【歴史小説】第74話 源為義④─仕官─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
北面の武士を辞めてから、俺は働くことを辞めた。
次に仕える場所でも、出世なんて到底望めない。それに自分より低い家柄の人間が高い位に出世するのを見ていると、嫉妬心が湧いてくるうえに、強い劣等感を感じる。そんな毎日を繰り返すのがひどくバカバカしく感じられた。
働かずにどうやって食べていたのか? それは、定期的に入ってくる荘園から入ってくる米や貢物。これだけでは大したことはない。だが、祖父さんが残してくれた遺産があったので、それを食い潰す毎日を送っていた。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。起きている間は、毎日のように大酒を飲み、遊女たちと遊ぶ。北面の武士時代とは違う自由な生活。それはそれで、浮世の嫌なことを忘れられた。
たくさんあるように見える財産。俺が酒や女に使っていくごとに、蔵にある財産はどんどん減ってゆく。
「せっかく俺たちが力を貸して、棟梁の座につけてやったってのに、酒と女に浸る生活をしているとはな。見損なったぜ。為義」
「何のために俺はこの男に力を貸したのか……」
財産と同時に、郎党たちの信頼も失っていった。常澄や義明といった郎党たちが、自堕落な生活を送っていた俺を見限り、俺も俺もと言わんばかりに辞めていったのだ。
その極めつけが、通清との別れだった。
ある日通清がやってきた。
通清は頭を下げて言う。
「殿、申し訳ございません」
「どうした、通清?」
そう俺が聞くと、通清はしばらく沈黙したあとに、重い口を開いて、
「もう、お前にはついていけない」
と大きな声で言った。
「通清、お前も行くのか」
通清は忠義な男だった。そして、誰よりも俺のことを知っていた。
口やかましくて嫌になることもある。けれども、子どものころから楽しいとき、辛いときでも俺の側にいてくれた忠臣。いや、主従の関係を通り越した、唯一無二の友と言っていいかもしれない。
そんな通清が、俺の元を去ろうとしている。
「どうしてだ、通清?」
そう聞くと、通清は俺の襟裾を思いっきりつかみ、
「お前は源氏の棟梁だというのに、仕事も武芸の稽古もろくにせず、朝から酒を浴びるように飲み、女遊びばかりに興じている。以前見た、やる気に満ち溢れたお前はどこへ行ったんだ!?」
俺を突き放した。
「そんなことを言われても──」
義綱追捕のときは、まあまあ好きだった叔父上の仇を討ちたかっただけのこと。それに場の勢いとかもあったから、あのような奇跡が起こせただけに過ぎない。
「私はこれにて」
立ち上がり、通清は屋敷を出ようとした。
去ろうとする袖を俺は強くつかみ、
「せめてお前だけでも、そばにいてくれ」
通清を引き留めた。
袖をつかむ俺の手を振り払い、通清は、無言で去っていった。
財産はどんどん減っていき、気がついたときには、乞食同然まで落ちぶれてしまった。
食べ物がないとき、俺はボロボロになった屋敷の片隅でうずくまるか、時々食べ物を乞いに辻へと出る毎日を送っていた。空腹で腹の鳴る音が部屋の中でむなしく響き渡るのを聞いていると、哀しい気分になってくる。
2
物乞いへ行くため、俺は袋を片手に屋敷の門を出ようとしたとき、目の前に背が高く、目に傷のある青年が風呂敷と徳利を持って立っていた。青年は、
「先輩、お久しぶりです!」
と声をかけた。
「忠正か」
「おう」
「久しぶりだな。この期に及んで、院に北面を辞めさせられたことを笑いに来たのか?」
そう俺は聞いたとき、
「違います」
と忠正は言って首を横に振った。
「何をしているか気になったので、暇つぶしに来ました」
と答えた。
「そうか」
「実は俺も、北面の武士を辞めました」
忠正の突然の告白に、俺は少し胸が救われた。辞めたのは、俺ばかりじゃないということがわかったからだ。同時に、なぜ辞めたのか気になる。
「さっきの発言は取り消しだ。入れ」
俺は門前にいた忠正を、家の中へと招き入れた。
俺と忠正は、弁当を食べながら昔話や、同僚たちがその後どうなったといった話に花を咲かせた。
「へぇ、あの家貞が白河院の落胤の守役をしてるとはな」
驚いた。てっきり、忠盛のコネを使って出世をするのかと思っていた家貞が、まさか守役になっているとは思ってもいなかった。
「驚きますでしょ? 今じゃあ白河院の落胤の守役が板についてますよ」
忠正は笑いながら言った。
「人間何があるか、分からんもんだな」
「そうだな。あ、それと、康清は息子が生まれたらしいな」
「そうか。何か祝いの品でも送ってやりたいところだが、贅沢の末に乞食同然の生活だから無理だ」
「それは大変だな。道理で先輩の食いっぷりがいいときたら、そういうことだったですか。俺のもあげますから、よかったら食べてください」
弁当箱にあったゆでたまごを、忠正は俺の弁当箱の中にある空いた場所に置いた。
「ありがとな……」
俺はかつての先輩から受け取ったゆで卵を、泣きながら食べた。
「そういえば忠正、どうして辞めたんだ?」
俺は忠正が北面の武士を辞めた理由について聞いた。
あっさりとした口調で、
「俺は自分で辞めました」
と忠正は答えた。
平家の次男だから、それなりに出世はできるはず。なのにどうして辞めてしまったのか?
「どうして辞めてたんだ?」
「出世が望めないから。出世するのなんてどうせ、頭が良くて、処世術にも長けてるやつばかりでしょう? 不器用で学のない俺には、到底無理です」
忠正が自分から北面を辞めた理由に、少し共感できた。
出世していくやつは、みんな学識があって、世渡りにも優れている。俺にも学識と世渡りの才があるかと言われれば、ない。
「なるほどな。よくわかるぜ。でも、次の職場はどうするんだ?」
「あぁ、それなら心配無用です。摂関家に仕えていますから」
「摂関家、か」
我々河内源氏は、初代頼信の代から頼義の代まで藤原摂関家に仕えていた。
太閤殿下や関白殿下のご先祖様にあたる、御堂関白や宇治関白の身辺を警護していた。頼信自身強さもそれなりにあったことから、道長四天王と呼ばれていたと聞いている。以来、曾祖父頼義まで付き合いがあったが、祖父さんの代になってからは、後三条帝や白河院に忠誠を誓った。ゆえに付き合いは途切れてしまった。
「よかったら一緒に摂関家へ行って、仕官を申し出てみましょう。このゆでたまご、もっとたくさん食えたらいいでしょう?」
「うん。でも、こんな俺でも雇ってくれるかな?」
正直、俺は不安だった。財力も郎党もほとんどおらず、他の身内にも顧みられない自分に、仕官なんてできるのか?
「きっと雇ってくれると思いますけどね。摂関家と源氏の付き合いは密接ですから、ぞんさいに扱うことはないと思いますよ」
「でも、院によって北面を辞めさせられたんだぜ」
俺がそう言うと、忠正は大きな吐息をついて言う。
「心配しないでください。そのときは俺も一緒に行きますから」
「そうか──」
物乞いをしていると、誰も銭を渡してくれない日もある。袴垂保輔のように盗賊にでもなろうかと思うけれど、流罪が怖い。安定と不安定、落とされる覚悟と悪人になる覚悟。この二つを天秤にかけた結果、俺はどちらも前者を取ることに決めた。
3
久しぶりに俺は直垂に袖を通し、刀紐で結ばれた鬼切丸を背中に背負い、摂関家の屋敷である東三条殿へ向かった。
屋敷へ向かうと、鼠色の水干を着た使用人が出てきて、庭の前へ案内され、
「ここでしばらくお待ちください」
と言われたのでしばらく待っていた。
黒い狩衣を着、両手には赤ん坊を抱いた太閤殿下が出てきて、
「表を上げよ」
と言ってきた。
「はい」
「お前が為義か。よく来てくれた」
「はい。命を懸けて藤原摂関家をお守り申し上げます」
俺はそう言って頭を下げた。
「頼信の代から我々藤原摂関家と付き合いがある。そんなお前の仕官を歓迎しよう」
「ありがとうございます!」
俺への挨拶が終わったあと、太閤殿下は忠正の方を向いて声をかける。
「お前は忠正だな」
「はい」
隣に座っていた忠正は、大きな声で元気よく返事をした。
「お前には平家一門との懸け橋となってもらいたい」
「太閤殿下からそのように思えていただき、この忠正とても光栄に思います」
そう言って忠正は深く頭を下げた。
満足そうな笑みを浮かべながら、忠実は、
「源氏の棟梁に平家の次男。藤原摂関家の未来は輝かしいものになるであろう」
と言った。
こうして俺と忠正は、藤原摂関家に仕えることになったのである。
【前の話】
【次の話】