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不快な傑作
読み終えた後も心の中でくすぶり続けるなら、その小説は傑作だ。
快にしろ不快にしろ、爪痕を残すのが芸術だからだ。
私は「傲慢と善良」は傑作だとは思うが、好きな話ではない。
私の中に残っているのは、どちらかというと不快な感情だ。
でも、通常よりも大きな感情を喚起したのなら、やはり傑作だ。
(以下、ネタバレ含みます)
何かいい感じで話が終わったけど、というか終わったからこそ、主人公ふたりの痛みが等価でないことが、一番不快に感じることだ。
真実のやらかしたことは私には取り返しがつくことには思えないけど、それでもやり直したいと言った架のことを、真実は「鈍感」だと言った。
それまでは真実も世の中のこと、生きること、自分の人生について、全部鈍感なまま生きてきた。なのに騒ぎを起こして、逃げて、ボランティアをして、まるで生まれ変わったみたいにそれまでの自分を俯瞰してわかった気になり、架のことを「鈍感だ」と言う。
その真実の言葉選びの「鈍感さ」がとても不快だ。
それまで理想ばかり高く、自意識過剰で、他責で生きてきた人が、ボランティアで真っ当な人間になるような展開はごめんだけど、真っ当どころか開き直って妙に上から人を見ている。
架にも確かに悪いところはあった。
でも真実の悪さと悪さの加減が釣り合わない。
より悪い真実が上から架を見る。
鈍感だと言う。
それが不快に感じる理由だ。
登場人物の誰一人に対して共感できなくても構わないし、嫌いな人が幸せになったって構わない。
平等に不幸になる必要はないし、平等に開眼する必要もない。
だから、これは正義とか、公正とか、そういうことに過剰に反応してしまう私の心があぶりだされた結果の感想だ。
架と真実のやらかしと痛みが等価でないことが不快なだけだ。
最初から最後まで真実にはいらだちと嫌悪感しかなくて、それは構ってちゃんで、察してちゃんで、鈍くさくて自立できない幼稚な主人公への腹立たしさかと思っていた。
たぶんそういう感想を持つであろう、真実という存在が嫌いであろう読者への作者のカウンターがきれいに決まったからこそ不快なのだろうと思う。
私は「エピローグ要らなかっただろ派」だけど、ラストに救われた、という人は多い。着地するならここしかなかったけど、着地しなくてもよかったのでは?と思う。あえて飛び続けて行方不明になっても、墜落しても。
あと、私はピーナツ母娘の共依存の実態を詳しく知らないので、真実に対して必要以上の辛辣な感想を綴っているとは思っている。
と、言いたい放題言ったけど、負の感情を大きく揺さぶったわけだし、心理描写が逃げ場がないほどに詳細で、なにより不快ながら一気に読んでしまったので、やはり「傲慢と善良」は傑作だ。
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