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図書館に棲む男③

朝7時半、開館前の図書館。
多目的トイレの中にある収納スペース。
その扉を開けると、1人の男が窮屈そうに立っていた。

あまりにも想定外の状況に、頭が真っ白になり身動きが取れなくなった。一方で彼も、最初に「え?」と小さな声を発したまま、スマホを片手に私を見つめ、動かない。何秒ほど経っただろう。しばらくして、私は扉をそっと閉め、その場所から立ち去った。

彼は出てこなかった。

私は、そこから少し離れた階段の前でトイレの入口を観察していた。数分経過したが、やはり彼は出てこない。どうしたものかと思っていると、目の端に何かが動いた。右奥にあるエレベーターの階数表示が光り、動いている。

誰か来る。

そうか、だから彼は出てこないのか。
彼は知っているのだ。この時間に誰かが来るのを。

ここは8階。エレベーターは7階に止まった。

私は急いで階段を駆け上がった。9階のビジネス書フロアへ。そして、8階と同じ位置にある多目的トイレの中に駆け込み、同じ位置にある収納スペースの扉を開けた。今度は誰もいない。

私そのスペースに入り、扉を閉めた。幸いこの収納スペースにもモノは何も置かれていない。窮屈ではあるがなんとかなりそうだ。

しばらく緊張感のある時間が続いた。物音は聞こえない。時間は8時を回った。ようやく気持ちが落ち着くと、先程の異様な光景が浮かんできた。トイレの収納スペースに潜む男の姿。顔も見たはずだがまったく思い出せない。その服装さえも。

遠くで物音が聞こえる。足音だ。階段を上がってくる。息を呑む。こちらに、多目的トイレに近づいてくる。

収納スペースの隙間から人影が見えた。くすんだピンクの制服。初老の女性。おそらく清掃会社のスタッフ。この図書館では朝一の清掃作業を業者に委託しているのだろう。

彼女は私が潜んでいる収納スペースの隣、用具の入っているスペースの扉を開け、掃除道具を取り出した。そしてそのまま多目的トイレから掃除を開始した。

私は息をひそめて隙間からその様子を伺っていた。実にテキパキとトイレ掃除が進められていく。人がトイレ掃除をする姿をここまで集中して観察したのはこれが初めてだろう。多目的トイレの清掃を終え、彼女は隣の男性用トイレへ向かっていった

8時30分。

トイレの外では掃除機の大きな音が聞こえ始めた。清掃員は他にもいるようだ。開館まであと30分。ここからでは様子が分からないが、そろそろ図書館員も出勤しているのではないだろうか。

狭いスペースの中でかれこれ30分以上が経過したが、それほど辛くはない。1時間程度であれば何とかなりそうだ。

男性トイレと女性トイレの掃除を終え、清掃員の女性が多目的トイレに戻ってきた。用具を片付け、トイレ掃除のチェック表になにかを記入し、出ていった。

時計は間もなく9時。外では人の足音がせわしなく響く。図書館員が開館準備を進めているのだろう。よく一般企業であるような朝礼はないようだ。

そして9時が過ぎ、図書館は開館した。

私は慎重にゆっくりと扉を開け、音を立てず歩いた。トイレを出て、エレベーターや受付とは反対方向に進み、郷土資料の書架の近くにある椅子に腰かけた。図書館員には見られていない。

もう大丈夫だろう。
ささやかだが大きな一歩だ。
私はこの日、図書館で夜を明かすことに成功した。

(つづく)

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