解されない孤独感がますます強くなっていった。
紗理奈にも言えなかった。
化け狐の彼女もまた、自分の正体が危うくなることを恐れていた。そ
れに、俺が何をしても、結局は誰かに気づかれて、すべてが無駄になってしまう気がした。
すでに友達として築いた関係さえも、崩れていくことが予感された。
このまま俺は、ただの「化け物」になり果てるのか?
俺の夢も、誰にも分かってもらえないのか?
今の俺にできることは、何もかも失ってしまったという絶望感だけだった。
完全に絶望の淵に立たされているとき、心の中で何かが変わり始めた。
目を閉じると、何度も耳にしてきた言葉が浮かんでくる。
「夢を見ることは大事だが、そのために誰かを傷つけてはいけない。」
あのとき、父親が言っていた言葉だ。
俺はその言葉をずっと心の中で大切にしてきたが、今、振り返ってみると、俺はその「夢」のためにどれだけ周囲を傷つけてきたのだろうか。
家族、友達、そして紗理奈。すべての関係が壊れそうになっている。
そしてふと思った。
何のために人間になりたかったのか?
本当の理由は、ただ「人間らしい生活を送ること」ではなく、ただ一人でも自分を認めて欲しいという承認欲求だったのかもしれない。
それが、今の俺を苦しめている。
心の奥底では、自分の存在を他人に認めてもらうことばかりを求めていた。
それが、どれだけ無理なことか、今になって痛感している。
だが、このままでいいのだろうか?
過去にこだわり、失ったものばかりを悔やんでも、もう戻ることはできない。今更、変わることができるのか?
そんなとき、突然、紗理奈の声が頭に響いた。
「あなたがなりたいものを、もう一度考えてみて。あなたは誰かを演じる必要はない。自分をそのままで、誰かに受け入れてもらう必要なんてないはずだよ。」
その言葉に、少しだけ希望が湧いた。
正体を隠し続けるのではなく、ありのままの自分で生きる勇気を持つべきだという気がしてきた。
そして、心の中で一つの決意が固まった。
「もう、逃げない。正体を明かして、俺が誰かに認めてもらうために戦うんだ。」
今度は、全てを受け入れる覚悟を持って、俺は再び歩き始めることを決意した。
俺は決心した。
あの晩、すべてを背負って、もう一度紗理奈に会いに行った。
正体を明かし、これまでの自分の弱さを告白するために。
紗理奈が俺の前に立った時、あの時のような冷たい目ではなく、少しだけ柔らかい視線が俺を迎えてくれた。彼女は静かに言った。
「本当に決めたの?」
「うん、決めた。もう逃げない。俺は…俺は、自分を誤魔化さない。化け狸としての姿を受け入れて、みんなに伝えるんだ。俺がどんな存在でも、ちゃんと向き合って生きる。」
その言葉を伝えると、紗理奈は黙って頷いた。
そして、何かを決意したような表情を見せて、「なら、行こう。あなたがそのままでいいって気づく場所があるから」と言った。
彼女は俺をその場所へと導いてくれる。
そこは、昔から狸たちが集まる場所だと教えてもらった。
人間には見えない、狸たちの集落。
化け狸たちはそこに集い、隠れて暮らしている。
紗理奈はそこで、俺がどんな存在であっても認めてもらえるだろうと言った。
俺はその集落で、ようやく自分を受け入れてくれる仲間たちに出会った。
彼らはみんな、化け狸で、時に化け狐や他の動物に変身している存在だった。
しかし、誰もが己の存在に誇りを持ち、人間に化けて生活しているわけではなかった。
化け狸として生きること、それが彼らの選択であり、誇りだった。
その中で、俺は自分が本当に望んでいたのは「人間になりたかった」わけではなく、「自分を隠さずに生きること」だと気づいた。
狸としての存在も、他の生き物としての姿も、すべてが俺を形成する大切な部分だということを、初めて理解できた。
俺は自分を受け入れる覚悟を決め、集落で過ごしながら、時折人間の姿にも化けることがあった。
人間社会に戻ってみると、もう以前のように必死に隠れたり、他人の期待に応えようとしたりすることはなくなっていた。
ある日、久しぶりに学校に行った。
相変わらず周りの目は気になったけれど、もう気にしなかった。誰かが俺を変に思ったり、怪しんだりすることがあったとしても、それを恐れずに生きることが大切だと思ったからだ。
そして、紗理奈も変わらずに俺を支えてくれていた。
彼女は俺を本当に理解してくれて、俺が化け狸であっても、他の誰かであっても、受け入れてくれる存在だった。
今までの孤独と不安は、すべて過去のものになった。
その後も、俺は狸としての存在を大切にし、時々街の人々の間で助けたり、少しのいたずらをして笑ったりして過ごしている。
人間に変わる必要なんてなく、化け狸としても十分幸せだと思えた。
俺はこれからも、人間と狸としての両方を楽しみながら、自由に生きることを選んだ。
もしかしたら、誰かに認めてもらわなくても、自分自身で満足できる日々を送ることが本当の意味での幸せなのかもしれない。
そして、あの夢見た「分福茶釜」への憧れも、今では少し違う形で俺の心に息づいている。
人々が求めるものを提供し、彼らを楽しませること。それが俺の新しい目標だ。
結局、俺はずっと狸のままでいるのだろう。
しかし、それが一番自分らしい生き方だと、今では胸を張って言えるようになった。
春の温かな日差しが町に降り注いでいた。
桜の花が舞い散る中、俺は再び学校の前に立っていた。
風が頬を撫で、心地よい空気が鼻を抜けていく。
以前のように、人々の目が気になったり、恥ずかしくて隠れたくなったりすることはなかった。
自分を隠す必要がなくなったからだ。
狸としての姿も、他の姿も、どれも俺を構成する大切な部分。
自分の存在を誇りに思い、他の誰かに合わせることなく生きることが、こんなにも自由だと感じられるなんて、思いもしなかった。
歩きながら、ふと足元を見ると、今日もまた一匹の小さな狸が、校庭の隅にちょこんと座っていた。
その姿を見て、自然と微笑みがこぼれた。
もう彼のように、誰かに隠れることはしない。
化け狸としての誇りを持ち、人間の世界でも自由に生きることができる。
今の自分にぴったりな形で。
「うい、今日はまたなんか面白いことしようぜ」と、紗理奈の声が後ろから聞こえた。
振り向くと、彼女はいつものように俺を見守っていて、その目にはいつもの優しさと、少しだけ誇らしげなものが混じっている。
「うん、いいね」と、俺は答えた。そして、彼女と並んで歩きながら、心の中で思った。
“俺は、もう何も恐れない。狸として、あの「分福茶釜」のように、自由に人々を楽しませることができれば、それが一番素晴らしいことだ。”
そうして、俺は自分をそのままにして、これからの未来に向かって歩き続ける決意を新たにした。
誰にも気づかれることなく、人々の心にひっそりと、でもしっかりと存在して、楽しさや温かさを届けるその役目を果たすこと。
それが今の俺にできることだ。
そして、最後に振り返ったその時、空に広がる桜の花がふわりと舞い落ちてきた。
どこか懐かしく、優しく、そして強く思えた。
それは、俺の新しい生き方の象徴だった。今、僕はありのままでいいんだ。
そして、桜の花と共に、俺はさらに前を見て歩き出した。
宇山有為は、女子高校生として生きる事決めたけど。
毎朝、鏡の前で茶釜に変身して楽しんでいる。
続く。
これは、やかんです!!!!