エッセイ|母が作る「わんこ餃子」
秋月家の名物「わんこ餃子」
私が中学生の頃は、家族4人で食卓を囲んでいた。
父と母、妹、そして私の4人。
ホットプレートで作る”もんじゃ焼き”やら、野菜がたくさん入った”キムチ鍋”やら、色々なものを4人で囲んで食べたのを覚えている。
そのなかでも特に登場頻度が高かったのは、母の作る大量の"わんこ餃子"だった。
大きな丸皿に、中身のぎっしり詰まった大きな餃子が50個ほど乗せられる。
餃子同士がぴったりとくっついて、ちょっと焦げているところが良い。
それを父と私、妹の3人で食べきると、母は待っていたかのように
「おかわりあるよー」と餃子の乗ったフライパンを持ってくる。
空いた皿に、熱々の餃子をまた50個乗せる。
“わんこそば”ならぬ、”わんこ餃子”だ。
餃子パーティの日
秋月家では、母が餃子を作る日を「餃子パーティ」と呼んで、
餃子しか食べないことにしていた。とにかく母が作る餃子の量が凄まじいので、それだけでお腹いっぱいになるからだ。
夕刻に「今日は餃子パーティだよ」と母が言うと、私と妹は顔を見合わせて「今日も物凄い量なんだろうなぁ」と笑ったものである。
母のこだわり
「おかわりあるよー」とフライパンから大皿にどさっと移された50個の餃子たちは、焼き立てでジュージューと音を立てる。焦げ目のあるもっちりとした皮の中には、白菜とニラ、にんにく、ひき肉がぎっしりと詰まっていた。
母のこだわりは「体にいいから」と、白菜とニラを多めに入れることだ。
ひょっとすると、肉よりも白菜とニラのほうが相当多いかもしれない。
家族の誰かが風邪をひいている時は、にんにくの量も多くなる。
野菜たっぷり、母の愛情もたっぷりの餃子だ。作る量もたっぷりだが。
餃子を作る過程で、母はいつも湯気の立ち上る熱々の白菜を、大きな手ぬぐいにくるんで絞っていた。左手で重い手ぬぐいを持ち上げ、右手で力いっぱい絞るという作業は、細い腕の母にはかなりの重労働だった。
母はよく台所から「お父さーん」と呼び、父が「はいはい」と自室からすぐに出てきて、代わりに白菜を絞ってあげていた。母と父が二人で台所に立つ姿が、なんとなく微笑ましかった。
エンドレス!「わんこ餃子」
母が持ってきてくれた”わんこ餃子”のおかわりを食べ、計100個の餃子を3人で食べ終える。妹は口に入れた餃子をもごもごさせたまま、どこか遠い目をしている。さすがにもうお腹いっぱいだ。
「ごちそうさま」と言おうと台所のほうを見ると、恐ろしいことに母が「おかわりあるよー」とフライパンを手に持っている。なんだって。
フライパンの上で、50個の餃子たちが「今焼きあがりました!」と言わんばかりにジュージューと音を立てている。これはまずい。
3人が一瞬顔を強張らせると、母は「あら、もういらなかった?」としょんぼりした顔をする。父がすかさず「ありがとう、いただこうかな」と言うが、ちょっと苦しそうな顔だ。
父との共闘
私が「お母さんは餃子食べないの?」と言うと、母はエヘヘと笑って「実は、餃子を焼きながらチョコパイを食べてたら、お腹いっぱいになっちゃった」と言う。おいおい。
妹は「もうだめ。無理。お腹いっぱい。ごちそうさま」と言ってギブアップ。箸を置いて後ろに仰け反ってしまった。私はというと、とにかく「残す」ということができないので、何が何でも食べなければと思った。
ちらりと父のほうを見ると、目が合った。小声で「無理するなよ」と言うので、私も小さく「そっちもね」と返す。戦に挑むような気持ちだ。
大好きな「わんこ餃子」と家族の思い出
“わんこそば”は、たしかお椀の蓋を閉めれば終了だったはず。
母の”わんこ餃子”は、一体どうすれば終わるのだろうか。
そんなことを考えながら、母が運んでくれた熱々の餃子50個を見つめた。
お腹はいっぱいだが、美味しそうだった。
「大丈夫よ、ほとんど白菜とニラだから!太らない、太らない」と母は笑っている。楽しそうに笑う母と、「うげー」と苦しそうに仰け反る妹、「いただきます!」と張り切る父。
今でも「楽しかったなぁ」と思い出す、家族との思い出。
白菜とニラがたっぷりの、中身がぎゅうぎゅうに詰まった餃子。
父と母が並んで台所に立って、白菜を絞る餃子。
お皿いっぱいの餃子。秋月家の餃子パーティ。
食べても食べても減らない、母の特性”わんこ餃子”。
皆でわいわい囲んだ食卓。
今でも私が一番好きな餃子は、母が作る”わんこ餃子”である。