【ドローンとAiが国民を不要にする】その1:近代国家は戦争から生まれた
相変わらず世界中でな混乱が続いている。
日本では、自民党旧安倍派のパー券裏金キックバック問題が依然として燻っていた。そしてそんな中、岸田首相が次期総裁選への出馬を断念すると発表し、驚きが広がっている。
しかし日本は平和な方で、世界に目を向けると、ウクライナ戦争は3年目に入り、中東では、ガザでの紛争が続いている。
欧州では各国で極右が台頭し、イギリスでも全国で暴動が発生している。
またアメリカでは、再びトランプ大統領が当選するかもしれない。
こうして世界中を見渡すと旧来型の政治が機能不全に陥っているように見える。今の政治形態は、右も左も保守もリベラルも賞味期限切れのようだ。
そこで今回は、近い将来到来する未来の国家形態について考察してみた。
近代国家は戦争目的
実は、今私たちが普通に生きている社会制度が誕生したのは、意外に最近のことだ。
例えば誰もが通う学校だ。日本全国に学校が設立され、全国民が義務教育を受けるようになったのは、明治維新以降だ。
それ以前は、武士など限られた階級を対象にした藩校や寺子屋などの私塾はあったものの、全国民を対象とする統一的な教育機関はなかった。高々160年ほどの歴史しかない。
欧米各国でも事情は同じだ。ほとんどの国で義務教育が導入されたのは19世紀の半ば以降だ。
またコロナ禍で注目を集めた保健所などの公衆衛生機関が誕生したのも同じころだ。全国民を対象とした国民医療保険や年金制度も同様だ。
さらに今では全国廿浦浦に存在する”市役所”が設立されたのも明治維新以降だ。
こう考えると警察と裁判所、そして軍隊以外は、江戸時代以前の時代には、ほとんど存在していなかったことに気づく。
それでは、いったい明治維新の時期に何があったのだろう。
国民軍の誕生
今の近代的な国家制度が整えられたのは、19世紀の半ばだ。その時代に誕生したのが、全国民を対象とする”国民軍”と呼ばれる新型の軍隊だ。
それ以前の軍隊は、メンバーが貴族や王族に限定されていた。
日本でも江戸時代までは、武力の保持は武士階級に限られていた。一般の農民や商人が武力を持つことは厳しく禁止されていた。
理由は簡単だ。下手に庶民に軍事訓練を施すと”一揆”や”反乱”を誘発しかねない。もしそうなれば多勢に無勢で、少数派の武士や貴族はやられてしまっていただろう。
ところが200年ほど前に、この貴族や王族による武力の独占が破られた。それがフランス革命だ。フランス革命が勃発すると、周りの国は革命を潰すために軍事介入を行った。
この各国の介入に対して、フランス革命政府は、一般国民の志願兵で構成される大規模な”国民軍”を編成して対抗した。
この一般国民で編成された軍隊が、今の各国軍の原型だ。
戦争が始まった当初は学生や農民、商人などの”軍事の素人”で編成された新編成の軍隊は、長年訓練を積んだ軍事のプロフェッショナルである”貴族や王族の軍隊”に太刀打ちできないと思われていた。
しかし実際に戦闘が発生すると当初の予想は覆された。何と”素人の軍隊”が勝利してしまったのだ。
国民は使い捨ての兵隊
フランス革命政府が編成した国民軍という名の”素人軍隊”がプロの軍隊に勝利した最大の要因は、一言で言えば”兵隊を使い捨て”に出来たことだ。
当時の伝統的な王族や貴族の軍隊は、主な兵力を”傭兵”に頼っていた。軍隊のコアになる少数の貴族や王族と近衛兵以外は、常備軍を持たなかった。理由は”コストが掛る”からだ。
また傭兵部隊の主なモチベーションは、戦闘後の都市の略奪だった。しかし、大砲やライフルの進化により、戦闘が都市を包囲する伝統的な囲城戦から、平野で鉄砲や大砲を撃ちあう会戦に変化すると、傭兵部隊の旨味が低下していた。
また戦闘期間が長期化するに従い、主人である王族や貴族が金欠に陥るケースも多かっただろう。傭兵部隊には”金が全て”だ。金欠になり金払いの悪くなった主人とはおさらばするだけだ。
こうして戦争が長期化するに従って、軍事の素人で編成されたフランス革命軍が、王族や貴族の軍隊を圧倒するようになっていった。
イデオロギーで戦う軍隊
金が全ての傭兵部隊に対して、フランス革命軍の兵士たちのモチベーションは”革命”そのものだった。今風に言うと”イデオロギー”だろうか。ちょうどブラック企業が純粋な若者を愛社精神で鼓舞するように、国家は愛国心を鼓舞し、自分たちが戦争で犠牲になることが、あたかも”尊い犠牲”のように”洗脳”されていった。
もちろん革命が失敗に終わった場合には、革命派である自分たちが処刑される危機感もあっただろう。
しかしやはりモチベーションの中心は、”民主主義”と”愛国心”いう名の”洗脳”だったのだろう。イデオロギーと言うより”新興宗教”に近いかもしれない。
結果として、フランス革命政府は、”タダで無尽蔵に死んでくれる兵隊”を得ることになった。
この愛国心に感化された巨大な軍隊は、ナポレオンという天才軍師の指揮を得て、最終的にヨーロッパの大半を支配するまでになった。
因みにこの理屈で考えると、何かと議論になることの多い我が国の「特攻」も、国民を兵士として使い捨てにするという意味では、近代戦の究極の形かもしれない。
背に腹は代えられない
フランス革命とそれに続くナポレオン戦争は、1814年にワーテルローの戦いでフランス軍が敗北することで終わりを遂げた。そして敗北の後には、ナポレオンはアフリカの島に幽閉されて、そこで亡くなった。
しかし、その後も欧州各国は、新たなナポレオンの誕生とフランス革命軍の復活に怯えることになる。また各国とも自国での革命の勃発にも対処する必要があった。
そこで”背に腹は代えられなくなった”欧州各国が取った選択が、”自分達でも国民軍を編成する”ことだった。
そして、その手段として誕生したのが、今の近代的な政府とその国家システムだ。
この国民軍の編成に最も成功したのが、プロイセンだ。プロイセンは、鉄血宰相ビスマルクの指導の元、新編成の国民軍を使って、普仏戦争でフランスを破りドイツを統一してしまった。
このプロイセン由来のドイツ軍が、第一次世界大戦を引き起こし、最終的には、ヒトラーの道具となり第二次世界大戦を引き起こすことになった。
国民の誕生
この新たに登場した近代国家の中心的の一つが”国民”という概念だ。今では当たり前の”国民”という言葉だが、世間に広がったのは、近代的な政府が生まれて以降だ。
日本でも江戸時代までは、自分のことを”日本人”と思っている人はほとんどいなかったそうだ。ほとんどの人が出身地である”武蔵の人”や”薩摩の人”と自分を認識していた。
このあたりの話は、司馬遼太郎のベストセラーである”坂の上の雲”主題でもある。当初は”四国松山の人”だった主人公の秋山兄弟が、明治時代を通じて次第に”日本人”になっていく。
そして”武蔵の人”や”松山の人”を”日本人にするために作られたのが学校だ。
今では当たり前の国民という考え方自体が、人工的に作り出されたものだ。
学校と標準語の誕生
全国民を対象とした国民軍を編成する際にまずネックとなったのが、意外なことに”方言”だった。今の日本でも時折、TV番組のネタになるように、例えば鹿児島の薩摩弁と青森の津軽弁で意思疎通するのは困難だった。
事情は各国でも同じだ。言葉が通じなければ、同じ軍隊として統一行動をとることが難しくなる。言語の統一が不可欠だ。
そして国民の言語の統一のために設立されたのが”学校”だ。義務教育を通じて全国民が共通の言語を理解できるように訓練する必要があった。
後に設立されたBBCやNHKなどの公共放送も第一の目的は、国民の言語(と思想)の統一だ。こうして”標準語”が誕生することになった。
時間厳守と行動
義務教育の目的は、言葉の統一だけではなかった。
もう一つの重要な目的が”時間厳守”と”団体行動”の訓練だ。
当時の国民の大半は農民だ。そして、その農民たちは、それまで時計を使ったことがなかった。日の出とともに起床し、日の入りと同時に就寝していた。
しかし巨大な軍隊を動かすためには、各個人が時間を厳守して統一行動をとる必要がある。また団体行動の訓練も必須だ。整列も出来ない軍隊に戦闘は不可能だろう。
朝礼で全校生徒が”右向け右”するのも、運動会で棒倒しや騎馬戦をするのも全て戦争目的だ。また学校で野球やサッカーなどの”団体スポーツ”が好まれるのも、もちろん兵士の養成が目的だ。
命令服従
学校の目的には、全国民に”上官の命令には絶対服従する”ことを叩きこむ必要もあっただろう。戦闘にあたっていちいち目的を説明する暇はない。上官からの命令には絶対服従させることが必要だ。
以前の学校では、規則に従わない生徒には、問答無鉄拳鉄拳制裁の暴力が振るわれていた。これも”教師という上官”の命令に服従させる訓練だ。
ランドセルとセーラー服
学校が兵士養成機関だったことを象徴するのが、小学生が背負っているランドセルだろう。言うまでもなくランドセルの原型は軍隊の”背嚢”だ。
そして中学生が着ていた詰襟の学生服とセーラー服は、ズバリ軍服だ。
このランドセルとセーラー服の由来を考えれば、これ以上の説明が不要だろう。
微分積分と大学
みなさんは高校で微積分が教えられていることを不思議に思ったことはないだろうか。理系の大学に進学するならまだしも、全国の全ての高校生にあんな抽象的で難解な数学を教える必要があるのだろうか。
しかし軍隊の強化という学校の本来の目的を考えると微積分は必須になる。その目的を簡単に言うと”大砲の弾を命中させるため”だ。戦場で大砲の弾を目標に命中させるためには、現場で微積分を使った弾道計算が必要になる。
この大砲の弾の計算をする能力のある学生を選抜するのが高校での微積分や物理の目的だった。
同じように化学は火薬や毒ガスの製造に、生物学は負傷した兵士の治療(そして生物兵器の開発)に、物理学は大砲や飛行機の製造に必要だった。
こう見ていくと、学校のカリキュラム自体だズバリ戦争目的であることが簡単に理解できる。
近代国家の誕生
大規模な国民軍を編成維持するために誕生した社会組織は学校だけではない。以下のように現代のほとんどの大規模社会組織が、元々”戦争目的”だったのだ。
病院と保健所
巨大な国民軍を組織する際に問題となることの一つが、伝染病の蔓延だ。多数の兵士が兵舎で共同生活を送り、戦場では不衛生な環境に置かれる。当然、伝染病の大発生は避けられない。
この伝染病の蔓延を防止するためには、乳幼児から予防注射を文字通り”ブスブス”打ちまくって予防する必要がある。母子手帳や健康診断も本来の目的は、戦場で”使い捨てにする兵士”を健康に育成するためだ。
市役所
今ではどこの街にもある市役所や町役場も兵士を管理するのが目的だ。戸籍と住民票が無ければ、兵士予備軍の子供の数を把握することが出来ない。出生届を出させて、将来の兵士予備軍である子供の数を把握するのだ。また徴兵する際には、兵士の身長や体重、靴のサイズなどの情報が事前に必要だ。なん百万着の軍服やなん百万足のブーツを事前に準備するためだ。
官僚機構
地方に市役所や保健所が作られると同時に、中央には巨大な官僚機構が作られた。この巨大な官僚機構の目的は、長期的な国力と人口の増大を図り、敵より強い軍隊を作ることだ。
日本の霞が関を頂点とする官僚機構が明治維新後に作られたのもこのためだ。そして官僚機構を支える人材を輩出するために作られたのが、東京大学を中心とする帝国大学だ。
税務署
巨大な国家機構を維持するためには、巨額の資金が必要だ。従来からの年貢制度から、所得税や消費税を中心とする税の中央集権的な徴収システムが作られた。日本でも明治以降に農産物の出来高に左右される年貢制度から土地の面積に応じて課税される地租制度に改正された。
今の日本でも全国の税務署は、財務省の直轄だ。
郵便貯金
戦争目的で始められたものには意外なものもある。例えば郵便貯金だ。ほとんどの国で郵便局が取り扱う貯金がある。これは、国民の贅沢な消費を抑制して、余剰生産能力を兵器の生産に振り向けるためだ。インフレを起こさずに兵器生産に産業を集中させるためには、国民が受け取る給料の多くを貯蓄として吸い上げ、消費を抑制する必要があった。
大学
大学が各国に作られたのも近代以降だ。この大学のモデルになったのが、ナポレオンが作ったポリテクニークと呼ばれる国立技術大学だ。そしてフランスのポリテクニークを参考にプロイセンにより設立されたベルリン大学が、その後の各国で相次いで設立れた大学の原型になった。
アメリカのMITやカルテックなどの世界的に有名な理系工科大学のほとんどが、軍事技術の開発目的により設立されている。当然、東大や京大、東京工大などの国立大学の理系学部の当初の目的は軍事技術の開発だった。
戦後の日本では、国立大学を中心に”大学の独立”が謳われてきた。また大学の軍事技術への関わりを禁止してきた。しかし国立大学の本来の設立目的が軍事技術の開発だったとするなら、大学教授たちのこのような主張は笑止千万だ。
中央銀行
以外に感じるかもしれないが、投資家にお馴染みのFRBや日銀が誕生したのも戦争目的だ。
国家の全ての力を投入した総力戦の時代になると、従来の方法での戦費の調達は不可能になった。財政破綻を避けつつ大量の国債を発行し戦費を調達するためには、従来の民間銀行による引き受けでは限界が生じた。
そこで中央銀行を設立して、大量の国債を引き受けさせると同時に、インフレを抑制するために国民の消費を抑えるマクロ経済的な手段が必要になった。この主力を担ったのが”中央銀行”だった。
また兵器生産を最大化するために、銀行からの融資を通じた産業統制が行われた。鉄鋼や化学、鉄道などの主要産業に関しては、融資を統制集中させることで企業の統合や集中が図られた。日本にかつて存在した日本興業銀行などがその典型だ。中央銀行は、金融機関への統制を通じて、金融面から国家総動員体制に貢献していた。
GDP
いまではニュースでお馴染みのGDPが開発されたのも総力戦を戦うためだ。もとはアメリカが第二次大戦に参戦するにあたって、国内の生産能力を総合的に把握するための統計数字として開発されたものだ。
労働組合
各国で労働組合が普及したのは、残念ながら労働者の権利保護のためではない。戦争のために生産能力を最大化するのが目的だった。それまで資本家に抑圧されてきた各国の労働組合は、第一次、第二次世界大戦の際に、生産能力を最大化するために合法化された。また労働組合の全国組織が設立されたのも総力戦のためだ。これが今も存在する連合などの巨大な労働組合の原型だ。
一方で、利潤を追求しようとする資本家、起業家たちは、しばしば生産増強の阻害要因とみなされ、直接の記号活動から徐々には序されるようになった。
日本でも昭和初期の革新官僚から始まり、最終的には近衛内閣で”国家総動員体制”が確立され、三井や三菱な財閥の権利は厳しく制限されるようになった。
技術の爆発的発展
強い軍隊を作るために各国で国立大学が次々に設立されて、巨額の資金が軍事技術の開発の投入されるようになった。その結果起きたのが技術の爆発的発展だ。
そして新たに開発される軍事技術が、産業に応用されることで、生産能力の爆発的増加、経済の急速な発展が実現した。
更に増加した経済力を新たな技術開発に投入することで正のフィードバックループが動き始めた。
19世紀の半ばごろから科学技術が急速に発展し始めたのはこのためだ。電気や電波、飛行機など新技術が次々に開発されていった。そして最後に真打として登場したのが”原爆”だ。
以下に簡単に技術開発と戦争の関係を概観してみたい。
無線通信
今ではあらゆる場面で使われている無線技術が開発されたのは、もちろん軍事目的だ。そして無線技術の発展は、最終的にレーダーの開発に繋がった。
電磁気学の発展が無ければ今のテレビやラジオ、インターネットやスマホも存在しないことになる。宇宙開発も無線が無ければ不可能だ。如何にこの電波に関する学問の影響の大きさが分かるだろう。
毒ガスと肥料
戦争と技術開発の関係を最も象徴するのが、毒ガスと化学肥料だろう。100年前にドイツの科学者であるフリッツ・ハバートは、空気から窒素肥料を合成する技術を開発し、ノーベル賞を受賞した。しかしハバートは、第一次世界大戦が勃発すると、この肥料製造技術を毒ガスの開発に転用した。
この化学肥料がなければ、世界は食糧危機に瀕しインドや中国で大規模な飢饉が広がっていたかもしれない。当然ながら人口ももっと少なかっただろう。
飛行機
世界最初の動力飛行を達成したのは、アメリカの自転車屋だったライト兄弟だ。しかし、その後の急速な航空機の発展を支えたのは、軍事目的であったことは言うまでもないだろう。
航空技術は現代生活のあらゆる場面で利用されている。例えば栗間のターボチャージャーは空気の薄い上空でエンストを防ぐために開発されたものだ。またラジアルタイヤは、航空機の離着陸よう耐えるために開発された。そのほかにも軽量のアルミ合金など今の自動車に使われている技術の大半が飛行機由来だ。
ライト兄弟の初飛行から半世紀を経ずしてジェット機が音速で飛び、100年も経たずして人々がジャンボジェット機で海外旅行に行くことを当時誰が予想しただろう。恐ろしい発展のスピードだ。
ナイロン
ストッキングでお馴染みのナイロンなどの合成繊維は、パラシュートに使われていた絹が中国から輸入できなくなることを見越して、絹に替わるパラシュート材料として開発されたものだ。
石油から造られる合成ゴムや、合成繊維、各種プラスチックなども同じだ。
半導体
今のスマホやコンピューターを足元で支えるトランジスターなどの半導体も元々はレーダーなど軍事利用が目的だった。従来から電子回路に使われていた昔懐かしい真空管に替わって、衝撃に強い”割れない真空管”として開発されたものだ。
コンピューター
世紀の発明であるコンピューターが開発されたのが、暗号解読と弾道計算だったことは有名な話だ。その後の発展は説明するまでもない。
原爆
軍事と科学技術の統一の究極の産物ともいえるのがズバリ核兵器、原爆だろう。素粒子理論などの最先端物理学やコンピューター技術など、当時開発された軍事技術が結晶したものが原爆だ。
テフロン加工
焦げ付かないフライパンに使われているテフロン加工も元は軍事技術だ。
宇宙ロケット
言うまでもないが、ロケット技術の元はナチスドイツによる弾道ミサイルの開発だった。
人工衛星
毎日の天気予報でお馴染みの気象衛星などの人工衛星も元と言えばスパイ衛星がもとだ。今ではイーロン・マスクのスターリングによる衛星通信が、一般家庭でも利用可能になっている。
携帯電話
現代の生活に欠くことのできない携帯電話の元になった技術も軍事通信技術の開発だ。元々はヨーロッパに展開するNATO軍向けの移動通信システムとして開発されたセル方式通信がその原型だ。
そして携帯電話とインターネットが融合して究極のデバイスであるスマートホンが誕生した。
インターネット
これも言うまでもないだろう。インターネットは、ペンタゴン(米国防総省)の先端技術開発部門であるDARPA(ダーパ)により、核戦争でも生き残れる通信システムとして1960年代に開発が始まったARPANETが原型なのは有名な話だ。
こう見ていくと現代生活に軍事技術と無縁なものを探す方が困難だ。我々は、爆発的な軍事技術の発展に首までどっぷり漬かって生活しているのだ。
第一次世界大戦という暴走
元々は、王族や貴族、資本家などの既得権益を守るための止むを得ない手段に過ぎなかった国民軍と近代的政府だが、世代が下るに従って主人の下を離れて勝手に動き始めた。
この近代政府の自己目的化とも言える現象が一番深刻だったのが、プロイセンを引継いだドイツ帝国だろう。
ドイツでは鉄血宰相ビスマルクの死後に、参謀本部の軍人たちが権力を握った。当初はただの戦時における鉄道運航局に過ぎなかったドイツ陸軍参謀本部だが、科学技術と兵器の進歩に従って軍隊が巨体化するのに伴い、その組織が肥大化していった。
第一次世界が長期化するに従い、ドイツ参謀本部は国家の実験を掌握し、第一次世界大戦中に政治や外交など本来は軍事の上にあるべき国家の事柄が全て軍事に順属するようになった。
しかし戦争末期に勝利の見込みがなくなると、あっさりと責任を放棄してしまった。その結果は大混乱だった。
革命と民主主義
第一次世界大戦は、国民軍と近代的な国民国家の頂点と言えるだろう。国家と国民の資源を漏れなく動員する初の「総力戦」となった。
戦争が勃発すると、多くの兵士が学校で教えられた愛国心を胸に戦場に飛び出していった。
しかし結果は悲惨を通り越して”凄惨”なものになった。
それまでの戦争で見られた”勇敢な兵士”による突撃や、誇り高い騎兵隊による伝説的な戦いは姿を消し、機関銃などの近代兵器を前に、ただただ兵士の命が消耗されていくという前代未聞の状況になった。
しかしその後も各国の指導者たちは、タダで調達できる兵士を無慈悲にも戦場に投入し続けた。その結果が悲惨な塹壕戦による大量の犠牲者だ。そして、数年もしないうちに各国は無尽蔵だと思われていた自国の人的資源を使い果たすことになった。
勝利の見込みのない凄惨な戦闘が続いた結果、第一次世界大戦の末期には、各国の軍隊で”反乱”が頻発するようになる。フランス軍では、ドイツ軍の攻勢の最中に大規模な兵士の脱走が発生して戦線が崩壊しかかった。
そしてついに、大戦末期の1017年には、ロシアで革命がおこり、帝政ロシアが倒れる事態が発生した。また1918年の戦争末期には、枢軸国のドイツでも軍隊の内部で反乱が発生し、この反乱が引き金となりドイツ帝国が崩壊し戦争が終結することとなった。
ちょうど100年前のフランス革命時に王族や貴族など旧支配階級のアンシャンレジームが革命に慄いたように、今度は軍人や資本家などの国家の支配者階級が国民の反乱と革命騒ぎに怯えることになった。
一方で、経済力に余力のあった英米仏などでは、革命を防ぐ意味からも、第一次世界大戦後に普通選挙や婦人参政権が認められるようになり、今のリベラル民主主義の基礎が築かれた。
ファシズムの誕生
兵士と国民の反乱である革命が勃発した各国では、何年かの混乱を経て、皮肉なことに各種各様の国家主義、社会主義のような中央集権的な統制経済、統制社会が最終的に出現した。
その代表がヒトラーに率いられたナチスドイツだろう。また同じようにロシア革命の起きたロシアでは、最終的にはスターリンの独裁になった。イタリアではファシズム、我が日本は、2・26事件などのクーデター未遂を経て軍国主義が確立した。
100年前のフランス革命でも、最終的にはロベスピエール率いるテロ国家が出現したが、100年後の第一次大戦後も同じように国民を弾圧するファッショ国家が出現することになったのは興味深い。
このファシズムや軍国主義、社会主義では、それまで支配者階級であった貴族や資本家を排除し、国家官僚や軍人官僚が支配権を握った。
この新たな支配者の特徴は、合法的な制度を背景として生まれたことと、大衆の広範囲な支持を得ていたことだろう。
例えばヒトラーは、ワイマール憲法の総選挙を経て議会で選出されている。また日本でも、軍部は大日本帝国憲法下での天皇の軍に対する統帥権を背景に政治権力をふるった。ソ連のスターリンでさえ共産党の規則に従って権力を行使している。以前の剝き出しの暴力を用いての権力奪取に替わって、合法的手段によって独裁権力を獲得している。例外はクーデターで権力を握ったムッソリーニぐらいだろう。
このある種のコーポレーションによる権力奪取により各国で独裁制が確立していった。
そして一旦権力を掌握すると、組織の存続自体が自己目的化していった。
このあたりの仕組みは、現代で言えば高速道路整備や整備新幹線計画、そして原発利権と相通じるものがある。ひとたび組織が走り出すと、よほどの力が外部から働かない限り、暴走を止められない。日本の道路公団の場合を例にとると高速道路を作ること自体が自己目的化してしまい、最後になると経済性を無視してイノシシしかいない田舎に道路を通すことに暴走してしまった。
戦前の日本の軍部の場合でも、当初は利権獲得が目的だった大陸侵略が、いつの間にか戦争自体が自己目的化し、補給の限界を超えて軍を進めることになった。そして本来中国から撤退して戦線を整理すべきところ、組織の自己保身の力が働き、アメリカとの戦争にまで踏み込んでしまった。
その暴走が止められたのは二発の原爆を落とされた後だ。
この近代国家の暴走が要因となって最終的には第二次世界大戦が勃発した。まずファシズム対民主主義(とソ連)で戦いが行われ、ファシズム、軍国主義、ナチズム勢力が駆逐された。
しかし、大戦後も対立は止まず、今度は英米の民主主義諸国と全体主義国家のソ連、中国などの勢力が争うことになった。
原爆により時代遅れに
200年前に始まったフランス革命で誕生した全国民を対象とした巨大な国民軍は、第一次世界大戦後にファシズムや軍国主義に姿を変え、その頂点を迎えることになった。
終止符を打ったのは、核兵器の登場だ。
第二次世界大戦後に核兵器の大量配備が始まると、大勢のライフル歩兵と戦車や大砲、航空機による近代的な軍隊は、もはや無用の長物と化した。
朝鮮戦争や中東戦争などの例外はあったものの、もはや大国間の大規模戦争は姿を消すことになった。
近代的国民軍の衰退を象徴するのが、ベトナム戦争とアフガン戦争だろう。ジェット機や戦車、ヘリコプターで武装した近代的な軍隊が、ジャングルや砂漠で軽装備のゲリラに敗北するという衝撃的な事態となった。
こうして核兵器の登場とともに、各国では徴兵制が廃止され少数の志願兵で構成される軍隊に再編成されることになった。
しかし、軍隊編成が目的だった国民国家自体は消滅することなく存続し続けている。本来の目的を失った近代国家、国民国家が見出したのが「市民社会」という幻想だ。
その2:「市民社会という幻想」に続く
続編では、この戦争目的で始まった近代国家、国民国家が、核兵器の登場で無効化して以降の現在までの世界を描写してみたい。
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