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【歴史小説】第44話 御代変わり①─新帝の即位と暗殺未遂事件─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 賀茂神社の斎院の開かずの間で、仮面の男は正清と将棋をしていた。

「2ヵ月後に鬼切丸が二つに別れるか。ついに始まるな。第一の戦いが」

「ああ。もう引き返せなくなっている」

 苦しそうに正清は言って、手持ちの銀を動かし、玉を守った。

「全く、聖徳太子も四天王寺にとんでもないものを残してくれたものだ」

 仮面の男は、成った飛車で銀を取ろうとする。

「俊成卿、それは『未来記』のことですか?」

 正清は聞いた。

 仮面の男もとい藤原俊成は、

「ああ、そうだ」

 と言ってうなずく。

『未来記』とは、聖徳太子が残した予言の書である。中身についてはよくわかっていない。が、平安京の遷都、承久の乱で朝廷が負けること、黒船来航、東京奠都などといった、聖徳太子と同時代を生きた人間の想像の及ばない遥か先の未来について書かれた書物であるとされている。

 その詳細の一部を知っていると思われるのが、鎌倉末期から南北朝時代にかけての武将楠木正成である。『太平記』によると、彼がまだ無名の武将であったころ、大阪四天王寺にあったそれを読んだとされている。そこに自分と思しき記述を見つけ、鎌倉幕府挙兵に呼応した話はよく知られている。

 また内容の流布とは別の話になるが、『平家物語』にも『未来記』についての言及がある辺り、存在自体はそこそこ広く知られていたようだ。

「となると、次に起こることは、左府殿と太閤殿下の専横ですかな?」

 そう正清は聞いて、正清は玉を動かした。

 仮面の男は深刻そうな低い声で、

「違う。事態はもっと悲惨なことになる」

 と言い、正清の玉の一マス前に金を置いた。正清の詰みだ。

「参りました」

 負けた正清は、仮面の男に深々と頭を下げた。


   2


 深刻な事態は、正清と仮面の男が将棋を打った数週間後に起きた。

 久寿2年(1155)年7月。近衛帝が、17歳で崩御した。

 このことを承け、鳥羽院は新たな帝を選ぶべく、皇族や公卿、院近臣らを集めて、会議を開いた。

 院近臣で、亡き藤原家成の跡を継いだ息子 藤原成親(ふじわらのなりちか)は、

「章子内親王殿下(後の八条院)を次の帝にしてみては?」

 という意見を出した。鳥羽院の崇徳院の皇統を根絶やしにしたいという意向と、四宮雅仁親王が皇位にふさわしい器でないこと、そして、財力を持っていることから出た意見だ。

 だが、忠実・頼長親子をはじめとした公卿や院近臣から、

「皇位にふさわしい男系の男子がいるというのに、女帝を認めるとは何事だ!」

 と痛烈な批判を喰らい、女帝案は廃案に。

 続いて忠実・頼長親子が、崇徳院の皇子重仁親王を推すと、公卿や院近臣たちの中で、

「先ほどの女帝案よりはいい」

「鳥羽院の長子である新院の皇子が皇位を継承するのは妥当」

 といった意見がちらほら出た。

 だが、鳥羽院は顔を真っ赤にして、

「亡き祖父の皇統を残す気か!」

 と怒鳴り上げた。

 鳥羽院の怒号を聞いて、静まりかえる公卿や院近臣たち。気まずい空気が御殿一帯を包む。誰かが声を上げようものなら、それだけでも袋叩きに遭いそうだ。

 どこもかしこも地雷だらけで自分の意見を主張しにくい中、忠通は勇気を振り絞って、守仁(もりひと)親王の名前を挙げた。

 守仁親王は、雅仁親王の長男であったが、鳥羽院の意向で兄である覚性法親王が住職を務めている仁和寺で修行をしていた。

「構わぬ」

 鳥羽院は納得した表情で、守仁親王案を認めた。

 一同は納得し、守仁親王の即位が決まったかと思ったところで、

「異議あり」

 信西が手を上げた。

「どうした、信西よ?」

「まだ存命の父を差し置いて、その皇子を皇位に就けるのは、よくありません。なのに、父を差し置いて皇位に就けるのは、いかがなものかと存じます」

「だから、どうしろというのだ?」

「守仁殿下が成人するまでの間、雅仁親王を皇位に就けるというのはいかがでしょうか?」

「しかし信西殿、皇位に就けたと同時に、元服させるということもできますが?」

 忠通は、守仁親王の即位と同時に、元服させることを提案した。

「それでは費用がかさみます。 あと、守仁殿下は寺にいたので、髪を剃っています。元服させるためには、烏帽子を留めるための髻を結う必要がありますので、髪を伸ばす時間がいります。あと、関白殿下は知っているでしょう? あのことを」

 黒い笑みを浮かべながら、信西は忠実・頼長親子と崇徳院の方を一瞥した。

「南家の分際で、皇位継承の大事な場をしきりおって。我々摂関家に何をするつもりだ?」

 握りこぶしを作りながら、忠実は顔を真っ赤にし、信西の方を睨み付けている。

「父上、落ち着いてください。まだ終わったわけではございません」

 今にも信西に向かって殴りつけようとしている父を止める頼長。

「あぁ、そうであったな。忘れてた」

 忠通は何かを思い出したかのように、意見を変えた。

「どうじゃ、雅仁よ」

 鳥羽院は聞いた。

 章子内親王の隣に座っていた雅仁親王は、答える。

「本心を言えば、嫌だ。でも、皇位に就け、と言われては仕方がない。ただし、条件がある」

「条件とは、いかがなものですか?」

 信西は聞いた。

「皇位に就くのは3年間だけ。それ以降は、上皇にでもなって、ゆったりと歌い暮らしていようか」

「はぁ……」

 またいつもの調子か、と信西は思いながら、大きなため息をついた。

「信西、仕方がない。これも、余の皇統を残すために必要なこと。理不尽な条件の一つや二つ、飲み込むしかない」

 渋々ながらも、忠通と鳥羽院は雅仁親王の即位を決めた。


   2


 そして1ヵ月後。以前話した義平が、武蔵国比企郡大蔵に居館を構えていた叔父の義賢と舅の秩父重隆を殺し、鬼切丸を二つに折った事件が起きた。

 怒りに燃えた為義は、義朝を殺すため、東国にいる息子や反義朝の勢力、そして九州に流されていた八男を呼び戻し、軍勢を集めるなどの動きを見せていた。

 若き帝の崩御に、東国で起きた河内源氏本家の親子の対立。今まで騒ぎなんかもあるが、何とか平穏を保っていた京都に、不穏な空気が漂い始めている。


 不穏な世情の中、久寿2年の11月に剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀(皇位継承の証として、八尺瓊勾玉や草薙剣、八咫鏡を継承する儀式のこと)が執り行われ、雅仁親王は正式に皇位に就いた。後白河帝の誕生である。

 儀式が終わり、饗宴のために黄櫨染(こうろぜん)(赤みの強い暗めの黄色。禁色の1つ)の直衣を着た後白河帝が、近臣ともに移動していたときに事件は起きた。新しい帝である後白河帝の目の前に、矢が刺さったのである。

「ひゃあぁあぁ!」

 怯える貴族たち。

「帝」

 そこへ清盛が出てきた。

「清盛、そなたはよい。着物が汚れるぞ」

「わかりました」

 後白河帝は警護をしていた頼政に、

「帝であるこの私に矢を射た曲者を捕えて来よ」

 と命じた。

「承知致しました」

 この後、頼政は曲者を捕えるべく一人、曲者を追いかけた。


   3


 曲者が捕まり、身柄は検非違使へと引き渡された。

 名前は、秦助安(はたのすけやす)。摂関家に仕えている侍だ。

「しかし、なぜ摂関家に仕える武家がこのようなことを?」

 検非違使の役人は首を傾げる。

「関白殿下に命じられて、やりました」

 助安は答えた。

(え、そんなことあるのかい)

 調書を書いていた検非違使の役人は驚いた。穏やかな人物として知られるあの関白が、まさか、人殺し、それも、帝殺しという死罪も免れない命令をするとは、到底考えられない。

「なぜ、関白殿下は、そのような命令を下されたのですか?」

「わかりません」

 助安の口から出た言葉を聞いたとき、検非違使の役人は血相を変えて、

「知らない? んなわけがないだろ!」

 と叫び、助安を何度も蹴り倒した。

「……」

 黙り続ける助安。

「おら、答えろよ!」

 検非違使の役人は蹴るのを辞め、持っていた鞭で、何度も無抵抗な助安を叩き続けた。

 あまりの痛さに、助安は悲鳴を上げる。

「答える気になったか?」

 鞭を目の前に突きつけ、検非違使の役人は問いかけた。

 痛みのあまり、助安は涙を流しながら答える。

「ただ、これだけは言えます。近衛帝を殺した犯人は関白殿下。毒を盛って殺しました」

「え?」

 検非違使の役人は、ますます助安の証言に疑問を持った。

 亡き近衛帝と忠通は、同じ屋敷に住むほど仲が良かった、と噂では聞いている。その忠通が近衛帝を殺して何の得があるのか?

 だが、時間が限られている取り調べの時間にそのようなことをを考えても無駄なので、再び椅子に座り、調書をまとめる。

「わかった。お前にはたくさん聞きたいことがあるが、今日はここまでだ」

 検非違使の役人は獄卒たちに、助安を牢屋へと放り込め、と命じた。


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