【歴史小説】第71話 源為義①─父、祖父と叔父─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
六条堀川にある義朝邸。
月見が近いこともあり、屋敷にいる一族郎党たちは、その準備に追われていた。
その中に、今若、乙若と一緒に為義は準備を手伝っていた。
柿渋が塗られた質素な膳を、蔵から今若と乙若が持ってきて、数が合っているかを為義が確かめる。
「もういいぞ」
必要な数がそろったので、為義は二人に切り上げるよう指示を出した。
「わかりました、おじいさま」
「よし。じゃあ、きれいにしようか」
「うん」
女中から雑巾を借りに行こうとしたとき、
「俺の子供に近づくな」
とたまたまやってきた義朝に言われた。声色からして、かなり不機嫌な感じだ。
「年寄りの楽しみを奪うとは、非道なことをしてくれるな、義朝」
「お前、立場をわきまえてるのか?」
「立場をわきまえてるかどうかって、こっちは今若と乙若が、一緒に手伝おう、って言ってきたから、やってるんだぞ。な、今若、乙若」
事実確認を為義はすると、今若、乙若は、うん、とうなずく。
「今若、乙若、この男が何者なのかわかってんだよな?」
「おじいちゃんでしょ?」
「親戚の罪人だ」
今若と乙若に義朝がそう言おうとしていたときに、
「いいじゃないですか。この子たちだって、鬼武者だって、みんなおじいちゃんの顔を知らずに育っているのでしょう?」
黒髪と澄んだ茶色の目、作られたものように整った顔立ちと白い肌の若い女が、父と夫である子の喧嘩に入ってきた。今若と乙若の母常盤御前だ。
「きれいなお姉ちゃん、よくわかってるじゃないの」
鼻の下を伸ばし、顔を真っ赤に染めた為義は、常盤御前の尻にそっと手を伸ばす。
「やめてください!」
「人の妻に手を出すな、この外道が」
「俺はただ尻を触っただけだ」
「それがいけないんだよ、このスケベジジイ」
喧嘩をする父と子の元へ、
「二人とも喧嘩は辞めてください」
孫である鬼武者が強引に割り込み、喧嘩の仲裁に入る。
安堵の表情を浮かべた為義は、
「救ってくれてありがとな、鬼武者。お礼にいいことを教えてやろう。鬼切丸は持ち主と認めたものには力を貸すのだ」
と言った。
「そうなのですか」
「あぁ。これは本当だ。使い手に選ばれし者は、一振りで100の物の怪を斬る力を得ることができるのだ」
「ほうほう」
「残念ながら、じいちゃんはその器の持ち主ではなかったがな」
笑いながら自分が「選ばれし者」でなかったことを話すと、
「俺の息子にこれ以上話しかけるな」
顔を真っ赤にした義朝が、為義の襟裾を思いっきりつかんで怒鳴り上げた。
「俺は事実を話しただけなんだぜ。許してくれよ」
「今日から俺の息子に近づいたら容赦はしないからな」
そう言って義朝は、為義を殴ろうとしたそのとき。背が高く、長くつややかな黒髪の女の人がやってきて、
「祖父さん、殿、常盤、それに今若、乙若。こんなところで油打ってないで、身体動かしなさい」
と集まっていた者たちを怒鳴りつけた。由良御前だ。
「悪い、由良。みんな、仕事に戻れ」
由良御前の注意を受けた一同は、再び今日行われる十五夜の宴の準備に取り掛かった。
──義朝がムカつくが、ここでの生活は案外気に入っている。優しい気持ちになれるからだ。
乱のとき、私は義朝に勝負を挑んだが、圧倒的な力の差で義朝に負けてしまった。今まで汚いことばかりしてきてろくに鍛えてなかったから、自業自得だ。
そう思いながら、義朝の振るう太刀を受け入れようとしていたときに、正清に助けられた。
罪人になっているので、判決が決まるまで、親族のもとで監視せよ、と検非違使の役人に言われているので、義朝の屋敷で暮らしている。
朝起きて支度をし、今若と乙若の遊び相手をする。
普通に武士をやって歳を取っていれば、俺もこうしてご隠居として孫と遊び、朽ちてゆくのを気楽に待つ毎日が送れたのかもしれない。そんな普通の生活を夢見ているが、敗軍の将として監視されている日々。もう取り返しがつかない。けれども、こうして毎日を過ごしていると、物憂いことも忘れてしまう。
思い返せば、こんな優しくて心穏やかな気持ちになれたことは、これまでに何回あっただろうか。
2
──父は、優しく強い人だった。
巷では「盗賊のように領民を殺す男」、「国賊」、なんてひどい言われ用。けれども、俺の前では、家族思いの優しい父親だった。
だが、俺が5つのときに悲劇は起きた。
「こんな大バカ者に、大事な孫は任せられん」
という理由で、祖父が強引に引き取ってしまったのだ。
俺の祖父さんはかの有名な八幡太郎義家。東北にいる豪族同士の争いや内紛に介入して、源氏一門の勢力を大きくした人だ。
特に坂東の武者たちからの尊敬は厚く、一癖も二癖もありそうな郎党たちから、父のように尊敬されている。
坂東の武者たちからここまで尊敬されている理由は、安倍一族の内紛の戦後、朝廷に恩賞を願い出たことがあった。
安倍一族の内紛について、朝廷は、
「私闘だから恩賞はなし」
というあまりに非情な沙汰を下したのだった。
癖の強い東国の武者たち。これでは絶対に暴動を起こすだろうな。そう考えた祖父さんは、自分の持っていた荘園や馬、太刀を恩賞として彼らに分け与えたのだ。以来、東国の武者たちは祖父さんのことを心の奥から尊敬するように。特に広常や義明の一家のそれは、身内の自分から見ても、かなり狂信的なものだったように感じる。
唯一の一人息子を自分の親に奪われた父は、出雲の国司を人質に取って、俺を返すように言ってきたのだ。
国司を人質にした父は浅はかだった。
平将門の一件が表しているように、国司に手を出すということは、国に反乱を起こす意思表示をするのと同じこと。事態を聞きつけた白河院は、追討使として平正盛を出雲へ派遣。正盛は父を殺し、京の大路で、その首を薙刀の切っ先につけて凱旋した。
討ち取られた父の首は、七条の河原に晒された。
長らく風雨に晒され、蛆のわいた父の首を見ては、幼いながらに、
「絶対に父の仇は討つ」
と心に誓ったものだ。
3
曲者揃いの坂東の武者たちにとっては、神様のような存在である祖父さん。だが、俺には特別厳しかった。
的を当てられるようになっても、
「武士の子であれば、それぐらいできて当然」
と冷たく言い放つ。
また、剣術の試合で勝つことができても、
「もっと強くなれ」
の一点張り。生きていたときは、褒めてくれたことは一度もない。
そのくせ、和歌や管弦、舞、といった感じで求めることは多く、歳を取るごとに多くなっていったような気がしてならない。
当然、不器用でとろい俺にはどれをやっても、人並みにすらも上達しなかった。
出来の悪い俺の姿を見ては、散々ダメ出しをする祖父さん。
祖父さんの教育方針について、さすがに叔父上もやり過ぎだと思っていたようで、
「父上、いいじゃないですか。源太はまだ子どもなんですから」
叔父上の反論に、祖父さんは落ち着き払った声で返す。
「義忠、子どもだから、という理由で日々の鍛錬を怠けていいというのか?」
「いや、父上、そういう意味で言ったわけではないのですけど?」
「戦場は生やさしい場所ではない。出れば女子供や老人も戦士。都に住む者たちや農民の区別なんかもない。こんなたるんだ精神だから、我々源氏は平家に遅れを取る羽目になったのだ」
重みのある祖父さんの返しに、叔父上はしばらく黙り込んだあと、
「そうですよね……」
と言った。
呆れかえった表情で祖父さんは、大きなため息をついてつぶやく。
「協調性のない義親と弟の義光、弛んだお前。そして無能な源太……。もう源氏は終わりか」
この祖父さんのボヤキを聞いたとき、俺は早くこんな家終わってしまった方がいい、と思った。
俺は優しい父上がいた、あの家が好きだった。でも、もう父上はこの世にいない。それに、頑固で厳格な祖父さんはどうしても好きになれない。
俺のことを怒るのが日課であった祖父さんも、年齢と心労のせいか、10歳のときに死んでしまった。
跡を継いだのは叔父上だった。だが、俺が14のとき、同族同士の争いの中で闇討ちにされて倒れてしまった。
(何人かいる祖父さんの息子や弟のうちの誰かが跡を継ぐのだろう)
当初は一族の誰もがそう思っていた。俺もまだ14だし、家を継ぐにしても有力な親族の力がどうしても必要になるからだ。
だが、結果は一門のそれを大きく外してしまった。祖父さんの遺言に、
「俺が死んだら源太を当主にしてほしい。元服までの間は義忠が面倒を見てやってくれ」
と書かれていたせいで、俺はなりたくもない、できっこない河内源氏棟梁の座に就けさせられたのだった。
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