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📿西国三十三所巡礼⑤ - 明日香村が楽しすぎた、石造物と寺編(酒船石、飛鳥寺等) -

前回の続き、後編です。

西国三十三所巡礼

6月最初の休日に行った寺2カ所のうちの1ヶ所です。

東光山 岡寺(第七番)

奈良県高市郡明日香村岡にある真言宗豊山派の寺院。山号は東光山。院号は真珠院。本尊は日本最大の塑像である如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。

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人気のある寺は、どこも綺麗にしていますね。

至るところで紫陽花が咲いていました。



明日香村散策

酒船石

小高い丘の上にある花崗岩の石造物。主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。

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手を目一杯上に伸ばして撮影しましたが、この角度が限界でした。
どの角度から見ても、何に使われていたのか私には想像すらできません。

亀形石造物と小判形石造物(2000年発見)

亀形石造物は花崗岩で作られており全長約2.4m、幅約2mで頭や尻尾、足が造形されている。甲羅部分が直径1.25m、深さ20cmでくりぬかれ鉢状になっている。頭の部分の穴から水が流れ込み尻尾の穴から流れ出したと見られる。尻尾に栓をすることで水を溜めることもできる。小判形石造物は長さ1.65m、幅1mで深さ20cmで同じく水が貯められるようになっており、排水口は亀の頭に繋がっている。

Wikipedia(リンク先、同上)

綺麗な形に石が削れるのですね。
柔らかい石だったら、今まで形を保ったまま残っているとは思えないし。

下記画像背景の丘の上、竹藪の中に酒船石があります。

亀石

長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。

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亀ではなくカエルだとか、石の据え方は上下逆だとかの諸説あり。
私には、宇宙人の頭部にしか見えません。

道から普通に亀石を撮影すると、少し残念。可愛そうに、えっ!って言うぐらい小さなスペースでした。
知らなかったら、変わった形の庭石にしか見えないかも。

しかし、撮影するには後ろの家が邪魔だし、でも住んでいる方にとっては迷惑なのでしょうね。心中お察しします。
亀石を撮影しているものの、勝手に家まで撮影して申し訳ありません。

飛鳥寺(日本最古の仏教寺院と仏像)

新西国三十三所のひとつだったのですね、知りませんでした。

飛鳥寺(法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院である。

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東門

西門側から見る方が趣があります。

西門
蘇我入鹿の首塚側より撮影

本堂にある飛鳥大仏は、私が今まで見た仏像より首が長く頭部は少し右に振れています。

少し左に立つと
仏像の顔が正面に

飛鳥寺のすぐ裏に、蘇我入鹿首塚そがのいるかのくびづかの五輪塔があります。

飛鳥寺内西側に
「ここより西80m」
の道標あり

橘寺(聖徳太子の生誕地)

ここも新西国三十三所だったとは。

橘寺の付近には聖徳太子が誕生したと言われている場所があり、当寺は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。

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うちの家紋が丸に橘ですので、親近感が湧きました。

橘寺内にある二面石

境内にある高さ約1mほどの飛鳥時代の石造物で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているという。

Wikipedia(リンク先、同上)

新西国三十三所

せっかくですので、についてもリンクを貼っておきます。

西国三十三所に隣接する観音奉安寺院を同巡礼の途上で参拝すること自体は、江戸時代から行われていた。しかし、正式に「新西国三十三箇所」としてまとめられたのは1932年(昭和7年)になってからである。大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて33箇所の観音霊場が選定され、新たに「新西国三十三箇所」が成立した。このため、聖徳太子霊跡の寺院である四天王寺・橘寺・飛鳥寺・斑鳩寺などが含まれている。ただ、前述の3新聞の読者により人気投票が行われたために、兵庫県と大阪府に特に霊場が集中することになった。

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今回、新西国三十三所の2カ所を巡ったことになりますが、Wikipedia を読む限り、残り31カ所をチャレンジすることは無いかなぁ。

散華

現在27箇所を巡り、残り6箇所となりました。

西国三十三所巡礼シリーズは続きますが、2回に渡った明日香村シリーズはここまでとなります。

<了>