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【歴史小説】第68話 忠実と頼長②─藤原忠通─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


「菖蒲若、どうだったか? 父上が渡した本は?」

 夕食のとき、私は頼長に本の感想を聞いてみた。

 私の質問に頼長は、

「少し難しかったけど、読んでいておもしろかった。他にもないのですか?」

 と満足そうな笑顔を浮かべて聞いてきた。

「菖蒲若、それなら心配するな! この屋敷にはたくさん本があるんだ」

「あとね、決めた。ぼく、百済王朝を復活させる。もう一度」

「よく言ってくれた! さすが我が子」

 私は、頼長が我が摂関家の悲願であった、百済王朝の復興を口にしたことが何より嬉しかった。

 表向きでは、我が藤原摂関家は、天屋根命の子孫ということになっている。だが、実像は新羅や高句麗に追いやられ、朝鮮から日本に亡命してきた百済王族の子孫。跡継ぎのいなかった中臣家の養子となり、鎌足という日本風の名前を名乗った。そして鎌足は中大兄皇子、後の天智帝と結託し、蘇我蝦夷・入鹿を討ち取り、大職冠の位と藤原の姓をもらったことに始まる。

 鎌足の息子不比等は、百済王朝の復興の布石として、「律令」を作った。

 律令、という巨大すぎたものは、唐や新羅とは違って、狭い島国で人口も少ない日本の実態に合わない部分もあったのだろう。だが、代々の天皇や皇族たちが反抗したり、その手下である異能者の集団、八咫烏に四兄弟を殺されたりした。このことにより、我が一族の悲願は潰えてしまった。

 一族の悲願を叶えることに失敗した我々の先祖が行きついた次の戦略は、

「代々天皇陛下の側近となり乗っ取る」

 ということだった。

 この作戦は部分的ではあるが成功した。基経のときには関白になったことが何よりの証左だ。

 だが、ここで反発してきたのも、代々の帝や皇族たちだった。

 桓武帝と光孝帝は平氏を、嵯峨帝、宇多院、陽成院、村上帝、醍醐帝は源氏を作り、我らの力を必死に削ごうとしてきたのだ。

 尊きから卑しき者たちまで、これでもか、と言わんばかりに増えてゆく源氏や平氏。そのうえ、同族の者たちにまで、皇室になびく者たちが現れる始末。これらの者たちが、いずれは摂関家を圧迫していくことは目に見えていた。

 第二の戦略も失敗に終わった摂関家は、百済王朝の復興を諦め、皇室の一臣下として留まることを余儀なくされた。これが、我が藤原摂関家に伝わっている歴史だ。


 この日から頼長は家にある本を読み漁るようになった。屋敷にない本は、分家の者たちや知り合いから借りてもらい、頼長に読ませてあげた。

 熱心に本を読む頼長の熱心な横顔。ただその表情が見たかった。

 そして元服して「頼長」と名乗るようになったときには、私の知識をすでに超えていた。


   2


 私の長男忠通は小憎たらしい餓鬼で、私のやることなすこと全てに反対してきた。

 頼長が憎き白河院のご落胤に悪口を言ったことを、忠通が報告してきたことがあった。

 私は、よくやった、と褒めてやった。

 関白だったときから、白河院には度々酷い目に遭わされていた。本来私がやる仕事を、藤原家成といった我々の分家に取られていた。おまけに、院北面桓武平氏出身の平忠盛というどこの骨かもわからない田舎侍を優遇していた。分家で、それなりの財力を持っている家成がまだ信頼されるのはわかる。だが、院の門を守る番犬でしかない忠盛を優遇するのか、私にはよくわからなかった。私の言いたいことを頼長が代弁してくれたことが、少しうれしく感じられた。

「父上、いくら憎んでいる人間の子供だからといって、ここまで言うのは、人間としてどうかと思います。そして、頼長も頼長です。私もあの子が白河院の落し胤であることは、私も知っています。ですが、人様がいる場でそういう類のことは言うものではございません。そんなこと、白河の院だってお望みではないだろうし、本人も傷つく。それに、頼長を甘やかしすぎているのではないでしょうか?」

 いかにも至極全うそうなこと言ってのけたかのような表情で私を見た忠通に、

「忠通、この私が白河の院からどのような仕打ちを受けたか、そして平忠盛という番犬をあたかも人の子ように扱っている。私はそれが我慢ならないのだ」

 思いのたけを思いっきりぶつけてやった。

「そんなの、父上が無能で、いつも摂関家の過去の栄光にすがっているからに決まっているでしょう。何もかも人のせいにするのはお辞めになられた方がいいです」

「お前、いつからそんなに偉くなった?」

 事実を言われ、感情的に私は、憤怒の形相で忠通をにらみつけた。

 隠居である私と現在の家長。下手すれば一族を二分する言い争いを見ていた頼長は、

「父上の言う通りです。兄上は番犬に成り下がった皇子も人として扱えというのか?」

 隠居である私に味方をしてくれた。

 怒りの矛先を、忠通は父である私から頼長に向けて言った。

「違う! 頼長、武士は犬じゃない。俺たちと同じ、息をするし、飯を食う、俺たちと変わらない人間だ」

「人殺しを我々と同列に扱うのか?」

「武士だって好きで人を殺してなんていない。確かに人を殺すのが趣味のような輩もいるけど、みんな真面目で一途な人たちだ。何百年も皇室に寄生し、堕落しきった藤原摂関家とは違う」

「そんなわけがない!」

 握りこぶしを作り、頼長は兄忠通に殴りかかろうとした。

 父親としての体面が私にもあるので、

「バカヤロウ、それでもお前は、摂関家の宿願を背負っている男か⁉」

 忠通の顔を思いっきり殴った。

 怨みのこもった目つきで私を見つめた忠通は、

「父上、もう辞めにしませんか? 百済王朝の復興なんてバカバカしい。初代の鎌足だって、初めて関白になった基経だって、全盛期を築き上げた道長だって、そんなことは出来ずに終わりました。それにこの国の人たちは礼儀正しくて、優しい人が多い。俺はそんな人たちの笑顔を守っていきたい。それだけなんです」

 再び矛先を私に向けて言った。

「ええい、為義、出合え!」

 このまま忠通と話していても、喧嘩が終わることはないだろう。そう感じた私は、警備をしていた為義を呼び、忠通を追い出した。

 今になって思えば、私は忠通の言う通り、頼長を甘やかしすぎたのではないか。そう思うことがよくある。そして、関白を頼長にしたい、と思ったのもこの時だった。


   3


 少年から青年、そして壮年となっていくごとに、頼長は賢くなり、同時に朝廷でも重んじられるようになっていった。そして、左大臣の位を仰せつかった。

 どんどん出世してゆく頼長。それでも、頭の悪いこんな父親を大事にしてくれた。

「頼長、立派になったな」

「いえ。私は三男。父上のように摂政や関白にはなれませんから、ずっと追い越すことはできません」

「兄弟逆であったのなら、どれだけ良かったことか……」

 どんなに優秀であっても、現職の関白である長男がいるゆえになれない。忠通と頼長を入れ替えられたら、兄弟逆で生まれていたら……。どれだけよかったことだろう。五男で兄弟や甥っ子たちを退け、内覧になった道長の例もあるが、あれは運が味方したからに過ぎない。頼長の無念を考えると、悲しさで胸がいっぱいになる。

「どうしたのですか、父上!」

 泣いている私を見た頼長は、酷く慌てた様子で声をかけてきた。

「お前の境遇をあれやこれや考えていたら、涙が出てきたのだよ」

「泣いてしまったら化粧が落ちてしまいます、これを使ってください」

 頼長は懐から端切れを取り出し、私に差し出した。

「ありがとう」

 端切れを受け取り、涙をぬぐいながら、私は胸の内を洗いざらい頼長に打ち明けた。

「ならば、今度一緒に院のところへ行きましょう。私を関白にするように、と二人で直訴しに行くのはどうでしょうか? 鳥羽院も人の親。きっとわかってくれるはずです」

「そうだな!」


 次の日。貢ぎ物とたくさんの銭を持って、私と頼長は鳥羽院に直訴しに行った。

「院、どうかあの親不孝者忠通から関白の位を取り上げ、優秀なこの頼長を関白にしてあげてください」

 私と頼長は、鳥羽院に頭を下げた。

「目の前にある品々を余にくれるのはありがたい。だが、忠実。そなたには立派に成人した息子忠通が関白の位についておるではないか。それに、忠通の娘は体仁との仲が良いと聞いている。皇子が生まれれば安泰ではないか。わがままを申すでない」

 前の院から返ってきた答えは、とてもそっけないものだった。

「そこのところをどうにかお願いします! 院も子供を持たれている人の親。自分の子を心配する親の気持ちもわかりましょう」

 大きなため息をついた鳥羽院は、困惑した表情で、

「忠通、本当に気苦労が耐えないであろう。このようなとんでもないバカを身内を持つと」

 と側にいた忠通の方を向き、語りかけた。

「はい。何度も父上と頼長のためを思って諫めていますが、聞く耳を持ちません」

「だろうな」

 そう言って手を叩き、近くにいた北面の武士たちを集めて、

「この親子をつまみ出せ」

 私と頼長の2人を追い出したのだった。

 三男の頼長が関白になれないのは、私も重々わかっている。それでも頼長を関白にしてほしい。それがダメなら内覧でも構わない。甘やかしすぎだとか、バカだとか言われたっていい。全ては頼長のためなのだから。


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佐竹健
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