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「全託」による、自我の消滅と真我(アートマン)への回帰
「全託」による、自我の消滅と真我(アートマン)への回帰、
深い霊的覚醒体験、特にヴェーダーンタにおける自己実現(アートマ・ダーシャナ)の境地に至る過程と、その内容を叙述
全託と自我の超越:
「全託」は、ヴェーダーンタにおける自我(アハンカーラ)の超越、すなわち、個としての自己意識への執着を手放し、
真の自己であるアートマン(真我)に意識を明け渡すプロセスを指し示しています。
全託が不可避の境地であることを悟り、自我を超える必要性。
これは、ヴェーダーンタが教える無知(アヴィディヤー)の克服、すなわち、自己を身体や心と同一視する誤った認識からの解放に他なりません。
思考、欲望、恐怖の放棄とアートマンへの回帰:
思考、欲望、恐怖は、自我が生み出す心の働きであり、真我を覆い隠すヴェールと見なされます。これらを完全否定する作業は、
ヴェーダーンタの実践、特にジュニャーナ・ヨーガ( ज्ञानयोग, Jnana Yoga ज्ञान योगा ज्ञान योग )における心の制御(チッタ・ヴリッティ・ニローダ)の実践であり、
心をアートマン(神)に集中させることは、瞑想や自己探求(アートマ・ヴィチャーラ)の実践に相当します。
ヴェーダーンタにおける साक्षी (Sākṣī, 目撃者意識):、
心の向きを外側から内側へ180度転換させ、変化する思考や感情を観察する不変の意識主体としての真我を認識する。
すなわち、感覚器官を通じて外の世界に向かいがちな意識を、内なる真我へと向ける内観(プラティヤーハーラ)の実践。
自己実現:
自己実現は、ヴェーダーンタにおけるモークシャ(解脱)またはニルヴァーナ(涅槃)の状態、
ブラフマンとの一体性を体験的に悟ることを意味します。
「トゥリーヤーティータ」は、意識の四番目の状態を超えた純粋意識の状態であり、真我そのものを指します。
「シヴァ・ローカ」は、神の至福に満ちた領域であり、自己実現の境地を象徴的に表しています。
意識の拡大と一体感:
自我が消滅し、真我の認識が確立すると、意識は限定された個人意識の枠を超え、無限の空間に拡大するとされます。
宇宙全体がブラフマンの顕現であり、真我とブラフマンが同一であるというヴェーダーンタの根本教義の実感的理解。
欲望の放棄の困難さと神からの試練:
欲望や執着は、自我の根源的な性質であり、これらを放棄することは容易ではありません。
瞑想の熟練者であっても執着を完全に断ち切ることは難しく、「全託」が瞑想よりも困難であるという認識は、
自我の根深さを表しています。「神からの試練」は、古い自我の抵抗や、潜在的なカルマの表出と解釈できます。
しかし、試練を乗り越え、「神以外の何物もない」という絶対的な全託の境地に達することで、真の自己実現に至るとされています。
「全体的な個人」と神の意志との一致:
自己実現者は、もはや限定的な個人ではなく、「全体」としての意識を体現する存在となります。
「全体的な個人」とは、ジーヴァンムクティ(生ける解脱者)という概念に近いかもしれません。
自我が消滅することで、個人の意志はブラフマンの意志と一体となり、全てが神聖な意志の現れとして理解されるようになります。
これにより、葛藤や抵抗がなくなり、絶対的な受容と平和が実現します。
覚醒への慎重な態度と
ヴェーダーンタが教える資格( अधिकारी, adhikārin )の概念:
全ての人に同じ進捗度合いで霊的覚醒が起こるわけではなく、それぞれのダルマ(義務)やカルマ(業)に応じた道がある
完全に神と一致する自己実現は稀有な体験であり、安易に他者に強要すべきではないという慎重な態度
結論として、
全託、自我の超越、真我の認識、そして至福の体験は、ヴェーダーンタの実践者にとって、大いなる励ましと指針となるでしょう。