見出し画像

【エッセイ】武蔵(東京)②─東博の思い出 その2(『佐竹健のYouTube奮闘記(33)』)─

 一度、特別展に足を踏み入れたことがある。行ったのは、正倉院の宝物の展示だっただろうか。

 正倉院は、奈良の東大寺にある校倉造の蔵だ。そこには聖武天皇の遺品が納められている。遺品は螺鈿の琵琶やガラスの器など、国際色豊かな天平文化の様相を今に伝えている。どのようなものかについては、歴史の教科書や資料集を見てもらえるとわかりやすい。ネットにも画像があるので、そちらを見てもらえれば調度いい。

 私は特に奈良時代に興味があるわけではない。けれども、このときはなぜか、面白そうだなと思ったので、行ってみることにした。

 一番印象的に残っているのが、やはり琵琶だった。中高生のとき、歴史の教科書や資料集で度々見てきた。

 授業を聞いているときに、資料集に載っている琵琶の写真を見ていた。その都度、きらびやかだな、と思いながら。

 その実物が、今目の前に展示されている。

 日本に不似合いなラクダに埋め込まれている白い貝殻。その白い貝殻は、貝殻とは思えないほど艶やかで、博物館にあるわずかな照明の光をうけ、真珠のような輝きを放っている。

 多くの人が行き交う中、私はずっと、螺鈿琵琶の実物を眺めていた。

 教科書や資料集の写真で眺める螺鈿琵琶もきれいだけれど、この目でしっかり見る実物はやっぱり違う。ただ「きらびやか」だけでは終わらない。

 この後正倉院の柱を再現したコーナーとか見ていった覚えがある。


 天平文化つながりで、もう一つ古代日本の様相がわかる場所が東博にはある。法隆寺館だ。昔フォロワーさんと行ったことが一回ある。

 法隆寺というのは、あの聖徳太子が建てたとされる、飛鳥にある世界最古の木造建築である法隆寺だ。

 法隆寺館は東博の奥の方にある。

 法隆寺館にはペルシャ風の水差しやペルシャ人の顔を模して作られた伎楽面といったものがあった。飛鳥時代もまた、奈良時代の中ごろ同様、国際色豊かだったらしい。

 日本とペルシャ。距離は離れているけど、シルクロードを通じて交流があった。といっても、そのほとんどは、隋、唐、高句麗、百済などの東アジアの王朝を介してのものだが。詳しくは覚えていないけど、今のウイグルやチベット辺りとも関わりがあった気がする。

 シルクロードを介して日本にやってきたものや、その周辺の国々に影響を受けて作られたものが、ここに展示されている。そんなことを考えてみると、何だか感慨深い気持ちになってくる。

「日本と中央アジア」

「日本とペルシャ」

 あまり繋がりが無さそうに見えるこの二つの組み合わせ。だが、シルクロードを介して接点があったと考えてみると、やっぱり離れていても世界は繋がっているということを実感させられる。形の有無を問わず。

 そして、古代の人たちは、現代の私たちが思う以上に活動的で好奇心旺盛だった。そうでなければ、古代の日本にはペルシャ人がいたとか、渡来系の氏族である秦氏のように特殊な技術をもって朝廷に貢献した、といった話は無かっただろう。


 やっぱり東博は、いつ行っても飽きない。特別展では超国宝級のものが見れるし、飛鳥時代の貴重なモノを見ることができるのだから。

「あ、そうだ。今から引き返して東博行こう」

 噴水の辺りを歩いているとき、ふいにそんなことを考えた。が、今回の目的は東博の見学ではなく、上野公園の散策と動画撮影。行くのはまた今度にしよう。東京にいる限り、上野に行く機会が何度もあるだろうから。

(続く)


【前の話】

【次の話】


【チャンネル】


【関連動画】


この記事が参加している募集

書いた記事が面白いと思った方は、サポートお願いします!