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夫婦で、よく男と女の話をします

夫とふたりで暮らす私は、よく男と女の話をします。


今時は、男とか女とか、パッキリ分けずに語る風潮もありましょうが、いわゆる「オス・メス」の話をしたいので、話を単純化するために、男女の二種類に分けて話をさせてくださいね。

「性別」に関する話題が苦手な方は、ここで読むのをやめてくださいね。

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■ 私(女性)は、男性のことが好きです。
■ 夫(男性)は、女性のことが好きです。


私たち夫婦は、男と女がペアになったヘテロセクシャル(異性愛者)です。



そんな私たちは、日常生活の中で、よくこんなニュアンスの会話をします。

私「え、それって、男の人の多くが、そう思うの? それとも男とか女とか関係なく、個人的にそう思うってこと?」

夫「こう考えるのは、俺が男だからなのかな? 女の人って、こういうときどう考えるの?」

私たち夫婦はそれぞれが「一個人」ですが、暮らしの中で、「男として」「女として」も、生きています。

私たちは、自分たちを一般的な「女っぽさ、男っぽさ」にハメた上で、逆に自分たちの「女っぽくないところ、男っぽくないところ」も含めて、「メスとして」「オスとして」生きて、会話をしているわけです。

もちろんこの「女って・男って」は、私たちの主観によるもので、「これがTHE女だ・THE男だ」という正解は存在しないのですが。

私は、「人間個人」の私と、「女」である私が、混然一体となって存在しているなぁと、日々感じながら生きています。

さらに子供がいらっしゃる方々は、「母親・父親として」という役割も追加されますよね。(でもそれも、「母親=女」「父親=男」なのだろうか?)

「人間個人」と、「女である私」の、ふたつのパーセンテージは、常に変動式です。
例えば、夫と話す話題の種類によって、私は「女としての発言」になったり、「人間としての発言」になったりするのを、心の中で密かに感じることがあります。

夫のそれも感じます。
夫がロジカルに話しているときと、明らかに「男である夫」が全面に出ているとき。ムキになったり、感情的になっているときは、互いに性別の度合が上がっているようにも思えてくる。

そして接する相手によっても、私の「女度」は変動します。
わたしは、夫以外の人と会うとき、それが男性でも女性でも、「女度」よりも「人間個人」のパーセンテージを上げて接します。

これは、私個人の勝手なバランス感覚でそうしています。
若い頃、不要な場面で「おんなおんな」していたことなどを、中年の今になって急に思い出し、恥ずかしさのあまり「うおーーーーっ!!」と突然叫び声をあげたりして、夫に「どうした?」などと心配されている背景があるわけです(笑)
まあ、これら全部の経験をひっくるめて、現在の「人間であり、女である私」ができあがっているわけですね。


そして私は夫のことを、「人間として」好きなのですが、同時に「オス」としても好きです。
「女の私」が持っていない性質を、「男の夫」が持っていて、それを私の脳が「男っぽくて好きだな」と感じているのだろうと思います。つまり、それが異性愛者なのだということですかね。

私自身が、マーブルのように、「個人」と「女」を混在させながら生きており、同時に、異性を想う気持ちも「人間として好き」と「男性として好き」がうまく切り離せません。


だから仮に、夫と同じ人格を備えた「女性」がいたとして、女である私が、その人と女友達になりたいかと問われたら、すんなり「イエス」と答えるかどうかも分かりません。
想像しづらく、答えがすんなり出ませんし、夫も同じように考えているのではないでしょうか。

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日常の暮らしにおいて、自分たちの「性別の差異」に、ときに無自覚になって忘れたり、思い出したりを、繰り返しながら生きているわけですが、二人の関係性がうまくいかない時期などには、その差異が、よからぬ方へと反転してしまうのを感じます。

「まったく、これだから男は(女は)」
「どうして女(男)って、こうなの!?」


もちろんこんな言葉を、本人の前では口にしませんが、女友達と「男女」の話をしているときに、「男の人って、こうだよね。わかる!」などと、膝を打ち合うことがあります。
男の人も同じように「女の人あるある」を感じることがあるのではないでしょうか。

今時は「女だからこう」「男だからこう」などと、公の場で発するのはまずいのかもしれませんが、「その傾向を感じること」は、誰しも自由です。

だからクローズドの夫婦の間では、私たちはオスとメスの違いについて、「こんなにも違う」という確認をしつつ、「女(男)ってそうなの? 知らなかった! じゃあ、こういう場合は?」などと、互いの性別について、大いにぶっちゃけあいます。

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こうして考えてみると、私のような異性愛者のカップルは、マジョリティとして存在していますが、実は「ふたりの関係性を良好に継続させること」が、とても難しいペアなんじゃなかろうか、とも思うのです。

「異性同志のペア」であるが故に。


一昔前から、男女の脳みその違いに関する本が、山ほど本屋に並ぶようになりましたよね。
私もそれらのいくつかを読んでは、夫に「男性は、こうだって書いてあるけど、どうですかー?」などと問いかけ、夫の「その通りです! or  その部分は俺は違いまーす」などの答えを聞いて、遊んでいました。


一方で私は、同性に対して「言葉にしなくても分かり合える・通じ合えるニュアンス」を感じながら生きています。
そして分かるからこそ「共感しあえ、喜べる部分」と、分かってしまうが故に「イラッ」とさせられることもあると感じます(笑) 合わせ鏡のように。

自分とはまったく性格が違う女性でさえも、「女・メス」という軸を一本突き刺すと、「はいはい、わかるわかる」と通じるところが浮き彫りになる、この不思議。(乱暴な言い方だったら、ごめんなさいね)

そういう意味で、男である夫とは、その「軸」が存在しないのですよね。


そのことを、長く一緒にいると、忘れそうになります。

「分かるでしょ、私のこと。こんなに長く一緒にいるんだからさ」と。

イヤ、やっぱり分からないんである。

もともと別の人間な上に、相手は「異性」だから。


私が、かわいいレターセットやシールなどを買い揃えて、うっとりしている間に、男である夫は、ガンダムに萌え、脳みそを宇宙に飛ばしている。

好きなモノひとつとっても、まったく違う。

だから、私たち異性のカップルは、よくよく注意して、分かり合えないことを前提にして、ひたすら言葉を尽くすしかないんだろう。

私は、「ガンダムの、F-1の、車の、三国志の、どういうところに魅力を感じているのか、一体何に思いを馳せているのか」といった質問を夫に何度も問いかけてきました。

聞けば聞くほど、それらを好きな理由は、夫が「男性」であることと、切り離せないのではないかと感じています。

ただの「好きなモノ」ひとつとっても、「こんなにも違う」と、その差異に驚きながらも、一方で「同じお笑い芸人をおもしろいと思う感覚」は一致していたりもする。
それもまた、おもしろい。

さらには同じ「男」「女」でも、時代や文化、風潮によって、どんどん変わる。ということは「女」も「男」も、所詮は時代や社会によって作られた「性別像」に過ぎないのか?
……となどと思いつつ、やはり「根源的な差異」も同時に感じつつ、生きてもいる。

現代においては「性別がわずらわしいので、いらない」と考える人もおられ、そのこともまた興味深い。

私は、私としてしか生きられないので、「分からない・知り得ない感覚」は、その相手から説明を聞いたり、想像するほかない。
少しでも相手を理解し尊重したいと思うのは、やっぱり私自身も、尊重され、自由に生きたいと思うからですね。

どちらかに優劣や、正誤をつけたくない。
ただの「差異」として認識できたら、分断は減るのではなかろうか。
私たちはつい「自分の方が正しい!」と思ってしまう生き物だから(笑)

そして、私も「なぜ、自分はかわいいシールやレターセットに萌えるのか」
これを、うまく説明できるようになりたい。
女性の誰か、教えてくれませんか(笑)


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