文章を書くのが好きになったのは、錯覚の積み重ねだったのかも
ライターの皆様、文章を書くのは好きですか?私が文章を書くのが好きになった理由を今日は書こうと思います。
「文章を書くのが好き」と思えたのは小学生時代でした
ライターになりたかった理由は、自分で稼げる力をつけたかったからと、この前の記事で書きましたが、実は自分が「文章を書くのが好きかも」と思えたのは、小学校高学年の時の担任の先生にたくさん褒めてもらったからなのです。
今でも忘れられないのが、その先生がしてくれた小5の時の社会の授業です。今考えてもちょっと変わっているのですが、それぞれが自習で教科書の内容をノートにまとめます。その進度をクラスみんなで競っていくみたいな授業でした。授業時間では1単元を仕上げた人は、先生のところにノートを持って行ってチェックしてもらい、合格すると丸をもらえます。
今になってあれは「文章力を鍛える最強の方法」だったと思う
その時の社会科のノートの作り方は、単元ごとに教科書の右上に小さく書いてあるこの単元で学ぶべき「めあて」を書いて、その単元の内容を読んで文章を「図式化」し、その単元の要約を最後に「まとめ」として記載します。これを教科書一冊分取り組みました。
図式化は1行ずつ読みながら、ポイントを箇条書きにして書き出して、そこから矢印をだしていきます。それができたら、そのまま「まとめ」を書く。私、これが難なくできて、他の人と比べても割と迅速にできていたので、ちょっぴり優越感もあって楽しかったんです。
その後、その担任の先生から、6年生の卒業間近に一冊の書籍を手渡されて、「この一冊の本を章ごとにまとめてみよう」といわれました。その書籍には社会科の教科書に書かれていたような「めあて」は、もちろんなかったので、この章では筆者は何を言いたかったのかを考えて、それを「めあて」にして、最後に「まとめ」をつくるようにやっていきました。今思えば、結構、すごい濃い課題だったと思います。
実はこれ、文章を読み取る力をつけるのに、最適な勉強法なんですよ。だって筆者が何を言いたいのかを自分で考え、何を読み取ってほしいかを考えるわけですから。
あのとき1冊丸々はできなかったけれど、3章ほどは頑張って取り組んだノートをその担任の先生に見てもらいました。
錯覚の積み重ねで人は自分を認められるのかもしれない
こんなことを繰り返しているうちに、自分は文章の要約が得意なんだと錯覚したのだと思います。そのあたりから文章に関わって生きていきたいと思うようになったのかもしれません。
その後もエッセイで佳作をもらったり、大学の教養ゼミで書いた文章なども教授から「情景が浮かぶ文章だね」と褒めてもらう機会などもあったり。高校生の時に忘れられないのが、自分の書いた文章で人が行動を起こしてくれたことがあって、あのときは非常に驚きましたし、文章の力の凄さに感激しました。
こうして錯覚に錯覚が重なり(笑)文章のもつ力を知ることができて、いつか文章を書く仕事がしたい、と思うようになっていったのでした。
結局、ライターになるまでには高校卒業してから20年以上も経っていましたけれどね・・・
ライターになったのは、お金を稼ぐためになるのも一つの考え方ですが、好きなことが仕事になった、もしくはライターになって仕事をやっていくうちに「書くことが好きになった」というのほうが、幸せなライターでいられるような気がしています。
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