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認知バイアス 心に潜むふしぎな働き:鈴木宏昭

今回貪った本→https://amzn.asia/d/bTykmIt

みなさんは、通勤、通学のバスや電車でこんなことを感じることはないだろうか。「自分はいつもアンラッキーだ。反対方向のバス(電車)はよく来るのに、こちらはいつも待たされる」。あなたが野球ファンだとする。こんなことを思ったりしたことはないだろうか。「うちの四番は打率3割だけど、ここ数試合ヒットがない。今日はガツンとやってくれるだろう」。上司から冷たい言葉を浴びせられたとする。すると「あいつは超有名大出身のエリートだからな」と考えたりしないだろうか。日本経済の停滞を新聞で読んだとする。その時「日本の企業はイノベーションを起こせない、もうダメだ」と慨嘆したりしないだろうか。仮に自分はそうでなくても、このように感じたり考えたりする人を思い浮かべることは簡単なのではないだろうか。これらの背後には認知バイアスが働いている可能性が高い。

先入観からくる思考の偏りは、誰しも多かれ・少なかれ、自覚している・していないに関わらずあるもの。

だからこそ、それはどんなものか知っておこうとセレクトした本。

読んでみると、それこそ著者自身が自らのバイアスに対して細心の注意を払いながら筆をとったことが伝わってきます。章ごとに異なるバイアスについて様々な視点で書かれており、その章ごとに「ブックガイド」ということで、参考文献が丁寧に羅列されている。

珍しいもの、つまりめったに起こらないことを報道するメディアの特性と、前節で述べたリハーサル効果に基づく利用可能性ヒューリスティックを考えると、非常におかしな結論が得られる。それは、メディア社会に生きる私たちは、めったに起こらないことほど、よく起きると考える、というものだ。

読み進めていけばいくほど、上記の例みたいな感じで、バイアスは日常の隅々にまで入り込んでいて、それらから完全に自由になることはまず不可能だということがわかります。

この偏りに囚われない在り様は仏教が目指すところの中道そのもの。私たち凡夫は、いかにその作用を知り、見つめ直し、どう付き合っていくか、こういうことを考えるきっかけとなる1冊。

私自身は、これを読んで、

①人はそもそも物事をあるがままには捉えられない。
②であれば、自分はこうだと思う誤解の中で物事と向き合う。
③そしてその誤解を更新し続けていく。

これぐらいの忍耐(体力)が必要なんだろうなと感じた次第。と同時に「信仰」というものこそ偏りそのものなのかもしれないな、などと。

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