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現代版子育て幽霊 「甘き闇の子守唄」 —夜毎、飴を求める女—
あらすじ
都心から少し離れた地方都市の商店街に、一軒の老舗の和菓子店「水無月堂」がある。
時代の流れとともに客足が減り、店主・水無月彰人(みなづき あきひと) は店じまいを考えていた。
ある晩、店を閉めようとした時、古びた着物を着た 青白い顔の女 が現れ、「水飴を分けていただけますか」 と震える声で頼んできた。
女は代金を置き、飴を受け取ると、静かに闇の中へ消えていく。
それが何日も続き、彰人は不気味に思い始める。
ある日、常連客の老婆が女の姿を目撃し、「あの女……死んどるよ」 と震えながら言う。
老婆は、かつてこの町で起きた 「ある未解決の幼児失踪事件」 について語り出す。
興味を持った彰人は調査を始めるが、次第に彼の身の回りで怪奇現象が起こり始める。
幽霊が飴を買い続ける理由は何なのか? そして、その女と失踪事件にはどんな関係があるのか?
恐怖と哀しみが絡み合う中、彰人は 「この世に留まるべきではない者」 の哀切な願いを知ることになる——。
🔻主人公:水無月 彰人(みなづき あきひと)
年齢: 38歳
職業: 老舗和菓子屋「水無月堂」三代目店主
容姿:
・身長175cm、痩せ型で神経質そうな顔立ち。
・髪は肩につくほどの長さで、無造作に後ろで束ねている。
・目の下にクマがあり、どこか影のある雰囲気。
・白い作務衣にエプロンをつけているが、どこか不精な印象。
性格:
・理屈っぽく、商売よりも職人気質な性格。
・無駄話が嫌いで、客とも最低限の会話しか交わさない。
・幼い頃、父親から厳しく育てられたため、人付き合いが苦手。
・しかし心の奥底には、「本当は店を続けたい」 という葛藤がある。
口癖:
・「……まぁ、どうでもいいけどな。」(本当は気にしているが強がる)
・「この町も終わりだな……。」(寂れた商店街を見て)
・「飴なんて今どき誰が食うんだよ……。」(しかし彼自身は大好き)
🔻幽霊の女(桜庭 澄江 / さくらば すみえ)
年齢: 享年27歳(30年前に死亡)
職業: 元
・工場作業員
容姿:
・色白で青白い肌。・髪は長く、濡れたように艶があるが、ところどころ乱れている。
・黒い和服を着ており、袖や裾が湿っている(井戸での死を暗示)。
・指が異様に細く長い。爪は薄紅色で美しいが、どこか不気味。
・歩くと、ほんのりと 「水飴の甘い匂い」 がする。
性格:
・普段は静かで寡黙だが、時折「微笑む」ことで不気味さを演出。・子どもに対しては異常なほど優しく、慈愛に満ちている。
・しかし 「赤ん坊を捨てた人間」 に対しては激しい憎悪を抱く。
口癖:
・「……水飴を、ください。」(ほぼ毎晩、同じセリフ)
・「あの子に、甘いものを……あの子が、お腹を空かせているの……。」(赤ん坊の存在をほのめかす)
・「……お前も、裏切るの?」(彰人が真相に迫ると、低く囁く)
🔻老婆・菊乃(きくの)(町の語り部)
年齢: 78歳
職業: 商店街の雑貨屋の店主
容姿:
・背が低く、腰が曲がっているが、目つきは鋭い。
・シワだらけの顔に、紅を引いた唇が不気味。
・いつも和服を着ており、古い数珠を握っている。
性格:・
昔の事件をよく知っており、町の秘密を抱えている。
・彰人には親切だが、時折「知りすぎるな」と忠告する。
・澄江のことを「哀れな女じゃが、あの世へ帰らせてやらねばならん」と語る。
口癖:
・「あんた、もうやめとき……知りすぎると、呑まれるよ。」
・「昔、この町でな……こんな話を聞いたことがあるんじゃが……。」
・「……まだ、終わっとらんのじゃなぁ……。」
🔻宮司・三田村 正道(みたむら まさみち)(霊的な導き手)
年齢: 62歳
職業: 地元の神社の宮司
容姿:
・細身で背が高く、長い顎ひげを生やしている。
・和服の上に、白い神職装束を羽織っている。
・冷たい目をしており、あまり笑わない。
性格:
・無愛想だが、霊的な現象に対して詳しい。
・幽霊を「成仏させる」ことには積極的だが、関わりすぎるのを避けたがる。
・幽霊よりも「人間の業」の方が恐ろしいと考えている。
口癖:
・「幽霊というのはな……人が作り出すものだ。」
・「死んだ者は、静かに眠るべきなのだが……な。」
・「……お前は、彼女を救いたいのか? それとも、彼女から逃げたいのか?」
主な登場人物
🔻失踪した赤ん坊(澄江の子供 / 幽霊の男児)
年齢: 享年0歳(生後6ヶ月で死亡)
容姿:
・小さな白い手足。
・顔ははっきり見えないが、うっすらと黒い瞳が光る。
・泣き声が、どこか遠くから響くように聞こえる。
特徴:
・幽霊の姿で登場するが、実体はない。
・物語が進むにつれ、泣き声が強くなる。
・最後、彰人の手のひらに 小さな指が触れる感触 を残して消える。
泣き声:
・「……オギャァ……オギャァ……」
・「ア……ア……」
・「マ……マ……」
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現代版子育て幽霊 「甘き闇の子守唄」 —夜毎、飴を求める女—
第一章 夜毎、戸を叩くもの
店を畳むべきかどうか——。
それを考え始めたのは、もう半年以上前のことだ。
俺の店、「水無月堂」は、戦後すぐに祖父が始めた和菓子屋で、二代目である父から俺が継いだ。
しかし、今どき和菓子なんて流行らない。
ましてや、うちみたいな昔ながらの手作りの店にわざわざ足を運ぶような客はほとんどいない。
商店街全体が寂れて久しい。
俺が子どもの頃は、ここを歩けば威勢のいい魚屋の声や、豆腐屋のラッパの音が聞こえてきたものだが、今はほとんどのシャッターが閉まったままだ。 昼間に開いているのは、古くからある雑貨屋の「菊乃屋」と、俺の「水無月堂」くらいなものだ。
年寄りがぽつぽつ買い物に来る程度で、若い客は皆無。
どうしても必要なものがあれば、みんな駅前の大型スーパーか、車で郊外のショッピングモールへ行ってしまう。
「……このまま続けても、仕方がないよな。」
そう思いつつ、俺はまだ店を畳めずにいる。
亡くなった父は、和菓子職人としては厳格な人だった。
菓子作りに関しては妥協を許さず、手を抜けば平手打ちが飛んできた。
そんな父に育てられたせいで、俺は和菓子作りそのものには未練がある。
だが、どんなに美味い和菓子を作ったところで、食べてくれる客がいなければ意味がない。
この日も、客足はさっぱりだった。
夜の帳が降りて、俺は店の灯りを落とそうとしていた。
その時——
トントン……トントン……
静まり返った商店街に、戸を叩く音が響いた。
「ん?」
もう閉店時間は過ぎている。
こんな時間に客が来ることは滅多にない。
不審に思いながらも、俺は店の引き戸を開けた。
そこに立っていたのは—— 女 だった。
髪の長い女。
黒い和服を着ており、まるで昭和の時代から時間を止めたかのような姿をしていた。
顔は青白く、唇だけが妙に赤い。
だが、何よりも異様だったのは、その 匂い だった。
甘い匂い。
水飴のような、粘りつくような甘さ が、ふわりと鼻をくすぐった。
——この匂い、どこかで……
そう思う間もなく、女は小さく口を開いた。
「……水飴を、ください。」
低く、震えるような声だった。
「……ああ、水飴か。」
俺は戸惑いながらも、女が持っていた陶器の器に、丁寧に水飴をすくって入れた。
「はい、一つ百円です。」
女は静かに頷き、小銭を差し出した。
その指は、異様なほど 細く長い 。
女は代金を払い、器を両手で大事そうに抱え、スッ……と音もなく立ち去った。
その後ろ姿を、俺はしばらく呆然と見送った。
第二章 繰り返される夜
それからというもの、女は毎晩、決まって現れた。
時計が夜の十時を回るころ——。
トントン……トントン……
あの 湿った音 が響く。
「……またか。」
戸を開けると、女はいつものようにそこに立っている。
黒い和服。
青白い顔。
甘い水飴の匂い。
変わることなく、同じ言葉を口にする。
「……水飴を、ください。」
俺は戸惑いながらも、器に水飴をすくう。 代金を受け取り、女は去る。
そして、翌晩も——。
女は現れ、同じことを繰り返した。
最初のうちは、「変わった客だな」としか思わなかった。
だが、五日目を過ぎたころから、俺の中に薄ら寒いものが湧き上がってきた。
女の様子が、毎晩、寸分違わず同じだったからだ。
服装も、髪型も、表情も、声のトーンすらも。 器の持ち方、歩き方、去り際の仕草まで——何もかもが完璧に 同じ 。
まるで、ビデオの映像を繰り返し見ているような気分になった。
「……なんなんだ、あの女……?」
俺は、不安と恐怖を感じ始めていた。
第三章 老婆の忠告
「……あんた、それ、幽霊じゃよ。」
雑貨屋の老婆・菊乃は、そう断言した。
「幽霊……?」
「間違いない。そんなもん、人間のすることじゃない。」
老婆は声をひそめ、俺をじっと見た。
「水飴を求める女……それはな、この町で昔、起きた事件に関係しとる。」
「事件?」
老婆は、ぽつりぽつりと語り始めた。
30年前、この町で、一人の女が赤ん坊を抱いたまま行方不明になった——。
第四章 失踪した母子
「……30年前に、赤ん坊を抱いたまま行方不明になった女がいた。」
老婆・菊乃の言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
夜も遅い雑貨屋のカウンターで、俺は湿った畳の匂いを嗅ぎながら、ゆっくりとお茶をすすった。
「詳しく聞かせてくれませんか?」
「……あんた、やめときな。」
菊乃は、まるで墓場の土でも噛みしめるような渋い顔をした。
「知ってどうする。知ったところで、何も変わらん。」
「でも、俺の店に毎晩現れてるんです。その女が。」
「……ほう。」
老婆は、俺の顔をじっと見つめた。
「……水飴を、買いに来るんじゃろ?」
「ああ 。」
「やっぱりな。」
老婆は、深く息を吐き出した。
「名前は、桜庭澄江(さくらば すみえ)。30年前、この町の工場で働いてた女じゃ。」
「桜庭……澄江……。」
俺は、その名前を頭の中で何度か繰り返した。
「澄江は、ある男と恋仲になってのぅ。だが、相手の男は澄江を捨てたんじゃ。」
「捨てた?」
「そうじゃ。男は都会へ逃げ、澄江は幼い赤ん坊と一緒に、この町に取り残された。」
菊乃は湯呑を置き、遠い目をした。
「ある雨の夜、澄江は赤ん坊を抱いたまま家を出て、それっきり帰ってこなかった。そして数日後——町外れの井戸の近くで、赤ん坊だけが捨てられているのが見つかった。」
「……赤ん坊は……生きていたのか?」
「それが、不思議なことにの……。」
老婆は、俺をじっと見た。
「その赤ん坊、何日も経っていたのに、生きとったんじゃ。」
「……!」
「普通なら、衰弱して死んでいるはずなのにな。だが、そのそばには、なぜか 水飴の器 が置かれていたそうじゃ。」
「……!」
水飴の器——。
俺の店に現れる、あの女が持ってくる器と、まったく同じものだ。
「だが、澄江の姿はどこにもなかった。町の者たちは、きっと井戸に落ちたんじゃろうと噂したが、結局、遺体は見つからんかった。」
「……。」
俺は、冷えたお茶を飲み込んだ。
井戸。 赤ん坊。 水飴の器。
そして、毎晩現れる幽霊——。
「……まさか。」
俺の脳裏に、ある考えが浮かんだ。
幽霊の澄江は、もしかすると まだ、あの赤ん坊を育てようとしているのではないか?
第五章 井戸の底に眠るもの
その夜。
俺は、幽霊の女を尾行することにした。
いつものように、夜十時を回るころ——
トントン……トントン……
引き戸を叩く音が響いた。
俺は息を詰めながら戸を開ける。
そこには、いつものように黒い和服をまとった 桜庭澄江 の姿があった。
青白い顔。 甘い水飴の匂い。 そして、細く長い指——。
「……水飴を、ください」
俺は黙って、水飴をすくって器に入れた。
女は静かに頭を下げると、スッと立ち去った。
俺はすぐに戸を閉め、彼女の後を追った。
夜の商店街は静まり返っていた。
路地には、薄暗い街灯の灯りがぽつぽつと灯っているだけ。
女は、一定の速度で歩いていく。
まるで、どこかへ向かうことが決まっているかのように——。
商店街を抜け、住宅街を通り、町の外れへと向かう。
やがて、彼女は 森の入り口 へと消えていった。
「……っ」
俺は、ごくりと唾を飲み込み、後を追う。
暗い木々の間を進むと、やがて視界が開けた。
そこには——
古びた井戸があった。
女は、井戸の前に立ち、器を両手で掲げるようにしている。
その仕草は、まるで 誰かに水飴を与えているかのようだった。
「……。」
その瞬間——
ズルッ……
井戸の奥から、何かが這い上がるような 湿った音 が聞こえた。
俺は息を呑んだ。
暗闇の中、井戸の底から——
小さな白い手 が、ゆっくりと伸びてきた。
その手は、桜庭澄江の水飴の器へと向かい——
掴む。
「……っ!」
俺の背筋が凍りついた。
あの世のものが、まだここにいる。
桜庭澄江は、すべてを失いながらも 赤ん坊を育てようとしているのだ。
そして——
この世にいてはならない その赤ん坊もまた、水飴を求めて生き続けようとしている。
第六章 井戸の底の赤ん坊
ズルッ……ズルッ……
井戸の底から聞こえる 何かが這い上がるような音 。
俺は息を呑み、じっとその場に立ち尽くしていた。
暗闇の中から、小さな白い手 が現れ、桜庭澄江の持つ水飴の器へと伸びる。
その手は、異様に細く、皮膚が透き通って見えるような色をしていた。
——赤ん坊の手だ。
だが、それは この世のものではない。
オンギャア……オンギャア……
かすかに、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
それは、風に紛れるような、かすれた声だったが、確かに 俺の耳の奥に直接響いてきた。
「……っ!」
俺は咄嗟に後ずさった。
すると、桜庭澄江がゆっくりと振り向く。
その顔は……ぞっとするほど穏やかな笑み を浮かべていた。
「……あの子、お腹が空いているの……。」
そう言うと、女は器を赤ん坊の手に差し出した。
小さな手が器に触れると、それはスッと消えた。
——まるで、最初から存在しなかったかのように。
「……な、なんなんだ、これは……。」
俺は震える声で呟いた。
桜庭澄江は、にっこりと微笑んだまま、静かにこう言った。
「この子に……もっと、水飴を……。」
その瞬間、周囲の気温が急激に下がった。
俺の息が白くなる。
どこか遠くで、湿った何かが這い回る音 が聞こえる。
そして——
井戸の奥から、さらに 小さな手 が、もう一本、伸びてきた。
第七章 宮司の警告
翌日、俺は神社の宮司・三田村正道を訪ねた。
「……宮司さん、幽霊の赤ん坊が井戸にいるんです。母親の幽霊が毎晩、水飴を運んでいます。」
三田村は長い顎髭を撫でながら、静かに俺の話を聞いていた。
「ほう……水飴、か。」
彼は一度目を閉じ、しばらく考え込むと、ゆっくりと口を開いた。
「水飴というのはな、古くから 「命を繋ぐ食べ物」 として扱われてきたんだ。」
「……?」
「昔の飢饉の時代、食料がない母親は、飴を舐めてその唾を赤ん坊に含ませ、なんとか飢えをしのいだという話がある。」
「……!」
幽霊の桜庭澄江も、同じことをしているのではないか?
死んだ母親が、この世に留まり、赤ん坊に「食べ物」を与え続けている。
だが、問題は……
「……宮司さん。あの赤ん坊、30年も水飴を食べ続けているってことですよね?」
「……。」
三田村は、ゆっくりと頷いた。
「つまり、すでに 人間ではなくなっている可能性が高い。 」
「……!」
「おそらく、その子の魂は 「水飴を求める存在」 として変質している。普通の方法では成仏できんだろう。」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
三田村は神棚の前に座り、低く呟いた。
「……井戸を封じるしかないな」
第八章 封印の儀式
夜。
俺は再び、井戸の前に立っていた。
宮司・三田村が持参した護符を手に、俺は強く唇を噛む。
これで、この世に留まり続けた母子の魂を鎮める。
三田村が井戸の周囲に塩を撒き、護符を貼る。
すると——
井戸の奥から、また 小さな手 が伸びてきた。
今度は、二本ではなく、四本、六本、八本——
無数の手が、井戸の縁にへばりついている。
「……ひっ……」
俺は思わず後ずさった。
手の数が 増えている 。
「宮司さん! これは……!」
三田村が目を見開き、低く呟いた。
「……あの赤ん坊は、もう一人じゃない……。」
「どういうことですか?」
「30年の間に、あの赤ん坊は 水飴を与えられ続けた結果、無数の存在を生み出してしまった。 」
「……!」
井戸の奥から、子供の笑い声が聞こえる。
しかし、それは ひとつの声ではない。
何十、何百もの子供の声 が、混ざり合ったような 異様な笑い声 だった。
宮司はすぐに経文を唱え、井戸の縁に 護符を叩きつけた。
その瞬間——
ドンッ!!
井戸の中から、強烈な衝撃が走った。
俺は思わず、耳を塞ぐ。
そして、井戸の奥から 最後の泣き声 が響いた——。
「マ……マ……」
その声は、やがて風に紛れ、消えていった。
第九章 甘き闇の子守唄
翌日から、桜庭澄江は現れなくなった。
もう、幽霊は水飴を求めに来ない。
俺は、やっと安堵の息を吐いた。
しかし——
数日後のことだった。
水無月堂のカウンターの上に、見覚えのある器 が置かれていた。
それは、桜庭澄江が毎晩持ってきた、あの 水飴の器 だった。
そして、器の底には——
ほんのわずかに、水飴が残っていた。
俺は、それをじっと見つめながら、ぞっとした。
——あの子は、まだ、この世にいるのではないか?
その瞬間——
耳元で、微かな声が聞こえた。
「……おかわり……」
(完)
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