はじめに
スイス・バーゼルでホルバインの『墓の中の死せるキリスト』を観て強いショックを受けたドストエフスキー。
前回の記事では彼に衝撃をもたらしたその名画とバーゼルの街をご紹介した。
そして彼ら夫妻が次に向かったのは国際都市ジュネーブ。ここに彼らは長く滞在することになる。
ジュネーブ生活の始まり
レマン湖のほとりに位置するジュネーブ。ルソーやヴォルテールで有名なこの街にドストエフスキーは滞在した。部屋探しも無事に終わり、地獄のバーデン・バーデンとは打って変わって、二人は平穏な生活を始められたようだ。
そしてこの街でドストエフスキーは『白痴』の執筆を続けたのだが、同時にこの街でドストエフスキー夫妻待望の第一子が生まれることとなる。
ここで出産直前のドストエフスキーの様子をアンナ夫人の『回想記』から引用したい。
出産間近のアンナ夫人を気遣うドストエフスキー。そして助産婦のバロー夫人の家まで毎日歩いて場所を覚えていたというエピソードもなんとも微笑ましい。
そしていよいよ1868年2月。いよいよ出産の日を迎える。この日の出産の模様もアンナ夫人は『回想』に事細かく記している。少し長くなるがせっかくなのですべて見ていくことにしよう。
待望の第一子ソーニャの誕生。『悪霊』にも登場するドストエフスキーのあたふたぶりと大喜び
アンナ夫人の陣痛が始まった時、ドストエフスキーはてんかんの発作直後だったので意識も朦朧。肝心な時にこうなってしまうのもなんともドストエフスキーらしい。
そして孤立無援の中耐えきったアンナ夫人の精神力にもやはり驚かざるをえない。
そして『悪霊』で書かれていたシャートフのどたばたぶりがまさかドストエフスキーの実話から来ていたというのは面白い。
「なんとまあ、このロシア人たちは、このロシア人たちは!」
この言葉に尽きる。
陰惨な『悪霊』や重厚な『カラマーゾフの兄弟』の作者も妻の出産を前にしてはこうなってしまうのである。世のパパたちもきっと思い当たるのではないだろうか。そしてそんな夫を冷静に見てしまう心境もきっと世のママたちは頷けるのではないだろうか。ドストエフスキーもごく当たり前の、いや、だいぶどたばたした情けない一人の男だったのである。私は厳めしい文豪ドストエフスキーよりもこうしたちょっと情けないドストエフスキーに好意を持ってしまう。皆さんはいかがだろうか。
子どもを溺愛するドストエフスキー
ドストエフスキーの子煩悩っぷりは有名だ。ドストエフスキーはこの後も生まれてきた子供たちに対しても溺愛ともいうべき愛情を傾け、世話をしている。
アンナ夫人への愛も一層大きくなり、夢に見ていた幸福な家庭生活を営み始めたドストエフスキー。
だが、その幸福な日々も長くは続かなかった・・・
なんと、最愛の子ソーニャが急死してしまったのである・・・
突然の愛娘の死・・・絶望に沈むドストエフスキー
生まれて三カ月。幸福な日々は突然終わりを迎えてしまった。
この愛娘を喪ったショックはドストエフスキーに大きな心の傷を残すことになる。しかし、この愛娘の死が後にアンナ夫人とのさらに強い結びつきをもたらし、作家活動への大きな糧となったのも事実なのである。このことについてはまた後に語ることになる。今は絶望に沈む二人をそっとしておくことにしよう。
次の記事では夫妻が天国と地獄を味わったジュネーブの街を紹介していく。ドストエフスキー夫妻が歩いたこの街を辿っていきたい。
続く
今回の記事は以前当ブログで紹介した以下の記事を再構成したものになります。
また、ここジュネーブでのドストエフスキーの生活についてはnoteでは割愛させて頂きましたがぜひ以下の記事もご参照頂くことをおすすめします。ドストエフスキーの素顔や夫婦生活が垣間見れて非常に興味深いと思います。
以上、「第一子の出産に立ち会い大感動する夫ドストエフスキーの意外な大立ち回りをご紹介!」でした。
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