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【エッセイ】尾張①─MIRAI TOWERと名古屋城三の丸─ 『佐竹健のYouTube奮闘記(92)』

「うわ、めっちゃ栄えてる!」

 名古屋駅を出たときの最初の感想は、この一言だった。

 行き交う車、あちこちに建っているビル、人々の行き交う歩道と交差点。私の住んでいる東京と大差ないレベルの大都会が目の前に広がっていた。

(そういえば、城めぐりの旅で東京以外の巨大都市へ来たのは初めてだな)

 今まで行った場所は、小さな街や鎌倉とか川越みたいな観光都市が多かった。規模が大きかったとしても、県の第二・第三の都市ぐらいの場所が多かった。県庁所在地でありかつ政令都市でもある場所に行ったとしたら、千葉市と静岡市ぐらいなものである。藤沢は観光都市の部類にカウントしているので、大都会の中には入れていない。そのため、三大都市の一つ名古屋を巡ることとなる尾張編は、東海城めぐりの山場になることが直感でわかった。


 名古屋の地下鉄名城線に乗った。目指すは名古屋城の手前にある久屋大通駅。一番近いのは名城前駅だが、じっくり城を巡りたかったので、手前の久屋大通で降りることにした。

(立ってる人少ないな)

 地下鉄の座席を見ていた私は、少し驚いた。普段乗っている三田線や新宿線、大江戸線に比べて車両の中で立っている人が少なかったからだ。

 私がよく乗っているこの三つの地下鉄の路線は、必ずといっていいほどに席が埋まっている。そして誰かが吊革やドアの近くにある手すりにつかまって立っている。それも朝昼晩問わず。三田線の西高島平以降の数駅という例外もあるが、東京の地下鉄事情は大体こんな感じだ。だから、地下鉄に乗っているときは、誰かが必ず立っているのが私の中でのデフォルトだった。三田線の巣鴨から大手町にかけての区間はとりわけ多い印象がある。

(やっぱり東京って人多いんだな……)

 改めて、東京がいかに人口密集しているのかを実感させられる。


 久屋大通駅を出た。駅を出ると、そこそこ高い建物の立ち並ぶ街と車がひっきりなしに往来する道路が目の前にあった。車が忙しなく流れる道路の向こう側には、大通りがあった。向こう側には、エッフェル塔みたいな電波塔が建っている。

(なんて名前なんだろう? あの電波塔)

 大通りに電波塔。構図的にほぼパリのエッフェル塔のそれである。このエッフェル塔そっくりな電波塔の名前がとても気になる。少なくともテレビとかの電波塔として使われているのは間違いない。

(それにしても、名古屋にこんな電波塔あったんだな……)

 東京タワー、東京スカイツリー、京都タワー、通天閣……。タワーと聞くと、情景反射的にこの四つを連想してしまう。前の二つは名前の通り東京にある。三つ目も名前通り京都にある。場所は駅の近くだったか。中学の時に修学旅行で登った。四つ目は大阪にある。

 こんな感じで大都市にはタワーがあるものだが、名古屋にはタワーのイメージが無かったので、あるとは思っていなかった。

(でも、埼玉にも行田タワーがあるから、あってもおかしくはないか)

 埼玉に行田タワーがあったから、あり得なくはない。その行田タワーみたいに、全国的には知られていなくても、一部地域ではよく知られていることだってあるかもしれないから。

 余談だが、行田タワーは『翔んで埼玉~琵琶湖より愛を込めて~』で知った。小説で読んだのだが、大阪府知事の嘉祥寺が発射したミサイルに対抗するため、麗から連絡を受けた百美が行田まで行って打ち上げていた。


 久屋大通を歩いていくと空堀が見えてきた。空堀との間にかかっている石橋を渡った先には土塁があった。

(ここから名古屋城になるのかな?)

 堀や土塁があることから、今いる場所がかつての名古屋城の一部なのかな? と考えた。今は財閥系の企業や各省庁の役所が建っているが、かつては城の一部であった江戸城外郭の実例があるからだ。

 土塁のあるところから歩いていくと、やっぱりそうだった。周りには様々な愛知県関連の施設があった。どうやら、この辺りは城跡でもあり、県の中枢部でもあるらしい。


 役所のたくさん集まっているエリアを抜けると、名古屋城駅の前に出ていた。

 名古屋城駅の前にある大通りには、江戸城の前の道路同様車が右から左へ、左から右へと流れるように行き来している。

 交差点を渡り、小さな噴水のあるところへ出た。

 そこで少し立ち止まり水の噴き上がるところを眺めていると、その向こう側にある道路を挟んだ先に立派な洋風の建物があるのを見かけた。立派な柱の入口を持っていて、上に和洋折衷っぽい屋根の時計台を持った建物だった。

 何だろうと思った私は、その建物が何なのか確かめることにした。

 調べた結果、和洋折衷っぽい屋根のある時計台のある建物は、名古屋市役所だった。

(なるほど、これが名古屋市役所か)

 県庁とか市役所は、大体現代風のスタイリッシュな建付けか洋風かのどちらかである。前者は都庁、後者は京都府庁が有名だ。名古屋市は洋風だったか。愛知県庁が和洋折衷様式なのは前々から知っていたが。

(そういえば、木造の庁舎って聞かないな)

 これだけいろんな建築様式の庁舎があるのに、木造のそれは、なぜか無い。やはり木造建築は、鉄筋コンクリートや石造り・レンガ造りに比べてメンテナンスが大変らしいと聞く。おまけに燃えやすい。予算がかかるし、耐火性という面で脆いから、採用されないのであろう。


 噴水の向こう側を見てみた。向こう側には、幅の広い空堀と、どこまでも続く立派な石垣が見えた。

「うおお!! すげー!!」

 あまりにも立派なものだったから、つい心の中の声が口に出てしまった。これだけでも名古屋城という城が、どれだけ広大であったかを物語っている。

「ところで、あれは何だ?」

 私は立派な石垣の中に等間隔で石の樋が出ているのを見つけた。

(城内の雨水を逃すための設備なのかな?)

 形状からしてそんなところであろうか。実際のところはよくわからないけど。

 六所神社の「六所」の意味に次いで、また東海城めぐりの謎が一つ増えた。

(ひとまず二の丸へ向かいますかね)

 どこまでも続いていそうな堀と石垣に沿って、私は二の丸を目指した。二の丸の入り口にある門をくぐり、二の丸跡へと入っていく。

(続く)


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佐竹健
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