ボクの「ブルックナー体験記」
1989年のこと、秋田市で小澤征爾が指揮をする演奏会があると知ったのは、確かテレビのコマーシャルだった。夕方のニュースの間にそのコマーシャルは流れたように記憶している。テレビ局の開局20周年記念の特別演奏会を知らせるもので、画面には燕尾服姿の小澤征爾がエネルギッシュに指揮をする姿が映し出されていた。曲はベートーヴェンの「運命」の第4楽章であった。学校の授業で「運命」を鑑賞していたので曲がわかったことは幸運だったが、当日の演奏曲目をしっかり確認しなかったので、本番の日まで「運命」を演奏するものだと勘違いしたあたり、おっちょこちょいなボクらしいと呆れてしまう。その日以来、コマーシャルの小澤征爾の指揮を真似て「運命」のCDに合わせて「エア指揮」を自室で熱心にしたことを思い出す。今のボクはレッスンで「CD流しながら指揮などするな!」「指揮は音楽に合わせて腕を振り回すものではない!」などと生徒たちに苦言を呈している。全くどの口が言っているのか・・・恥ずかしい限りだ。
早速親に頼み込んでチケットを入手した。S席はなんとなく気が引けてA席を買い求めた。確か5000円くらいだっただろうか。秋田駅に直結する「秋田ステーションデパート」のプレイガイドで買い求めた記憶が微かにある。オーケストラは「新日本フィルハーモニー交響楽団」・・・そう、今ボクがこのコラムを書いているnote班があるオーケストラである。ボクの通っていた小学校にはオーケストラ部がありボクも小学4年から所属していたが、生のオーケストラを聴く機会は少なく、小学校時代に学校音楽教室で山形交響楽団が数年に一度訪れる時に聞いたことがあるくらいで、積極的にオーケストラの演奏会に初めて行ったのは、この新日本フィルの演奏会だった。
ボクの住んでいた本荘市(現・由利本荘市)は秋田市まで車でおよそ1時間ほど。演奏会当日は学校が終わって一度帰宅、母の車で会場であるホールに向かった。吹奏楽部の練習が多分あったと思うのだが、おそらくその日は演奏会に行くから、と部活を休ませてもらったのだろう。演奏会場は秋田市中心部にある「秋田県民会館」(一番上の画像)だった。秋田県内における音楽文化の中心とされていたところで多くの公演が行われていた「殿堂」である。現在、秋田県民会館の跡地には「あきた芸術劇場ミルハス」という新しいホールが建っている。このホールの柿落とし公演を新日本フィルが行い、秋田の音楽ファンに深い感動を与えたことは記憶に新しい。余談だがチケットを買い求めた「秋田ステーションデパート」も現在は名称を「トピコ」に変えて、当時とは別の建物になっている。
当日は近隣の駐車場に車を停めて会場に向かった。確かプログラム冊子は有料だったが、せっかくだから・・・と買ってもらった。そこでプログラムを見て当日の曲目を知る。そこに「運命」の文字はなく、《ブルックナー作曲、交響曲第4番「ロマンティック」》とある。それを知ってボクは「ブルックナー!?誰よ?」という戸惑いと衝撃に襲われた。
その他の曲目は、モーツァルトの「ディヴェルティメント」と「ファゴット協奏曲」。ファゴット独奏は中川良平さんであった。今聞けば魅力的な好プログラムと興奮するのだが・・・当時、田舎の吹奏楽少年だったボクにとって、モーツァルトはなんとなく「つまらない」音楽だったし、ファゴットという楽器は中学の部活になかったので馴染みが薄く「微妙な」楽器だった。ファゴット界の第一人者であった中川さんのお名前もこの時に初めて知った。
それでも生のオーケストラ、生の「OZAWA」を見ることができる興奮の方が勝っていた。1階後方の客席に座り開演を待つ。オーケストラが入場、チューニングののち、しばし静寂・・・なかなかOZAWAは登場しない。さすがスターだ・・・妙に感心した。「宮本武蔵にしたって、なかなか巌流島に現れなかったし・・・」などと意味の分からないことを考えていたら、ステージ袖から「コンコン」と木を叩いたような乾いた音が聞こえてきたと思った瞬間「世界のオザワ」が登場した。登場した時のオーラのようなもの、スター的な華やいだ雰囲気を今でもはっきり覚えている。
コマーシャル映像の中の小澤征爾は燕尾服姿で、それがまたカッコよかった。ボクの「燕尾服崇拝」はこの時に始まったように思う。しかし、実際のコンサートに登場したOZAWAは白いドレスシャツのような上着を着用していた。そのようの衣装で指揮をする指揮者を見たことがなかったので、「秋田のような地方では燕尾とかは着ないで、ラフな感じの衣装なんだな」などと勝手に考えていたら、母が「小澤の衣装は、胸に蝶のワンポイントがある。あれは森英恵がデザイしたもの」と教えてくれた。母は特に音楽に詳しくないのだが、不思議と色々な「雑学」を知っていた。
1曲目、2曲目とも作品を楽しむというより、ボクは小澤征爾の指揮姿を「観察」することに集中していた。その後ろ姿は何やら独特な「オーラ」を放っていたし、指揮ぶりは多彩でしなやか・・・吹奏楽コンクールなどで見ていた指導者先生たちの指揮とは全く違っていた。それは全くもって「当然」のことだし、小澤先生に失礼な話だが「格が違いすぎる・・・」と感動し、今でもボクの記憶の片隅にしっかりと記憶されている。
ファゴット協奏曲の演奏も大変素晴らしく、ファゴットという楽器の魅力を知ることができたのもこのコンサートだった。前半と後半の間の休憩中にプログラム冊子を熟読し、ブルックナーの交響曲について「勉強」した。各楽章の説明の中で、ボクが惹かれたのは第3楽章「スケルツォ」でプログラムノートには「人気のある楽章」みたいなことが書かれていた。「狩のスケルツォ」とも言われ、ホルンが活躍するという記述も吹奏楽少年にはグッとくるパワーワードだったのだろう。
その「狩のスケルツォ」を楽しみに後半のプログラムが始まった。オーケストラが静寂の中から、弦楽器のトレモロ(弓で弦を速く擦る奏法)で幻想的に極が始まった。あぁ、そういえばプログラムに「トレモロで始まるのはブルックナーの開始の特徴」だと書いてあった。時に力強く、時に繊細に曲は進むが、ベートーヴェンの交響曲ならば8分くらいで終わる第1楽章はなかなか終わらない・・・「なんて長いんだ・・・」ボクの初めてのブルックナーの洗礼であった。そして第2楽章、ゆったりとした崇高な世界が広がる・・・そのように今のボクならば言うだろう。しかし、当時のボクは激しく大きな音の音楽ばかりに興奮していたため、このような楽章は本当に苦痛でしかなかった。そして知らぬ間にボクは寝てしまった・・・こんなボクでも指揮者になった。そして起きたら3楽章が始まった・・・確かに格好良かったので引き込まれるように舞台に釘付けになった。だが、そんな第3楽章はあっという間に終わってしまった。そして第4楽章、なんとか最後まで寝ることなく聴いた。聴いた、というよりは小澤征爾を「観察」していたと言った方がいいかもしれないが、今まで体験したことのない「響きの海」のようなものに放り込まれたような体験だった。
開演前の記憶は割にあるのだが、終演後の記憶が全くない。きっと初めてのオーケストラ、小澤征爾、ブルックナー体験に圧倒されてしまったのだと思う。記憶にあるのは終演後のロビーで小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏による「運命」のCDを買ったことだけ。そのジャケット写真の小澤征爾の衣装はこの日演奏会で見た衣装だった。その日以来、そのCDを流しながら毎日「エア指揮」に勤しんでいたことはボクだけの「秘事」である。ボクの指揮の原体験、オーケストラの原体験は「小澤征爾」であり「新日本フィル」なのだ。いつかこのことをコラムに書く日を密かに待っていたのだが、ついにこの日が訪れたことを嬉しく思う。
その後、ブルックナーを聴く機会はCD中心となった。たまたま自宅にあった「カラヤン名演集」の20枚セットのCDの中に「ロマンティック」があったのでそれを聴いた。専ら会場で寝てしまった第2楽章は飛ばして聴いていたような気がする。同年カラヤンが、翌年にはバーンスタインが亡くなった。奇しくも2人のラストレコーディングとして発売されたのがブルックナーだった。カラヤンは「第7番」、バーンスタインが「第9番」だった。オーケストラはどちらもウィーンフィル。ブルックナーを通してこの2曲の交響曲を知り、愛聴するようになった。
秋田から東京に出てきてからは多くの指揮者、オーケストラでブルックナーを聴いた。ある時は急に思い立ち、後楽園からサントリーホールまで徒歩で向かい、朝比奈隆先生のブルックナーを当日券を買い求めて聴いたこともあった。その時は1階席の1列目、指揮者の真後ろが空いておりチケットを購入して堪能した。朝比奈先生といえば恒例のカーテンコール(ファンの間では「一般参賀」と言われていた)を初体験したのもブルックナーの演奏会。ドイツの巨匠ギュンター・ヴァントの最後の来日公演をオペラシティで聴いたのもブルックナーだった。
そしてボクは運良く指揮者になれた。初めてブルックナーを指揮したのも「ロマンティック」だった。色々な事故や傷はあったが、なんとも言われない「爽快感」のようなもの、もしくは「達成感」のようなものを感じた。会場は浦和の埼玉会館、真夏の演奏会だった。ステマネさんにお願いして冷たいビールを用意してもらい、ブルックナーの指揮を終え舞台に戻って一気に飲み干した・・・あんなに美味しいビールは後にも先にも飲んでいない。そんなことをしたのもブルックナーが今のところ最初で最後だ。最近もブルックナーを指揮した。曲は「交響曲第6番」、それなりに歳を取って取り組んだブルックナーは若い頃とは「別の味」がした。ゆったりとした楽章は「眠い」ものではなく、とても「心地よい」響きに感じられた。永遠に終わらないのではと思うような「長さ」も若い頃ほどは感じなかった。ブルックナーとはワインやウィスキーなどのように、年を重ねるとより深みのある味わいを楽しめるものなのかもしれない。だからと言ってブルックナーが「簡単」になったわけでも「得意」になった訳でもなく、この歳なりの「新たな難しさ」を感じたことも確かである。今後自分がブルックナーに取り組む時にはどのような「味わい」を出すことがきるか、それを感じてもらえるのか・・・楽しみでもあり不安でもある。40代後半のボクにとって「ブルックナーを指揮するには若すぎる」のかもしれない。
鑑賞、演奏の両面でブルックナー体験を重ねてきたが、やはり1989年に聴いた秋田でのブルックナーの冒頭の響きと、小澤マエストロの後ろ姿が「ルクス・エテルナ(原初の光)」として、ボクの心にずっと残り続けている「ベストワン」である。
ここでもう一つ告白すると、演奏会に多数足を運んでいるにも関わらず、新日本フィルでブルックナーを聴いたのは実はこの秋田での演奏会だけしかない。約30年の時を経て、前音楽監督上岡敏之の指揮で「交響曲第8番」を聴く。あの時の少年の心を呼び覚ますようなブルックナーを体験できることを楽しみに、錦糸町へ向かいたいと思う。
(文・岡田友弘)
演奏会情報
特別演奏会
新日本フィル 創立50周年記念 特別演奏会 上岡敏之のブルックナー
2023年3月25日(土) 14:00 開演
すみだトリフォニーホール 大ホール
第4代音楽監督 上岡敏之のタクトで贈るブルックナー交響曲第8番 (ハース版)
上岡⽒たっての希望により、本公演のプログラムは2021年9⽉の定期演奏会にご来場いただいたお客様にリクエストを募りました。リクエスト数が圧倒的な1位であったブルックナーの交響曲第8番をぜひお客様にお聴きいただかなければという上岡氏の思いが実現します。
上岡新⽇本フィルは、これまでブルックナーの交響曲のうち第3番、第6番、第7番、第9番を演奏し、いずれもその独⾃の⾳楽性で⾼い評価を得ており、⼀部は⾳源化もされています。ブルックナーが完成させた最後の交響曲であり、その深遠荘厳な響き、壮⼤なスケールから最⾼傑作としても名⾼い第8番は、本来2020年9⽉の第623回定期演奏会で、上岡新⽇本フィルによるブルックナーの総決算としてプログラムされていたもの。約2年半の時を経て実現する本プログラム。上岡⽒のタクトのもと共に創り上げてきた⾳楽世界を皆さまと共有し、今ひとたび喜びを分かち合う時間となることを願っています。創⽴50周年イヤーに贈る、1公演限りの特別演奏会にどうぞご期待ください。
プログラム
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(ハース版)
指揮:上岡敏之
チケット情報
S席 7,000円
A席 6,000円
B席 5,000円
C席 4,000円
プレイガイド
新日本フィル・チケットボックス
TEL:03-5610-3815(平日:10〜18時/土:10〜15時/日祝:休)
新日本フィル・チケットオンライン
トリフォニーホールチケットセンター
TEL:03-5608-1212(10時〜18時/土日休まず営業)
https://www.triphony.com/ticket/
チケットぴあ
http://pia.jp/t/njp/
※座席選択可
ローソンチケット
http://l-tike.com/
※ローソン店頭Loppiでも購入できます。
※座席選択可
e+(イープラス)
http://eplus.jp/njp/
※座席選択可否は+eサイトでご確認ください
カンフェティチケットセンター
TEL:0120-240-540(オペレーター対応、通話料無料)
http://confetti-web.com/
チケットぴあPコード:229-255
ローソンチケットLコード:34651
主催:公益財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団
共催:すみだトリフォニーホール
ご注意
演奏会中止の場合を除き、ご予約・ご購入後のチケットの払い戻し・変更・キャンセル等はお受けしておりません。
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