蜂に刺されて#1
3年ほど前、次男が私の実家を弟から買った。つまり、息子にとっての祖父の家を自分の物にした。
それから時折り東京から家族3人で飛行機に乗り、ど田舎にやってくる。
リモートワークをしながら1週間ほど過ごし英気を養うと、再び大都会の喧騒へ戻って行く。
まさかこんな流れになろうとは、私の両親もさぞやあの世で喜んでいるだろう。そして、58年の年月を重ねたその家が一番喜んでいるかもしれない。
父のふた従兄弟にあたる、80歳代の近所のおじさんが「この家を建てる時、俺たちが加勢をしたんだ。大木で建てられていて、市内には何処にも無い作りの家なんだ」と自分の家のように誇らし気に語ってくれた。親戚総出で手伝ってもらい、なんて有難いことだろう。
祖父の山から切り出された木が、幅が50㎝以上ある桁や頑丈な柱になり存在感を示している。釘を使わず建てられた日本家屋である。
その何年か後に、縁側の戸や窓ガラスをサッシにリフォームすることになった。その際に釘を使うため、棟梁が残念至極の表情だったと母から聞いた。
本間の和室の床柱は風情がある。柱の表面は、素材を生かし削らず波打つ木肌で艶がある。
何年も経ってから、母がその床柱にまつわる逸話を教えてくれた。
その床柱の木だけは、購入した物だった。母は、高額な木の値段に驚き
怒った。それもそのはず、当時のサラリーマンの月給の10倍以上の値段で、ややもすればサラリーマンの年収に届きそうな床柱だ。怒り心頭に発した母は、幼な子の私と弟を連れて自分の実家へ帰ってしまった。
何日か後、木を売ったMさんがやって来て「どうか私に免じて家に帰ってください」と頭を下げられたそうだ。
そうしたMさんの介入で一件落着し、私たち3人は無事父の元へ帰った。聞けばMさんは、私の親友の伯父さんだった。肝心な木の名前はなんだろう、聞かずじまいだった。
長い年月が過ぎ、現在は私たち夫婦が2時間かけて、住人のいない実家へ時々里帰りをしている。
もうすぐ梅雨が開けそうな7月17日、実家の湿気や庭の雑草が気になり夫婦で帰省した。
その日の夕食は簡単に済ませ、ゆったりした時が流れた。夫は焼酎で晩酌をした後、いつものように早い床についた。
翌朝、庭にいる夫を窓越しに見ると、両腕を大きく広げ円を描くようにゆっくり回していた。私の目には、新鮮な空気を思いっきり吸い込んで、満足しているように写った。
ふと柱時計を見ると5時半で、まだ眠かったが、いつもより爽やかな朝だった。暫くすると夫が頭頂部を右手で押さえ、背中を丸め家の中に入ってきた。
「草刈機で庭の草を刈っていたら、蜂に刺されたから病院へ行ってくる」
「痛いの?」
「痛いよ」
早速スマホで『蜂に刺された』と検索してみる。なんて便利な世の中だろう。
「蜂は機械の音や振動に反応するらしい、刺されたら水で流せば良いらしいよ。帽子を被ってたの?」
「いや帽子は、被っていなかった」
「あら、いつも麦わら帽子を被ってるのにね」後の祭りなのに、つい呟いてしまう。
水で洗い流すことは、あっさりスルーされた。
「私が車を運転しようか」
「いや、一人で行ってくる、徳洲会病院だったら診てくれるだろう。そうだ、芝刈機がそこに投げてあるから、邪魔にならない場所に移動させてくれ」
「はい」
夫は素早く着替えて、自から運転をして病院へ向かった。
20年以上も前、出張先で蜂に刺され病院で注射を打ち、自宅で1日中寝込んでいたことがある。
これで2回目の残念な経験、その2回目がアナフィラキシ一ショックで危険だとスマホの検索で知り、若干の心配をした。
私の眠気も何処へやら、緊迫した早朝だった。
つづく