【エッセイ】上総③─『木更津キャッツアイ』の聖地と虚構と現実─(『佐竹健のYouTube奮闘記(56)』
椎津城の近くにあった八坂神社でお参りをしたあと、そのまま姉ヶ崎駅へと戻った。木更津へと行くためだ。
木更津といえば、『木更津キャッツアイ』という昔のドラマだろう。
作品の内容を簡潔に説明すると、木更津に住んでいる青年5人が、悪者から大金などを盗み取るというものになっている。盗み取った大金などは、地元木更津や母校の野球部、仲間のピンチを救うために使われることが多い。
このドラマの舞台が、これから目指す木更津だ。
木更津には、気になっている場所が二つある。オジーの像と赤い橋だ。いずれも『木更津キャッツアイ』関連なのだが、いつか機会があったら見てみたいとずっと思っていた。
私は姉ヶ崎駅から内房線の館山行きの列車に乗って、木更津を目指した。
「次は、袖ヶ浦──」
五井駅を通り過ぎたあと、電車のアナウンスが聞こえた。
「袖ヶ浦、か」
袖ヶ浦と言えば東京ドイツ村だ。
東京ドイツ村のことを聞くと、千葉県には、とりわけ東京と名の付くものが多いな、といつも思う。
東京ディズニーランド、ららぽーと東京ベイ、東京ベイ信用金庫、東京ベイ舞浜ホテル……。東京以外の場所にも「東京」と名の付く施設はいくつかあるが、千葉県は殊の外多い。
先ほど例に挙げたものは、ほぼ東京の隣だから、まだわからなくもない。東京ディズニーランドと東京ベイ舞浜ホテルは浦安、ららぽーと東京ベイは船橋、東京ベイ信用金庫は市川市にあるからだ。だが、東京ドイツ村に関しては、いつも突っ込みを入れたくなる。
というのも、東京ドイツ村の立地は、千葉県袖ヶ浦市という東京湾に面した房総半島の南に寄った場所にある。明らかに千葉県なのだ。海を渡れば東京と接していると言い訳できないわけではないが、遠いから少し無理がある気がする。
このことを考えると、いつも『翔んで埼玉』を思い出してしまう。ちなみに漫画と映画どちらかといえば、GACKTの出ている映画の方だ(原作には千葉は登場しない)。
『翔んで埼玉』にも、千葉県は出てくる。
作中での千葉県は、東京都に賄賂などを送って取り入ることで、通行手形の撤廃をしようと考えていた。
そんな千葉県の代表である千葉解放戦線の阿久津翔(演:伊勢谷友介)が、千葉県の通行手形撤廃について麻美麗(演:GACKT)に語るシーンがあるのだが、そこで千葉にある東京と付くものについて語っていた。
『翔んで埼玉』の千葉県は、東京都知事に賄賂を贈る見返りとして、千葉県内に東京と名の付く施設を多く作ったことになっていた。
フィクションから現実に話は戻すが、千葉がやたら東京と名の付く施設を作るのは、地元「千葉」よりも「東京」とした方が見栄えがいいからではないかと考えている。
木更津に着いた。
駅を出ると、そこそこ大きな商店街と通りが目の前にあった。
(意外と大きな町なのね)
左側を見てみた。
左側にはアーケードがあった。アーケードには「みまち通り」と書かれた看板が立っていた。そして、門番をしているかのように狸の石像が配置されている。いや、門番というよりは、動物をかたどっているという意味で、狛犬や稲荷神社の狐とかに近いかもしれない。
狸が門前に鎮座しているアーケードをくぐって、町の中へ入った。
アーケードの中には、地元のラーメン屋とか飲み屋、民家などが軒を連ねている小さな商店街があった。駅前の大きな町とは違って静かだ。
ここだけ切り取れば、どこにでもある地元の小さな商店街。だが、それとは違うところが、一つ、あった。それは、
「至るところに狸の石像がある」
ということだ。しかも、みんな表情が豊かで、個性的である。
(何か意味があるんだろうか?)
そんなことを考えてみる。だが、よくわからなかった。
後で調べてみたのだが、みまち通りに狸の像が多くあるのは、近くにある証誠寺というお寺に狸の伝説があるからだそうだ。
狸の像の中に混じって、いかにも人間感ある狸の石像があった。
この狸の石像が、オジーの像である。
オジーは『木更津キャッツアイ』の登場人物である。演じていたのは、古田新太だ。
オジーは木更津の街をさまよう神出鬼没のオジサンで、朝になると、
「朝だよー!!」
と叫ぶのがお決まりである。
作中では、手違いで逮捕されたときに木更津の住民が来て抗議しに来たり、「木更津の守り神」と称されているところから、地元では愛されている存在である。
『木更津キャッツアイ』で誰が好きかといえば、私はオジーであろうか。まず、キャラクターの設定が素晴らしい。
ただの憎めない記憶喪失の変わったアル中のオジサンというだけで終わらせずに、ここぞというときに活躍しているところ、なぜ記憶喪失になったのかという背景が説得力を持って語られているところ。そして、オジーの最期が、作品のテーマである「死」を具体性のあるものとして描いているところ。この二つが本当にすごい。
海の近くまで歩いてきた。
ヤシの木がところどころに植えられている。
一応千葉県木更津市も東京都と同じ関東地方になるのだが、こうしてヤシの木が生えているのを見ると、どこかの南の島に来ているような感覚に陥ってしまう。東京から80数キロ離れた場所とは到底思えない。
鳥居崎の海浜公園へと着いた。鳥居の向こう側には入り江があり、その左側からは波の音が聞こえてくる。もう海に着いたんだ。
入り江から海の方へと歩いていく。
海が見えた。先ほどの入り江とは違い、どこまでも続いている。
この日の天気は夕方にかけて曇っていたため、向こう側の景色はハッキリ見えなかった。
そんな海の真ん中には、枯れた笹を束にしてまとめた感じのものが、一定間隔に置かれていた。
(何に使われているんだろう)
私はふとそんなことを考えた。海の真ん中に置かれているということは、何かしらの意図があって置かれているのだろう。目的はおそらく、何かの養殖もしくは漁であろうと考えられる。
海岸に沿って歩いていくと、大きな橋が見えた。
橋は長く、大きな支柱に支えられていて、向こう側にある島まで繋がっている。渡る部分の下を赤く塗装された鉄骨が支えていた。
この橋が、赤い橋である。
赤い橋には、パートナーを背負って渡りきると、恋が成就するという伝説がある。
実はこの伝説は、『木更津キャッツアイ』が発祥だ。
作中でモー子(演:酒井若菜)がバンビ(演:櫻井翔)に出まかせで、好きな人を背負って赤い橋を渡りきると恋が叶うと言っていた。その後にバンビが背負って渡ろうとするシーンは、少しキュンとくるものがあった。
このシーンから、赤い橋は恋人の聖地となった。
後で見直してこの事実を知ったのだが、物語の力というものは、ものすごいものがあるなと感じた。
同じく千葉県を舞台にした作品に、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』という勧善懲悪ものの小説がある。そこに、安房を治める殿様里見義実の娘である伏姫というお姫様が出てくる。彼女は飼い犬である八房と結婚し、一緒に洞窟の中で暮らしていた。
その洞窟が、安房の地にある。もちろん『南総里見八犬伝』は、里見義実や扇ヶ谷上杉定正、足利成氏といった実在の人物が数多く出てくるが、虚構である。なのに、安房には伏姫と八房が過ごした洞窟があるのだ。
これはおそらく、ファンが持つ物語への愛ゆえにできたものだろう。
「こうであったらいいな」とか、「物語に出ていたあの場所が実際にあったらな」といった願望が、そうした物語上のものを現実に創り出しているのだろう。虚構と現実。この二つを等しく認識できる人間の認知力の強さを体現している。
私にはパートナーがいないから、もちろん一人で渡った。
橋はかなり高く、階段を登ってから渡らなければいけなかった。
高い橋の上を歩く。
前にある島から見て左側からは、工場が見えた。
工場の煙突は、千葉や市原で見た鉄骨を組んだものであった。石油コンビナートなのか、それとも製鉄場なのか。
(気持ち悪い)
吐き気がする。落ちたらと考えると怖い。もう無理。
好奇心で登って渡ってみたけど、高さから恐怖感が来た。
正直に話すが、私は高いところが苦手だ。下を見ると、落ちたらどうなるのかと考えてしまうから、恐怖感を感じてしまう。
これは渡れないと思った私は、引き返して階段を降り、帰ることにした。
曇った夕暮れの空と海からは、穏やかな波の音が聞こえてくる。
21年前の木更津を知っている人なら、どこが変わってかはわかるだろう。だが、私の目には、放送当時と変わらぬものが写っていた。みまち通りや狸の石像、駅前の大通り、そして赤い橋。駅前の大通りは多少変わっているかもだが、大方はドラマで見た感じとそれほど変わっていなかった。
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