現代版こっくりさん「螺旋の降霊術師」前編~こっくりさんに憑かれし日々~
あらすじ
安喰工平は「こっくり博士」と名乗る怪異研究者だ。
彼の人生は幼少期から始まった「こっくりさん」との不思議な関係に支配されていた。
毎日百回近くの降霊を繰り返す中で、ただの偶然の産物だったはずのこっくりさんが、実際に霊を降ろす手段へと進化を遂げていく。
行方不明者を見つけたり、占いを的中させたりする一方で、工平の体には代償が積み重なり、次第に人ならざる存在に近づいていった。
ある日、学校の同級生である安土綾香からの頼みを拒否したことで事態は一変する。
彼女が呼び出した魔物と、工平が頼りにする名を持つ武士の霊・石田五郎座衛門。
さらに現れた祟り神が織りなす異形の儀式は、二人の命を翻弄する。
工平はこっくりさんによって予言された「自分の死」を回避できるのか。そして、彼の未来はどこへ向かうのか。
日常と怪異が交錯する恐怖と緊張が渦巻く物語が、今始まる。
主な登場人物
主人公: 安喰工平(あじき こうへい)
年齢: 16歳
性別: 男性
容姿: やや痩せた体型で、少し猫背気味。黒髪でぼさぼさの髪が特徴。目は大きく鋭いが、どこか疲れたような陰を感じさせる。制服はきちんと着るがネクタイは緩めている。
口癖: 「これもまた、降霊術の一環だ」
好きなもの: 古い降霊術の本、緑茶、静かな場所
嫌いなもの: 騒がしい場所、大勢の人が集まるイベント
性格・背景:一見すると落ち着きのある優等生だが、実は大きな秘密を抱えている。自分の命を脅かす怪異に対処するため、工平に助けを求める。自分の意志をしっかり持ち、危険を恐れない勇気を持つ反面、他人を利用するしたたかさもある。降霊術に関する知識は浅いが、未知の力に対して天性の感応力を発揮する
ヒロイン: 安土綾香(あづち あやか)
年齢: 16歳
性別: 女性
容姿: 髪はセミロングの栗色で、清楚な外見を持つ。目は切れ長で端正な顔立ちだが、どこか冷たさを感じさせる。制服の着こなしは整っているが、いつも首元に黒いリボンを結んでいる
口癖: 「助けてもらうからね。お願い。」
好きなもの: 花(特に百合)、香水、夜空を眺めること
嫌いなもの: 虫、裏切り、孤独
性格・背景:一見すると落ち着きのある優等生だが、実は大きな秘密を抱えている。自分の命を脅かす怪異に対処するため、工平に助けを求める。自分の意志をしっかり持ち、危険を恐れない勇気を持つ反面、他人を利用するしたたかさもある。降霊術に関する知識は浅いが、未知の力に対して天性の感応力を発揮する。
霊: 石田五郎座衛門(いしだ ごろうざえもん)
年齢: (生前)34歳
性別: 男性
容姿: 実体化すると、古風な武士の姿をしている。黒い着物に鎧をまとい、腰には二本の刀を差している。目つきは鋭いが、どこか厳格な雰囲気を持つ。
口癖: 「忠告を聞け。それが貴様の命を繋ぐ唯一の道だ。」
好きなもの: 鍛錬、義を重んじる心
嫌いなもの: 無謀な行動、裏切り
性格・背景:戦国時代の武士で、主君のため命を捧げた後、封印されていたが工平によって現代に呼び出される。自らの信念に基づき、工平を守る代わりに厳しい条件を課す。降霊術の力の危険性を熟知しており、工平にしばしば警告を発するが、その忠告は軽視されがち。幽霊としての「力の代償」を工平から少しずつ奪う。。
祟り神: 祓影(はらいかげ)
年齢: 不明
性別: 不明(中性的な声)
容姿: 身体は巨大な黒い影のようで、人の形を保ちながら不気味に揺らいでいる。頭上には二本の角が浮かび、目には赤い光が灯る。現れると強い風と雷鳴が伴う。
口癖: 「我に挑む愚か者よ、命を賭してみるか。」
好きなもの: 奉られること、恐怖を与えること
嫌いなもの: 不敬、強い意志を持つ者
性格・背景:古来から恐れられる祟り神で、過去に多くの人命を奪った伝説がある。安土綾香が誤って降霊したことで物語に登場。高圧的かつ無慈悲で、相手の弱みにつけ込む策略家。工平に興味を抱き、彼を自身の道具として取り込もうとする。
工平の親友: 藤巻彰人(ふじまき あきひと)
年齢: 16歳
性別: 男性
容姿: 小柄で丸眼鏡をかけた優しげな少年。茶色の髪を七三分けにしている。いつもリュックを背負い、文房具を持ち歩いている。
口癖: 「そんなこと、本気で信じてるのか?」
好きなもの: 映画(特にサスペンス)、歴史書、チョコレート
嫌いなもの: オカルト話、理不尽なこと
性格・背景:工平の数少ない友人であり、彼の奇行に対しても受け入れる懐の深さを持つ。基本的に現実主義者で、降霊術を信じていないが、次第に工平の行動に巻き込まれていく。ストーリーの中で重要な場面において、工平に正気を取り戻させる役割を果たす。
現代版こっくりさん「螺旋の降霊術師」~こっくりさんに憑かれし日々~
「螺旋の降霊術師」
俺の一日は、こっくりさんから始まる。
朝起きて歯を磨き、リビングの隅に置かれた文字盤の前に座るのが日課だ。
昨日の夜に準備した鉛筆が中央に立てられているのを確認しながら、息を整えた。そして、鉛筆にそっと指を置く。
「今日、私は死にますか?」
文字盤に触れた鉛筆が、微かに震え始める。
俺の指を通して何かが流れ込んでくるような感覚がある。
この瞬間、いつも胸がざわつく。
鉛筆は滑らかに動き出し、「良いことも悪いことも」という文字を紡ぎ出した。
今日も変わらない、曖昧な答えだ。
いや、いつものことだと思おうとしたその時、鉛筆が再び動き出した。
「注意せよ」。
何にだ?と心の中で問うたが、それ以上の答えは返ってこなかった。
学校の準備を済ませ、制服のポケットにこっくりさん用の小型文字盤を忍ばせて家を出た。
こんな日課をやめたらいいのにと思ったことは何度もある。
でも、俺はやめられなかった。
これまでの人生で、どれだけこっくりさんに救われてきたことか。例えば、一年前、近所の子供が行方不明になった時、俺がこっくりさんを通じてヒントを得たおかげで見つかった。
それ以来、俺の「こっくり博士」としての評判はどんどん広がり、毎日相談を持ちかけられるようになった。
だが、それと引き換えに俺の体には少しずつ異変が生じていた。
例えば右の薬指の爪が完全に生えなくなったり、
左耳の奥で時々妙な音が響いたり。
五郎座衛門は「それはお前の代償だ」と言うけれど、それでも俺はこの力を手放せない。
学校に着くと、安土綾香が廊下の向こうからこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
彼女は、同じ学年だが違うクラスの女子だ。
何度か話したことはあるが、特別親しいわけでもない。彼女の姿を見た瞬間、今朝のこっくりさんの答えが頭をよぎった。
「注意せよ。」
彼女が近づいてくるたびに、その言葉が強く頭に響く。
何かがおかしい。普段の彼女とは違う雰囲気を感じた。
「安喰君、少し話せる?」
彼女は静かにそう言ったが、その声には妙な重みがあった。
俺は戸惑いながら頷いた。
彼女に案内されたのは、校舎の裏にある倉庫だった。
人気のない場所を選ぶあたり、彼女が本気で何かを話したいのだろうと察する。
古びた木の扉を開けると、埃っぽい空気が鼻を刺した。
中に入ると、綾香が扉を閉める音が響く。
「ねえ、安喰君、あなた、こっくりさんが得意なんでしょう?」
彼女が真剣な目で言った。
その言葉に、俺は少し身構えた。
彼女が俺の降霊術について知っているというのは、それだけで十分に妙な話だった。
「どうしてそれを?」
「噂になってるもの。占いや行方不明者の捜索を手伝ってるって。だからお願いしたいの、今日だけ力を貸してほしい。」
彼女の瞳には焦燥が浮かんでいる。
普段の落ち着いた印象とは違い、何かに追い詰められているように見えた。
「何をすればいい?」俺は少しの間考えた後、そう答えた。
断る理由がなかったというより、何かを警戒している彼女に興味を惹かれたからだ。
「こっくりさんを一緒にやってほしいの。今日だけでいいから。」
「……それだけ?」
一瞬だけ、綾香の目が揺れた。
何かを隠しているように見えたが、俺は深く追及しなかった。
放課後、彼女の案内で訪れたのは綾香の家だった。
郊外にある一軒家は古びた外観をしていたが、妙に整然としていて、住人の几帳面さが伝わる。
家の中は静まり返っており、誰もいないようだった。
「親は?」
「今日は遅くなるの。」
綾香がそう言うと、俺を居間へ案内した。
そこには、すでに準備されたこっくりさん用の文字盤と鉛筆が置かれていた。
それを見て、彼女が降霊術にある程度詳しいことがわかった。
「本当にこれでいいのか?」俺は念のために確認する。
だが、彼女は言葉少なに頷くだけだった。
俺たちは正面に座り、指を鉛筆に添えた。
「質問するのは私よ。」
綾香がそう言った瞬間、鉛筆が震え始めた。
いつもよりも早い反応だった。
俺の指に伝わる感触が普通ではないことをすぐに感じた。
「ここにいるのは誰?」
彼女の質問に応じて、鉛筆が動き出した。
滑らかに文字盤をなぞり、ひとつひとつの文字を示していく。
「魔物」
その答えを見た瞬間、俺はぞっとした。
この答えは予想外だった。普通、降霊術で現れるのは低級霊やただの残留思念が多い。
だが、「魔物」という言葉が示すものは、そういった存在とは一線を画していた。
「……ねえ、これ、本当に大丈夫なのか?」
俺が尋ねると、綾香はどこか諦めたような顔をして答えた。
「私、今日死ぬって予言されたの。」
その言葉が俺の心に重くのしかかった。「
今日死ぬ」というフレーズは俺自身にも聞き覚えがあった。
毎朝の日課であるこっくりさんで、俺も何度となく「お前は死ぬ」と告げられてきた。
そのたびに俺は死を免れてきたが、それがこっくりさんの力によるものだったのか、それとも単なる偶然だったのかは分からない。
「どういうことだ?」
「私は別のこっくりさんで、ある存在を呼び出した。でも、それが良くなかったみたい。そいつは私に『今日、魂をよこせ』って言ったの。」
綾香の声が震えていた。俺は喉の奥が乾くのを感じながら、再び鉛筆に目を落とした。
「じゃあ、なぜ俺を呼んだ?」
「あなたなら、どうにかできると思ったから。お願い……助けて。」
その瞬間、文字盤の鉛筆が猛烈な勢いで動き始めた。
俺たちは手を添えたまま、あまりの速さに目で追うこともできない。
「逃げろ」
その後の出来事は混沌としか言いようがなかった。
突然、家全体が軋みをあげ、天井が揺れた。そして、空気が変わった。
部屋の温度が一気に下がり、吐く息が白くなる。
「ここにいる……!」
綾香が叫んだ瞬間、何かが見えた。
影だ。
部屋の隅に濃い闇が集まり、人の形を成していく。
俺はそれが「祟り神」だと直感的に理解した。
「これが……魔物か。」
体が震えるのを感じながら、俺はポケットから小型文字盤を取り出した。
この場での選択肢は、ただ一つ。五郎座衛門を呼ぶことだ。
俺は震える手でポケットから小型文字盤を取り出した。
五郎座衛門を呼ぶには、それ以外に方法がない。
けれど、この場で本当にあいつが力を貸してくれるのか、確信はなかった。
「石田五郎座衛門、頼む……応えてくれ!」
文字盤に鉛筆を置き、呼びかけた瞬間、空気がピンと張り詰めた。
それまで部屋を支配していた冷たい感覚が変わり、鋭い緊張感に包まれる。
そして、鉛筆が滑らかに動き始めた。
「遅かったな。」
その答えが示された瞬間、部屋の隅に再び影が生まれた。
だが、それは祟り神のものとは違う。
現れたのは黒い鎧を纏った、堂々たる風格を持つ武士の霊だった。
「五郎座衛門……!」
俺がその名前を呼ぶと、彼は鋭い視線を俺に向けた。
「忠告を聞けと言ったはずだ。それを無視してこのような事態に陥るとは、愚か者め。」
叱責の言葉が鋭く突き刺さる。
だが、この場で彼に怒られること以上に怖いものが目の前にいる。祟り神の影はますます濃くなり、形を成していった。
「助けてくれるのか?」
俺の問いに、五郎座衛門は少し黙った後、言った。
「助けはする。しかし、代償は覚悟しろ。」
その言葉を聞いて俺は拳を握りしめた。
代償が何かなんて、今さら気にしている場合じゃない。
「わかった、何でも払う!」
五郎座衛門が頷くと同時に、祟り神が声を上げた。
それは耳をつんざくような、低く濁った声だった。
「よくも我を呼び寄せたな、小僧。貴様ら全て、我が呪いのもとに滅びるがよい!」
雷鳴のような轟音が部屋を震わせ、祟り神の影が動き出した。
その存在感に押し潰されそうになりながら、俺はどうにか声を絞り出した。
「五郎座衛門、何とかしてくれ!」
「黙っておれ。命を繋ぎたいなら、私の剣に全てを委ねるのだ。」
五郎座衛門がそう言うと、彼の手には漆黒の刀が現れた。
その刀身から放たれる光は、祟り神の闇を裂くかのように輝いていた。
戦いが始まった。
五郎座衛門は祟り神の影に向かって飛び込むように突進した。
その動きは霊であることを忘れるほど現実的で、鋭い剣さばきが祟り神を斬り裂く。
しかし、そのたびに五郎座衛門の体が僅かに揺らぎ、薄れていくのが見えた。
「貴様の力も所詮は死者のもの。我が力を前に消え去るがよい!」
祟り神がそう叫ぶと、五郎座衛門の体が大きく吹き飛ばされた。
その影響で俺も後ろに転がり、綾香と共に倒れ込んだ。
「だめだ、あれには勝てない……。」
綾香がそう呟くのが聞こえたが、俺はそれに答えられなかった
。
「まだだ、負けるわけにはいかん!」
五郎座衛門が立ち上がり、再び刀を構える。その姿を見て、俺もどうにか声を絞り出す。
「五郎座衛門! もっと力が必要なんじゃないのか?」
「……貴様がさらに代償を払う覚悟があるならな。」
俺は少しの迷いもなく頷いた。
「払う! 俺の体でも何でも使え!」
その言葉を聞いた五郎座衛門が微かに笑ったように見えた。
そして、彼の刀が再び輝きを増し、祟り神に向かって放たれた。
戦いの末、祟り神は完全に消え去った。
部屋の空気は静まり返り、先ほどまでの異様な緊張感は消えていた。
だが、その代わりに俺の体には新たな異変が起きていた。
右手が完全に感覚を失い、動かなくなっていた。
「これが代償だ。お前の右手はもう二度と使えん。」
五郎座衛門が淡々とそう言った。
「……わかった。助けてくれてありがとう。」
俺は感謝を口にしたが、その声にはどこか虚しさがあった。
祟り神が消えた後の部屋には静寂が戻ってきたが、その空気はどこか冷たく、重かった。
俺は右手を見下ろした。
動かない。
触っても感覚がない。
石みたいに冷たくて、ただそこにあるだけのものになってしまった。
「これが代償だと?」
俺は五郎座衛門に問いかけるように呟いたが、答えはなかった。
彼の姿は薄れ、次第に完全に消えてしまっていた。
「工平……ごめん……私のせいで……。」
綾香の声が聞こえた。
振り向くと、彼女は膝を抱えてうずくまっていた。
その顔には涙の跡があり、怯えと罪悪感が入り混じった表情をしている。
「いや、気にするな。」
口ではそう言ったが、内心では複雑な思いが渦巻いていた。
俺が助けると言ったからこうなった。
でも、それは彼女を責める理由にはならない。
部屋を後にして、綾香の家を出た時にはすっかり日が沈んでいた。
暗い道を歩きながら、俺の頭にはいくつもの疑問が浮かんでいた。
祟り神は一体なぜ現れたのか。綾香の降霊術がそれほど危険なものだったのか。そもそも、彼女が呼び出した「魔物」とは何者だったのか。
そして――俺の右手は、このまま戻らないのか。
次の日、学校に行くと、俺は周囲の視線を強く感じた。
噂が広まるのは早い。
綾香の家で起きたことがどこから漏れたのか、誰かが話したのか分からないが、「安喰工平がまたこっくりさんで何かをやらかした。」
という内容があちこちで囁かれていた。
「おい、安喰、右手どうしたんだよ?」
クラスメイトの一人が近づいてきてそう尋ねた。
俺は適当に「ちょっと怪我しただけ。」
と返すが、相手は明らかに信じていない目つきだった。
「また変なことやってるんじゃねえのか? あんまり深入りすんなよ。」
そう言い残して、そいつは離れていった。
「深入りすんな、か。」俺は呟いて苦笑した。
それができるなら、こんなことにはなっていない。
昼休み、俺は廊下で綾香と再び顔を合わせた。
彼女はどこか落ち着きを取り戻したようだったが、その顔にはまだ影が残っている。
「……昨日のこと、ありがとう。でも、本当に大丈夫?」
「右手は動かないけど、まあ、生きてるからな。」
俺が軽くそう答えると、綾香は心配そうな顔をした。
「私、あの祟り神のことを調べてみる。何か分かったら話すから。」
彼女の決意に満ちた表情を見て、俺は少し意外だった。
彼女は自分の身に起きた恐ろしい出来事から逃げずに向き合おうとしている。それが彼女の強さなのかもしれない。
「じゃあ、俺も協力するよ。」
そう言うと、彼女は小さく頷いた。
その夜、俺は自分の部屋で再びこっくりさんを行った。
右手が使えない分、左手だけで文字盤を動かすのは少し不自由だったが、それでもやらないわけにはいかなかった。
俺には聞かなきゃならないことが山ほどあった。
「五郎座衛門、出てこい。」
鉛筆はしばらく動かなかったが、やがて微かに揺れ始めた。
そして、文字盤をなぞり、「待て」という言葉を示した。
「待て、だと? お前は消えたんじゃなかったのか?」
返答はない。だが、代わりに鉛筆が滑り、「明日」という文字を示した。
「明日、何がある?」
答えは返ってこなかった。
翌朝、俺はまた「注意せよ」という言葉で一日を迎えた。
学校に向かう途中、妙な気配を感じる。それは、誰かに見られているような感覚だった。
振り返るが、誰もいない。
それでも、背筋に冷たいものが走った。
その後も一日中、何かが俺の周囲にまとわりついているような不安感が離れなかった。
そして放課後、綾香が俺を屋上に呼び出した。
「安喰君、分かったの。祟り神が何を狙っているのか。」
彼女の表情は真剣そのもので、何かを覚悟したようにも見えた。
俺はその場に立ち尽くしながら、彼女の言葉を待った。
「……あれは、あなたを狙っている。」
俺は息を飲んだ。
「祟り神が……俺を?」
「そう。あなたの降霊術が原因だわ。あなたがこれまでに呼び出してきた霊たちが、その存在を祟り神に知られてしまったの。」
「俺が狙われている……?」
綾香の言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻く。
そんなはずはない、と言い返したかったが、彼女の目を見ればわかる。
それは、単なる憶測ではなく、彼女が何かを突き止めた末の結論だった。
「どういうことだよ、それ。俺が何をしたっていうんだ?」
綾香は苦しそうに唇を噛んだ。
彼女の手には、一冊のノートが握られている。
それは、昨晩彼女が調べた結果をまとめたものらしい。
「あなた、これまでに降霊術でたくさんの霊を呼び出してきたわよね?」
「ああ。だからどうした?」
「その中に、“こっくりさん”の範疇を超えたものがいるのよ。特に、あの武士……石田五郎座衛門。」
彼の名前が出た瞬間、俺は背筋が寒くなった。
「五郎座衛門がどうした?」
「……あの人、ただの霊じゃない。何かもっと特別な存在よ。あなたが呼び出したことで、祟り神が動き始めた。」
俺は思わずノートを奪い取り、ページをめくった。
そこには、降霊術にまつわる膨大な情報と、綾香の字で書かれたメモがびっしりと詰まっていた。
その中でひときわ目を引いたのは、「祟り神」の項目だった。
ノートの記述
祟り神とは何か・祟り神は怨念の集合体であり、人間が作り出したものとされる。特定の土地や人物に執着する。・その力は他の霊的存在を支配することができ、霊的エネルギーを吸収して自身を強化する。・一度目を付けられると、その対象者を追い続け、取り込むことで完全な存在となる。
石田五郎座衛門の記録・戦国時代に生きた武士で、数多くの霊的伝承を残している。・死後、強い怨念を抱きながら封印されたと伝わる。・その怨念を狙う祟り神の噂が数多く存在する。
俺はページを閉じた。そして綾香に向き直る。
「つまり、俺が五郎座衛門を呼び出したことで、祟り神に目を付けられたってことか?」綾香は頷いた。
「そう。そして、祟り神はあなたを完全に取り込むことで力を得るつもりなのよ。」
この言葉に俺は息を飲んだ。
祟り神に取り込まれる? そんなことが起きれば、俺はただ死ぬだけじゃない。
自分が持つ力、降霊術に関する知識、すべてを奪われて、あの化け物の一部になる。
「そんなこと……させるわけにはいかない。」
俺の胸には、逃れられない覚悟が芽生え始めていた。
「どうすればいいんだ? 祟り神を倒す方法なんてあるのか?」
綾香は一瞬躊躇したが、小さく頷いた。
「可能性があるとすれば、“こっくりさん”で再び五郎座衛門を呼び出すこと。それで彼に協力してもらうの。でも……。」
「でも?」
「その代償が何なのか、誰にもわからない。」
俺は苦笑した。右手を失ったばかりの俺が、さらに何を失うのか。
その答えが恐ろしくないと言えば嘘になる。
けれど、このまま逃げ続けることもできない。
再び降霊
その夜、俺と綾香は学校の旧校舎に忍び込んだ。
そこは噂によれば、霊的なエネルギーが溜まりやすい場所らしい。
綾香が「ここなら確実に呼び出せる。」と断言したため、この場を選んだ。
「準備はできた?」
「……ああ。」
文字盤と鉛筆を床に置き、俺たちは向き合った。
綾香がろうそくに火を灯すと、周囲が薄暗い炎の光で照らされる。
息を飲むほどの静けさが辺りを包み込む中、俺は指を鉛筆にそっと置いた。
「石田五郎座衛門……応えてくれ。」
しばらく何も起きなかった。
だが、次第に鉛筆が震え始め、文字盤を滑り出した。
「またか」
五郎座衛門の声が頭の中に響く。
彼は怒っているようだったが、それ以上に重々しい空気を纏っていた。
「頼む。祟り神を倒すために力を貸してくれ。」
俺が必死に訴えると、五郎座衛門はしばらく黙った後、答えた
。
「よかろう。ただし、その代償は……お前自身の“命”だ。」
その言葉に綾香が息を呑んだ。
「命……? そんな、だめだよ工平!」
綾香が叫ぶが、俺は首を横に振った。
「いいんだ。このまま逃げても、祟り神は俺を追い続ける。それなら……決着をつけるしかない。」
五郎座衛門の姿がゆっくりと実体化していく。
その目には、俺の決意を試すような光が宿っていた。
「覚悟は決まったか?」
俺は静かに頷いた。そして、祟り神との最後の戦いが始まった――。
祟り神との戦いの場として選ばれた旧校舎は、異様な雰囲気に包まれていた。
まるで長い間放置されてきた建物そのものが、この戦いを見守るために目を覚ましたかのようだった。
窓から差し込む月光はどこか青白く、天井や壁に刻まれた無数のひび割れが、静かに呼吸しているように見える。
俺と綾香は、五郎座衛門を挟んで祟り神と対峙していた。
闇の中から形を成した祟り神は、相変わらず不気味な気配を放っている。
二本の角を備えたその姿は、人間の形をしているが、どこか非現実的だった。
その影の中には、無数の顔のようなものが浮かび上がり、見ているだけで背筋が凍りつく。
「お前のような存在が、この世にいること自体が間違いだ。」
五郎座衛門が静かにそう言った。
手にした漆黒の刀が、月光を反射して微かに輝いている。
「よくも我を侮辱するな、死者の分際で!」祟り神が声を発すると同時に、床が震えた。その声は耳障りなほど低く濁っており、耳の奥に直接響くようだった。
「五郎座衛門、やれるのか?」
俺は声を震わせながら問うた。
彼はちらりとこちらを振り返り、短く答えた。
「貴様次第だ。」
「俺次第?」
その意味を問い返す前に、祟り神が動いた。
激しい戦闘
祟り神の影が一気に広がり、俺たちを包み込むように迫ってくる。
空気が重くなり、まるで水中にいるような感覚だ。
呼吸をするのも苦しい。
「綾香、離れろ!」
俺が叫ぶと、彼女はすぐに後ろに下がった。
その瞬間、祟り神の影が床を割りながら突き進み、俺たちがいた場所を貫いた。
「これが祟り神の力か……!」
五郎座衛門が刀を振り抜き、その影を切り裂いたが、すぐに影は再生する。
そのしつこさに俺は絶望しかけた。
「お前、何をしている!」
五郎座衛門が俺に怒鳴った。
「何をって、俺はただ……!」
言葉を詰まらせると、彼は険しい顔をして続けた。
「お前の命が鍵だ。覚悟を示せ!
そうでなければ、この刀は力を発揮しない!」
俺は息を呑んだ。五郎座衛門の言葉は、俺が代償として命を差し出す覚悟を示さなければ、彼の力は完全に発揮されないことを意味していた。
覚悟の代償
「……わかった。」
俺は静かに呟いた。
そして、胸の中に湧き上がる恐怖を押し殺しながら、祟り神に向かって歩き出した。
「工平、やめて!」
綾香が叫ぶ声が背中に響いたが、振り返らなかった。
もし振り返れば、足がすくんで動けなくなる気がしたからだ。
「祟り神!」
俺は影の中心に向かって叫んだ。
「俺を取り込めば、それで満足なんだろう? だったら、他の奴には手を出すな!」
その言葉に反応するように、祟り神の目が俺に向けられた。
その赤い光は、俺の心の奥底を覗き込むような感覚を与えた。
「面白い。ならば、その命をよこせ!」
祟り神の影が再び動き出し、俺に向かって襲いかかる。
その瞬間、五郎座衛門が俺の前に立ちはだかった。
「よくやった。これで私の力は解き放たれる。」
彼が刀を振り上げると、その刃が眩い光を放った。
戦いの決着
五郎座衛門の一撃が祟り神を切り裂いた瞬間、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。
その声は祟り神自身のものなのか、それとも取り込まれた無数の魂のものなのか、判別がつかなかった。
「これが……終わりか……?」
俺が呟いた瞬間、影が完全に消え去り、静寂が訪れた。
しかし、その場に立っていた俺の足がガクンと崩れた。意識が遠のいていく中で、五郎座衛門の声が微かに聞こえた。
「お前の覚悟、確かに受け取った。これが最後の助けだ。」
翌朝
目を覚ました時、俺は学校の保健室のベッドに横たわっていた。隣には綾香が座っていた。
「目が覚めた……よかった……!」
彼女が涙を浮かべながらそう言った。
「俺は……生きてるのか?」
自分の体を確認すると、右手の感覚が戻っていることに気づいた。
だが、それと同時に心臓のあたりに強い違和感があった。
「……何かが変わった気がする。」
それが何なのか、まだわからない。だが、俺の中で何かが決定的に変わったことだけは確かだった。
「工平、これからどうするの?」
綾香が問うた。
俺は窓の外を見つめながら、静かに答えた。
「まだ終わりじゃない。これからも俺は、この力と向き合っていく。」
その言葉が、俺自身への誓いでもあった。
あの日以来、俺の日常は少しだけ変わったように感じた。
いや、正確には「変わらざるを得なかった。」
と言うべきだろう。祟り神との戦いで命を差し出す覚悟を示した結果、俺の体には新たな力が宿ったのだ。
それは俺の右手に戻った感覚と同時に現れた。
手のひらに刻まれるように現れた薄い紋様――それは五郎座衛門が最後に俺に残したものだと直感的に分かった。
続く
後編