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友達とは…?
こんばんは。
今日はおとといの記事の続きを書きます。
前回はざっくりまとめると「語彙力を鍛えるには自分辞書をつくる」という話でした。
記事の最後にも書いたように、今日は『友達とは…』について考えたことを書いてみます。
結論から言うと、わたしが思う『友達』とは『所属を超えても付き合いたいと思える人』です。
そもそもなんでこんなことを考え始めたのかというと、周りの人が言う『友達』と自分が思っている『友達』が違うな…と感じることが多かったからです。
人によってとらえ方が違うのは当然です。
でも、自分が何を思って『友達』と言っているのかを考えてみることで、もっと友達を大事にできる気がしたのです。
それに、自分自身についてもより深く知ることができる気がしたのです。
ちなみに、一般的な友達の定義をしらべてみたところ…
【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。
引用:デジタル大辞泉
だそうです。
「一緒に遊んだりしゃべったりする人」はいても、「互いに心を許しあって、対等に交わっている人」ってなかなか難しいです。
わたしが友達だと感じるのはまさに「互いに心を許しあって、対等に交わっている人」のほうです。
だからと言って、一緒に遊んだりしゃべったりした誰かから「あなたはもう私の友達」と言われても、「わたしが思う友達というものは心を許しあっている人同士なのであなたは友達とは言えません」とかそんなことは言いませんよ??(^^;)笑
先ほども書いた通り、人によって考え方が違うのは当然だし、ただ私のなかで定義しているだけだからです。
誰にでも、家族、学校、部活動、バイト、会社、習い事…いろんな『所属』があると思います。
わたしもこれまでの人生を振り返ってみると、様々な環境や団体に属してきましたが、心を許しあって対等に交われるのはそれぞれの所属のなかで一人ずつくらいです。
なので友達の数は多くはありません。
でも、それぞれ付き合いの長い友達です。
その友達の共通点はなにかを考えてみましたが、趣味も環境も性格も違うから不思議です。
ただ一つの共通点が、『所属を超えても付き合いたいと思える人』だったのです。
実際、以前の職場の先輩とは2人で旅行に行ったり、月日が経ったいまでも連絡を取り合ったりしています。児童館で出会ったママとも、その後家族ぐるみで毎年キャンプにいくようになりました。一番長い間柄でいうと、幼稚園からの友達もいます。幼小中高と同じ学校で、今も連絡を取り合っているので、友達を超えて親友と言ってもいいのかもしれませんね(私も彼女もお互い『親友』と言い合うは照れてしまう性格なので言いませんが(^^;)。
定義したところで何が変わるわけでもありませんが、新しい場所で生活するときも「このなかで一人でも友達ができればラッキーだな」というように気楽に構えることができました。
友達の在り方について悩んだ時期もありましたが、その時期があったからこそ友達の定義を考えることができたのだと思います。
今後も考えは変わるかもしれませんが、その都度『〇〇とは…?』を考えることで自分自身と向きあういい機会になると思います。
それに自分の思考が変化していくのも楽しめますね。
今後も自分辞書の中身を増やしていきたいと思います。
ではでは、また明日です。
おやすみなさい~
(21/31)←note継続21日目。取り合えず1か月毎日投稿を目指してます
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