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現代版 怪談一夜草紙 「振袖の家」―祟りと真相のはざまで―
あらすじ:
地方都市の静かな住宅街。その一角に古くから「事故物件」と噂される一軒家がある。
新婚夫婦の吉岡圭祐と香織は、格安の家賃に惹かれ、そこに引っ越してくる。
周囲の不気味な噂を気に留めない2人だったが、家の中で「振袖姿の少女」の幻影を目撃したことを皮切りに、奇怪な出来事が相次ぐ。
やがて、彼らの前に近所の老人が現れ、「この家に祟られた人々」の話を語り始める。
しかしその真相は、想像を絶する“過去の罪”に繋がっていく――
主な登場人物
主人公: 吉岡 香織(よしおか かおり)
年齢: 28歳
職業: フリーランスの編集者(オカルトやホラー系のコンテンツに関心が強い)
性格:
聡明で好奇心旺盛だが、やや怖がりな一面もある。
不可解な現象に対しても合理的な説明を見つけようとする姿勢を持つ。
夫への愛情は深いが、徐々に現実と異常の境界が曖昧になり、自身も恐怖に呑まれていく。
容姿:
細身で肩までの黒髪をおろしている。
知的な雰囲気の黒縁メガネを着用することが多いが、時折メガネを外して鋭い目を見せる。
カジュアルな服装が多く、家ではゆるいスウェットなどを着ている。
口癖:
「でも、何か説明がつくはず…」
「怖いけど、確かめないと気が済まないの。」
役割:
「振袖の少女」の過去と家の秘密を解明し、物語を推進する探求者的存在。
夫: 吉岡 圭祐(よしおか けいすけ)
年齢: 30歳
職業: 建築会社の現場監督(新居の古い家をリフォームしようとする)
性格:
現実主義者で、オカルトや迷信を一切信じない。
明るく気さくな性格だが、自分の意見を通そうとする頑固な一面がある。
次第に不可解な現象に精神を蝕まれ、香織との関係にも亀裂が入っていく。
容姿:
筋肉質で健康的な体型。短髪で、日焼けした肌が特徴。
作業服や動きやすい服を好むが、プライベートでは落ち着いたトーンのシャツやデニムをよく着る。
口癖:
「気のせいだろう。」
「俺は現実だけ見て生きてるんだよ。」
役割:
怨念に憑依され、悲劇を引き起こすキーパーソン。振袖の少女に最も強く干渉される。
語り部の老人: 鈴木 和夫(すずき かずお)
年齢: 78歳
職業: 元地元新聞記者(現在は年金生活者)
性格:
温和だが、長年の記者魂が抜けきらず、「地元の噂話や過去の事件」を詳しく調べている。
ミステリアスで、核心をなかなか語らないが、断片的な情報を主人公に提供する。
容姿:
小柄で痩せており、腰が少し曲がっている。
白髪頭を短く刈り込んでいる。いつも薄汚れたハンチング帽をかぶり、杖をついている。
口癖:
「この町には、まだ語られていない真実があるんだよ。」
「昔話には、いつだって何かが隠れているもんさ。」
役割:
主人公に家の過去を教える鍵となる存在。振袖の少女の真相に近づく手助けをする。
振袖の少女: 美津子(みつこ)
年齢: 10歳(事件当時)
性格:
幼いながらも聡明で、人懐っこい性格だったが、周囲に助けられないまま悲劇的な最期を迎えた。
怨念の中では、自分を苦しめた人間への復讐心と救われたい気持ちが入り混じっている。
容姿:
黒髪を腰まで伸ばし、白地に赤い梅の柄が入った古い振袖を着ている。
顔には泥のような汚れが付いており、涙を流しながら現れる。
時折、手に何かを持っているが、それが何かはぼんやりとしている。
口癖:
「どうして、私だけが…?」
「ここにいるのは、私だけじゃない。」
役割:
家に宿る怨念の中心的存在。最初は恐ろしい敵として描かれるが、物語が進むにつれ悲劇の被害者であることが明らかになる。
香織の友人: 高山 麻衣(たかやま まい)
年齢: 29歳
職業: 怪談ライター(オカルト系雑誌で活動中)
性格:
明るくおしゃべりだが、心霊現象に対してはプロ意識を持ち冷静に分析する。
香織の相談に乗りつつ、彼女が深みにハマりすぎるのを心配する。
容姿:
ショートカットで、個性的な服装(ビンテージのシャツや派手なアクセサリー)を好む。
細身でスタイルが良く、独特の存在感がある。
口癖:
「まあ、これはこれで面白いネタかもね!」
「信じるかどうかは別として、現象には理由があるのよ。」
役割:
香織が心霊現象について相談するサポートキャラクター。物語の途中で香織に助言を与えるが、巻き込まれないよう距離を取る。
現代版 怪談一夜草紙 「振袖の家」―祟りと真相のはざまで―
冒頭: 「振袖の家」
あの家を最初に見たとき、私は特に嫌な感じはしなかった。
ただ少し古びた外観と、周囲の静けさが気になったくらい。
夫の圭祐はむしろその安さに喜び、「ここなら俺たちの予算でも余裕だな」と何度も笑っていた。
新婚生活をスタートするには悪くない場所だったし、私も彼の意気込みを見て深くは考えなかった。
引っ越しは、夏の盛りだった。
荷物を運び込みながら家を見て回ると、畳の部屋から漂う少し湿った匂いが気になったけれど、「古い家だから仕方ない」と自分に言い聞かせた。
1階は居間と台所、それに小さな和室がある。
2階には寝室と仕事部屋が二つ。どれもリフォームすれば綺麗になるだろうと考えた。圭祐はこの家を「自分の手で蘇らせる」と言っていた。
けれど、あの日、最初に異変を感じたのは私だった。
引っ越し初日の夜。慌ただしく段ボールを片付けた後、夫と二人で軽く缶ビールを開けた。
気疲れで私たちはすぐに寝ることにしたけれど、夜中、私はふと目を覚ました。何かの音が聞こえたような気がしたのだ。
──トントン……トントン……。
何かが軽く壁を叩く音だった。
時計を見ると夜中の2時を過ぎている。
隣でぐっすり眠る圭祐を起こすのも悪いと思い、私は音のする方、1階の廊下へと足を向けた。
真っ暗な廊下に降りると、湿気が身体にまとわりつくような空気が漂っていた。
私はリビングの電気をつけようと手を伸ばしたが、指がスイッチに触れる前に足元に妙な違和感を感じた。
──濡れている。
床が冷たく、そしてしっとりしていた。
暗闇の中で見下ろすと、ぼんやりとした光に照らされた木目の床に、小さな水の跡がついているのが見えた。
まるで誰かの足跡のようだった。
「圭祐?」
呼びかけてみたが、返事はない。冷えた床の感触に背筋がぞくりとした。
まさかとは思ったけれど、私はその足跡を目で追い、台所の奥へと進んでいった。
そこには何もなかった。
ただしんと静まり返った空間が広がっているだけ。
私は自分の気のせいだと自分に言い聞かせ、足早に寝室へ戻ろうとした。
だが、振り返ろうとした瞬間、背後から、まるで誰かが立っているような気配を感じた。
一瞬、身体が硬直する。
振り返らない方がいいと頭の中のどこかが警告しているのに、私はどうしてもその方向に目を向けてしまった。
──誰かが、そこにいた。
白地に赤い梅の模様が入った振袖を着た少女が、じっとこちらを見つめていた。
髪は腰まで伸び、黒髪が濡れたように艶めいている。
顔はぼんやりとしか見えず、目がどこを見ているのかも分からない。
ただ、不自然なほど静かに佇むその姿に、私は言葉を失った。
目を逸らさなければと頭では分かっていたのに、視線を外せない。
その少女が、わずかに首を傾げた瞬間、私は限界を迎えた。
「きゃっ……!」
声にならない叫びをあげ、反射的に後ろへ飛び退いた。
その瞬間、目の前の光景は一変していた。
振袖の少女は跡形もなく消え、台所には誰もいなかった。
心臓の鼓動が激しく鳴り響き、喉が乾いたように苦しくなる。
幻覚?夢だったのだろうか?全身が震えたまま、私は寝室に逃げ戻った。
隣で眠る圭祐を揺り起こすと、彼は寝ぼけた顔で私を見つめた。
「どうしたんだよ、こんな夜中に。」
私は泣きそうな声で、「誰かがいたの」と説明したが、彼は笑い飛ばして布団に潜り込んでしまった。
「疲れてるだけだろ。こんな古い家だから音が響くだけさ。」
それがただの疲れのせいだったら、どれだけよかっただろうか。
だが、それは、私たちの新しい生活の始まりだった。
そして、この家に隠された恐ろしい過去へと足を踏み入れるきっかけでもあった。
翌朝、私は昨夜の出来事を圭祐にもう一度話した。
だが、彼は朝食をかき込む手を止めることなく、「大丈夫だよ」と笑顔で流すだけだった。
「本当に見たのよ、振袖の少女が。赤い梅の柄の入った着物を着てて……湿った足跡もあったの。」
「ほら、言ったろ。疲れてただけだって。昨日は引っ越しで相当バタバタしてたし、夜中に目が覚めたら変な夢を見ることだってある。」
圭祐は笑いながらそう言うと、空になった味噌汁の椀を片付け、出勤の準備を始めた。
「もしまた変なことがあったら俺に言えよ。でもさ、あんまり気にしない方がいい。家に慣れれば気にならなくなるからさ。」
彼が去った後も、昨夜の光景は頭から離れなかった。
あの静かに立つ少女の姿、冷たい視線――。
私は、頭を切り替えようと考え、残った段ボールを片付けることにした。
しかしその日の午後、再び「それ」に遭遇することになろうとは思いもしなかった。
午後の異変
段ボールの山を片付けている最中、私はまた廊下の湿った匂いに気付いた。和室の畳から少し離れた、廊下の中央部分。
昨夜見た「濡れた足跡」が消えたはずの場所だった。
けれど今朝掃除したばかりのその床には、再び同じような水の跡が残っている。
私はぞっとしながら、雑巾を持ってきてその足跡を拭き取った。
しかし、雑巾を絞りに台所へ行き、再び廊下に戻ってくると――跡がまたそこに浮かび上がっていた。
「……何これ。」
湿った空気が喉に詰まり、息が苦しくなる。
私の手元には雑巾が握られているけれど、それをもう一度拭こうという気にはなれなかった。
私は逃げるように廊下を抜け、和室へ向かった。
古い畳の匂いと木の梁の影が、私の視界をやわらげてくれるような気がしたからだ。
だが和室の中央には、見慣れないものがあった。
そこには、赤い梅の花柄が散らされた振袖が、きちんと畳まれて置いてあったのだ。
「……え?」
私たちが持ってきた荷物の中に、こんなものはなかったはずだ。
圭祐が着物に興味を持つわけもない。
何より、これは明らかに昨日見た少女が着ていたものだ。
心臓の音が激しく耳に響き、思わず振袖に近づく。
薄く古びた匂いが漂い、触れるのをためらう。
だが、何かに背中を押されるように、私は恐る恐るそれに手を伸ばした。
布に指先が触れた瞬間、足元から冷たい風が吹き抜けた。
そして――。
「……助けて。」
その声は、かすかに、でも確かに耳に届いた。
私は振り返り、そして見た。
部屋の隅、襖の向こうに――昨夜の少女が再び立っているのを。
目が合った瞬間、私はその場に崩れ落ちた。
彼女は、無言のまま一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
声を上げようとしても喉が動かない。
その時、背後から急に人の気配を感じた。
「香織、大丈夫か!?」
振り向くと、そこには仕事から早めに帰ってきた圭祐がいた。
彼の足音が部屋に響くと同時に、少女の姿は消えていた。
まるで霧が晴れるように。
語り部との出会い
その夜、私たちは近所に住む鈴木さんという老人に会った。
彼は散歩がてら私たちの家に寄り、「若い人がこの家に引っ越してくるとは思わなかった」と言った。
「実はな、この家にはちょっとした噂があってな……。」
彼は静かに語り始めた。
この家では、戦後間もないころ、一人の少女が行方不明になったのだという。
その子は美津子という名で、ある日突然家族の目の前から消え、二度と見つからなかった。
「それ以来、この家に住んだ人間は、何らかの不幸に見舞われると言われている。まあ、信じる信じないは自由だけどな。」
鈴木さんはそう言って煙草をふかしながら笑った。
しかし私は、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。
それから数日間、少女の姿は現れなかった。
しかし私たちの生活は、次第に崩れ始めていった。
圭祐は家で過ごす時間が減り、私も仕事に集中できなくなっていた。
そして、次に少女が現れたとき、すべては取り返しのつかないことになるのだった。
不穏な兆候
それからしばらくは平穏な日が続いた。
少女の姿も見えず、湿った足跡も現れない。振袖が和室に置いてあったことも圭祐には話せずにいた。
彼にまた「疲れてるだけだ」と言われるのが怖かったのだ。
それでも家の中に漂う微かな違和感だけは、私をじわじわと蝕んでいた。
圭祐も変わり始めていた。以前は仕事から帰ると「今日はどうだった?」と私に声をかけたり、リフォームの計画を楽しそうに話してくれたりしていたのに、最近は黙って食事を済ませ、そのまま寝室にこもることが多くなっていた。
「ねえ、何かあった?」と尋ねても、圭祐は「別に」としか答えない。
けれど、その夜、私は圭祐が妙なことを呟いているのを聞いた。
「……振袖、着てたのか?」
寝室の隣にある小さな部屋から漏れ聞こえた声に、私はドキリとした。
振袖?まさか彼も見たのだろうか?
「圭祐?」
恐る恐る部屋のドアを開けると、彼は仕事の書類を広げたまま椅子にもたれていた。顔色が悪い。
「何?」と彼は私をちらりと見ただけで、目を逸らした。
「さっき、振袖って言ってたけど……」
「言ってないよ。」
彼は眉をひそめ、わざとらしく書類に目を戻した。
だが、その翌朝、私は見てしまった。
彼がリフォーム用に作業を始めていた2階の小部屋――そこに、振袖が無造作に放り出されていたのを。
「これ……どうしたの?」
圭祐を問い詰めると、彼は明らかに動揺しながら答えた。
「知らないよ。誰かがここに持ってきたんじゃないのか?」
「誰かって誰?ここには私たち以外、誰もいないじゃない!」
彼の反応に、私は恐怖よりも怒りを覚えた。
私だけではなく、圭祐も何かを見ている。
だが彼はそれを認めようとしない。認めてしまえば、これが現実であると確信してしまうからだろう。
だが、この家の異常さは日増しに明らかになっていった。
地下室の発見
数日後、圭祐はリフォームのため家の床を剥がしていた。
私はその横で、彼が無言で作業を続ける様子をただ見ていた
。私たちはほとんど会話をしなくなっていた。
「……なんだこれ?」
圭祐が床板の下から何かを見つけた。
埃まみれの古い木箱だった。箱には「浅井宗右衛門」という名前が書かれていた。
「誰?」と尋ねる私に、圭祐は首をかしげた。「さあな。多分、昔の住人だろ。」
箱の中を開けると、中には古びた書類や手帳、そしてもう一枚の振袖の布地が入っていた。布には赤黒い染みがこびりついている。
「……血?」
私がつぶやくと、圭祐はその布を投げ出すように置いた。
「もういいだろ。こんなもの、何の役にも立たない。」
そう言い捨てると、彼はその場を後にした。
だが私は、放り出された手帳が気になって仕方がなかった。
その夜、圭祐が寝静まった後、私はその手帳を開いた。
中には読みづらい文字で日記のようなものが書かれていた。
「今日も彼女が来た。長い振袖を着て、濡れた足跡を残していた……」「声を聞いた。『助けて』と。」
「誰も信じてくれない。私だけがこの家の本当の姿を知っている。」
まるで、この家に住んでいた過去の誰かが同じ体験をしていたような記録だった。
その手帳を読み進めるうちに、私はある確信にたどり着いた。
この家には明らかに「何か」が存在している。
そして、それは――。
その時、突然廊下から音がした。
──トントン……トントン……。
あの音だ。
私は手帳を置き、廊下へと足を踏み出した。
暗闇の中で、再びあの濡れた足跡が続いている。
それをたどっていくと、台所の奥、普段は目立たない物置の下に、小さな扉があるのに気づいた。
私は躊躇しながらも、その扉を開けた。
そこには、暗い地下室へと続く階段があった。
鼻を突くカビの臭いに顔をしかめながら、私はその階段を降りた。
薄暗いランプを手に、足元に気をつけながら進むと、地下室の隅に、あるものが置いてあった。
それは、小さな木製の箱。箱の表面には古い血痕のような跡が付いており、鍵がかかっていた。
だが、どこからか聞こえてくる声が私を箱の方へ引き寄せる。
「……助けて……」
震える手で箱に触れた瞬間、背後に誰かの気配を感じた。
振り返ると、そこには、あの振袖を着た少女が立っていた。
「どうして、ここに来たの?」
彼女は泣いていた。
しかし、その顔は恐ろしいまでに歪んでいる。
私が答えようとした瞬間、箱がガタンと音を立てて動いた。
地下室の箱の中
箱に手をかけると、冷たい感触が手に伝わった。
それはただの木箱ではないように感じられた。
何か、異様な気配が中から漏れ出している。
振袖の少女が私の隣に立ち、じっと箱を見つめているのがわかる
。彼女の顔には涙の跡が残り、その目は何かを訴えているようだった。
「この中に……何が入ってるの?」
そう呟いた瞬間、箱の中から再び声が聞こえた。
「助けて……ここから出して……」
その声は少女のものではなかった。
もっと大人びた女性の声。私は震える手で箱の蓋を押し開けた。
中には、古びた髪飾りと、赤い梅模様のハンカチが入っていた。
そして、その下には紙が敷き詰められていた。
よく見ると、それは古い新聞記事だった。
記事には、「行方不明少女 美津子失踪事件」と書かれていた。
そしてその隣には、小さな白黒写真――振袖を着た少女が微笑む写真があった。
「これが……美津子……。」
振袖の少女は、その写真をじっと見つめていた。
「どうして……どうして私だけが……。」
彼女の声は、私の耳に直接響いてくるようだった。
新聞記事には、美津子が失踪した経緯が書かれていた。
彼女はこの家で両親とともに暮らしていたが、ある夜、突然いなくなったとされていた。
家の中には血の跡と争った痕跡があり、警察は誘拐事件とみて捜査したが、手がかりは何一つ見つからなかったという。
さらに読み進めると、衝撃の事実が記されていた。
「両親により監禁されていた可能性……?」
記事には、美津子の家族がかなり異常な家庭環境だったことが記されていた。
父親は暴力的で、母親はそれに従うだけの存在だった。
そして、美津子は家族の「秘密」を知ってしまったがために、口封じとして……
「あなたの両親が……?」
振袖の少女は何も答えない。
ただ涙を流しながら、箱の中を指さした。
私はその指示に従って箱をさらに調べると、底に血で書かれた文字が見えた。
「罪……か……?」
血文字は、かすれて読みにくかったが、最後の文字が「か」に見える。
罪科、あるいは償い……そんな意味が込められているのだろうか。
その瞬間、地下室全体が冷たい風に包まれた。
電灯が一瞬チカチカと明滅し、どこからか足音が響いてくる。
──トントン……トントン……。
私が振り返ると、そこに立っていたのは圭祐だった。
夫の変貌
「圭祐……どうしてここに?」
彼は何も答えず、まるで夢遊病者のように、ふらふらとした足取りで私に近づいてきた。顔は蒼白で、目は虚ろだった。
「……出ていけ……この家から……。」
低い声でそう呟いた。
その声は圭祐のものだが、何かに憑かれたような、不気味な響きを持っていた。
「圭祐、何言ってるの?しっかりして!」
私が手を伸ばそうとすると、彼は突然振り向き、私を鋭い目で睨みつけた。
「これは俺たちの家じゃない……ここは、あいつの家だ……!」
「圭祐、やめて!落ち着いて!」
彼は耳を塞ぐようにして後ずさり、その場でうずくまった。
そして震える声で呟いた。
「……あの子が俺に話しかけてくる……やめてくれ……やめてくれ……!」
その時、振袖の少女が現れた。
圭祐の背後に立ち、じっと彼を見下ろしている。
彼女の表情は冷たい怒りに満ちていた。
「どうして……どうしてあなたたちは、ここに来たの?」
その声が響いた瞬間、圭祐は顔を上げた。
そして次の瞬間、彼の目が真っ赤に染まり、私は彼の異常さに気づいた。
「……出ていけ、香織……ここは危険だ……俺がここに残るから……。」
「そんなの嫌よ!一緒に出よう、圭祐!」
私は彼の腕を掴もうとしたが、彼は突然私を突き飛ばした。
「ダメだ!この家が俺を離してくれないんだ!」
彼の叫び声が地下室にこだまし、振袖の少女は静かにその様子を見つめていた。
「ここから出るには、真実を知るしかないの。」
彼女の言葉に、私は体を震わせた。
「真実……?」
少女は頷いた。その目には悲しみと怒りが混じっている。
「私が、どうしてここにいるのかを……全部知って。」
真実への鍵
私は覚悟を決め、振袖の少女が語る「真実」を聞く決意をする。
だが、その真相は、美津子だけでなく、この家に関わったすべての人間の「罪」を暴くことだった。
そしてその過程で、圭祐は家の怨念に完全に取り込まれ、香織自身もこの家の一部になりかける。
美津子の告白
振袖の少女――美津子は、静かに語り始めた。
彼女の声は澄んでいたが、どこか深い恨みと悲しみが混ざり合っているようだった。
「私がこの家に閉じ込められていたのは、家族の“秘密”のためだった。」
彼女の話によれば、美津子の父親は家族を支配する暴君だった。
母親はその支配に屈し、美津子が抵抗するたびに彼女を押さえつけた。
そして、ある日、父親の行った“ある行為”を美津子が知ってしまった。
それは、近隣で起きていた連続失踪事件に関係するものだった。
「私は見てしまったの。父が……隣町の子を、この地下室に連れてきているところを。」
美津子は必死に助けようとしたが、父親に見つかり、逆に地下室へ監禁された。
父は、美津子がその事実を外に漏らすことを恐れたのだ。
母親もそれを止めるどころか、見て見ぬふりをした。
「私は助けを求めたけれど、誰も聞いてくれなかった。そして……私はここで死んだ。」
彼女の言葉が途切れると同時に、地下室全体が冷たい空気に包まれた。
私は言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。
「ここに来た人たちは、みんなこの家の“罪”に引きずられる。そしてその罪が清算されるまでは、この家は誰も逃がさない。」
美津子は私を見つめながらそう言った。
その目には、苦しみの中にわずかな希望が見える気がした。
圭祐の暴走
「お前……何を言ってるんだ……!」
圭祐の声が地下室に響いた。彼の目は完全に赤く充血しており、その身体は震えていた。
「やめろ……俺の頭に入ってくるな……!」
圭祐は耳を塞ぎ、壁に何度も頭を打ちつけるような仕草を始めた。
私は必死に彼の肩を掴み、「やめて!」と叫んだが、彼は私の手を振り払った。
「この家が、俺を呼んでる……俺を捕まえて離さないんだ!」
彼は突然立ち上がり、何かに突き動かされるように地下室の奥へと歩き始めた。
「圭祐!どこへ行くの!」
私は彼の後を追おうとしたが、美津子が私の腕を掴んだ。
その手は冷たく、しかし強い力で私を止める。
「追わないで。彼は今、この家の影響を強く受けている。」
「でも、助けないと!」
「助けられるのは、あなたしかいない。でも……まだ時が来ていない。」
美津子の言葉が意味するところはわからなかったが、私は彼女の静かな目に圧倒され、その場に留まるしかなかった。
家の最深部へ
圭祐が向かった先は、地下室の奥にある隠し扉だった。
隠し扉の向こうにはさらに暗く湿った空間が広がっており、その中心には何か巨大な物体が鎮座していた。
それは祭壇のように見えたが、血塗られた痕跡が生々しく残されている。
「これは……何なんだ……?」
圭祐はその前に立ち尽くし、頭を抱えた。
美津子の両親が、この場所で何か儀式のような行為を行っていたことは明らかだった。
それは美津子を犠牲にしただけでなく、この家そのものを呪いの象徴として固定化してしまうような何か――。
突然、祭壇の中央にある壺のような物体が割れ、中から黒い煙が立ち上った。
それはまるで生き物のようにうごめきながら圭祐の身体に入り込んだ。
「うっ……あああ!」
彼は絶叫し、床に崩れ落ちた。
その身体は痙攣し、目は完全に赤黒く染まっていた。
最終対決: 家と呪いの清算
私が駆けつけたとき、圭祐は完全に「家に取り込まれた」状態になっていた。
彼の目は私を捉えると、まるで別人のような声で言った。
「お前もこの家の一部になるんだ。ここからは逃げられない。」
私はその言葉に立ち尽くしたが、美津子の声が再び私を導いた。
「振袖を……私の振袖を、祭壇の上に置いて。」
振袖は、彼女の無念と怨念を象徴するものであり、同時にこの家の呪いを終わらせる鍵でもあった。
私はその指示に従い、振袖を持って祭壇に近づいた。
圭祐が邪魔をしようと迫ってきたが、美津子の姿が彼の前に現れた。
彼女は彼を見つめ、優しく語りかけた。
「もういいの。あなたは自由になれる。」
彼女の言葉が響くと同時に、圭祐の動きが止まった。その目にわずかな涙が浮かんでいるのが見えた。
私は振袖を祭壇の上に広げた。すると、部屋全体が白い光に包まれ、振袖がゆっくりと燃え上がった。
その炎は美津子の姿を映し出し、彼女は微笑みながら言った。
「これで終わり……ありがとう……。」
彼女の姿は光とともに消え、家全体が静寂に包まれた。
エピローグ: 呪いの果て
圭祐は無事だった。
だが、彼は事件の記憶をほとんど失っていた。
医師からは「極度のストレスによる一時的な健忘症」と診断されたが、私には彼がこの家の呪いから解放されたことを意味していると感じられた。
私たちは家を売り払い、街を離れることにした。もう二度と戻ることはない。
それでも、時折、振袖の少女――美津子のことを思い出す。
彼女の無念が晴れたのか、真実は誰にもわからない。
だが、あの振袖の模様だけは、私の記憶に焼き付いている。
その後、この家がどうなったのかは知らない。
けれど、噂によれば、新しい住人がまた……
私はそれ以上考えないようにしている。
ただ願うのだ。
この呪いが、これで終わったのだと――。
完