冷たい泥の海
一冊だけ、読んだことを後悔した本がある。
読まない選択はなかった。
大好きな作家だし。だから読んだ。
でも、読まなきゃよかった、と思った。
こんな物語、読みたくなかった。
実際、そのあとしばらく本が読めなかった。
抉られすぎて、次を読む気力が湧かなかったからだ。
私の場合、ただ幸せな気分になりたくて本を読むわけではない。
むしろ、嫌な気持ちになりたくて、わざわざイヤミスを選んだりする。
本もそうだし、映画もそうだけれど、日常の中の非日常を味わいたい。
非日常だからこそ、安心して嫌な気分になれる。
読んで目論見通りに嫌な気分になった本はたくさんある。
昨今流行りのイヤミスの女王たちの本に始まり、わざわざイヤミスと括られなくても十分に気分の沈む本はたくさんある。
それでも、読後の衝撃と苦しさであの本に勝る本にはまだ出会わない。
宮部みゆきの「模倣犯」がそれだ。
「模倣犯」に対する賛辞はいくらでも出てくる。
ただ人の心を抉るだけの物語
途方もない悪意
本の形をした暴力
言葉による致命傷
ただの絶望
本当にもう二度と読みたくない
刊行と同時に買って、読んで、私は後悔した。
読みたくなかった。
ひたすら悪意だけが続き、どこかに救いがあるはず、と期待して読み進めてもカタルシスはどこにもない。
非日常を味わいたいと思っている。
でも、あんな気分にさせてほしいとまでは思っていなかった。
ひたすら冷たい泥の海を歩く。
体の芯から冷え切って、早くどこかにたどり着きたい、早く休みたい、歩きたくないと思っている。
でも、足を止めることができない。
ともかく歩かなければ、一歩でも前に進まなければ。
そう思いながら読んでいたことを思い出す。
そして、いま、二十数年ぶりにまた冷たい泥の海を歩いている。
あの時と同じ、全く同じ泥の海。
あぁそうだった、こんな感じだった。
足に纏わりつく泥の感触も、その不快感も、足取りの重さも。
またあの絶望を味わうのか。
でも、あの時より、少しはマシか、二度目だし。
マシであってほしい、と思いながら、読んでいる。