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【歴史小説】第51話 保元の乱・序②─院宣と宣旨、そして頼盛の葛藤(後編)─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


「おれ、どうすればいいんだよ」

 賀茂川の堤の前で、頼盛は一人涙を流しながらうずくまっていた。

 自分の一番の理解者である母親、そして叔父にも自分の意志は否定された。皮肉にも、自分の意志を認めたのは自分が一番嫌っている兄だけ。一人だけ自分の意志を認めてくれてうれしい、と思いたいところだが、そうは思わない。むしろ、世界のすべてから自分の存在が否定されたような気分になった。

 悩んでいるところへ、

「見つけた」

 水色の直垂を着た、頼盛と同じぐらいの年齢の青年が声をかけてきた。重盛だ。

「重盛か。今は放っておいてくれ」

「そんなこと言わないでおくれ」

「わかってる。でも、俺は、意地でも新院のお味方をすることにしてるんだ」

「ほう。頼盛の気持ちもよくわかる。でも、もし頼盛が新院のお味方をしたとして、いざ、僕と戦えと言われたら、斬れますか?」

 新院のお味方をする、と意地になっている頼盛に、重盛は究極の質問を投げかけた。

「……」

 しばらく黙り込む頼盛。

「自分に重盛は斬れるだろうか?」

 何度も自問自答してみる。

 だが、頭の中に浮かんでくるのは、重盛との思い出と笑顔。「斬れるか」と聞かれたときに、一時の感情に惑わされて、これだけ思い悩む自分では、いざ味方をしても、足手まといになるだけだ。

「斬れないよ」

「だろう? それにもし新院の方が勝ってしまったとしても、寂しくなるのは、頼盛だ。頼盛がそんなことになってしまうのは、俺も嫌だ」

「だから帝のお味方をしろと?」

 頼盛はそう聞くと、重盛は首を振って、

「ううん。僕にとっては、君がいるならそれでいい。だから、帰ろう。みんなのいる場所へ」

 手を差し伸べる重盛。

 頼盛は一瞬戸惑ったが、重盛の手を握って、

「おう」

 と返した。

「行こう、もう陽も暮れてしまう」

「そうだな」

「今日の夕食はみんなも集まってるそうだよ」

「ほう」

「そのときに、考えていることを父上に打ち明けたらいい」

「そうするよ」

 頼盛は微笑んだ。

 夕日が沈み、夏の終わりを告げるひぐらしの鳴き声がこだまする中、同年代の叔父と甥は仲良く話しながら帰ってゆく。


   2


 紺色の夕闇が広がり始めたころ。重盛は頼盛を連れて、六波羅の屋敷へと帰ってきた。

「ただいま帰りました」

 おそるおそる重盛と頼盛は、家族のいる母屋へと入った。

 規則正しく並べられた膳の前には、父と母で暮らしていたときと同じように、母親と兄弟がそろっている。

 以前暮らしていたときと違うところは、上座に座っているのが忠盛ではなく、清盛であること。そして家貞や盛国、忠清がいることだ。

「おかえり、みんな待ってたぞ」

 先ほどの騒動がなかったかのように、清盛は笑顔で義理の弟と息子を出迎えた。

「改めて」

 よそよそしく礼をする頼盛。

「腹、空いてるだろう?」

「空いてないよ」

「そんなこと言わずに、食べていきましょうよ。今日はみんながそろっているのですし。ささ、早く食べないと冷めてしまいますよ」

 お腹のあたりをさすり、家貞は空腹をアピールする。

「そうだな。では──」

 手を合わせた清盛は、いただきます、と言おうとしたときに、

「ちょっと待ってください、兄上」

 頼盛はストップをかけた。

「どうした? 早く食べないと冷めてしまうぞ」

「その前に伝えたいことがあって」

「ほう。言ってみろ」

「おれ、本当は新院にお味方したいと思っていたけど、やっぱり辞めました。だから、今からでもおれを、帝のお味方として認めてくれますか?」

 頼盛は重盛と会話していたときに考えていたことを、そのまま打ち明けた。

 清盛はうなずいて、

「ああ。頼盛がそう言ってくれてうれしいよ」

 と微笑んだ。

「ありがとうございます!」

「さあ、冷めてしまうからみんな食べよう。頼盛も席について」

「うん」

 頼盛が席に着いたあと、いただきます、と手を合わせて食べた。

 久しぶりに一家が集まった夕食は、とてもにぎやかなものとなった。これから大きな出来事が起きるとは思えないほどに。


   3


 翌朝。清盛たちは大鎧に身を包み、後白河帝のいる高松殿へと向かった。

 東の空から顔を出そうとしている太陽が放つ、真っ赤な空にも劣らないほど赤い、家紋の揚羽蝶が描かれた旗は、風にたなびいている。

 後白河帝の住む、高松殿へ着いた。

 そこには平家一門だけではなく、義朝とその家臣たち、そして渡や盛遠もいる。

「皆々、おはよう」

 御簾の向こう側にいる後白河帝は、中庭に集った武者たちに言った。

「おはようございます」

 頭を下げる武者たち。

「今日からお前たちには、この都を、そしてこの日本を朝敵から守ってもらうために、働いてもらう」

 激励の言葉を言い終えたあと、後白河帝は信西を前に呼び出した。

 信西は礼をして、話し始める。

「改めておはよう。お前たちを集めた理由としては、まず第一に、地方から集まってくる武士や夜盗どもの流入を抑えて欲しいのが1つ。もし、乱暴狼藉を働こうものなら、捕らえても殺しても構わない。2つは、内裏の警備である。都の治安が悪化している今、新院に着く誰かや夜盗たちがこの御所に火をつけてもおかしくはない。一院崩御の後に起きた治安悪化には、近衛府や検非違使、北面や滝口だけでは力不足である。そこで、強大な武力を持つ、源氏と平家に協力を願い出た。働きのあった者には、恩賞をたんまりとくれてやるので、頑張ってもらいたい」

 スピーチが終わったあと、信西は元いた場所に戻った。

「では、仕事をはじめてくれ」

 後白河帝の指示で、武者たちは動き始める。


   4


 京都の北にある下賀茂神社でも、武装した大量の神人たちが、襲撃に備え、警備をしていた。

 大鎧姿の頼政は、簾越しに斎院と対面していた。

「飢饉、疫病、大災害……。終末の予兆は全て終わり、これにて一つ目の戦いが始まります。頼政殿はいずれかに着くおつもりですか?」

 斎院は頭を下げている頼政に聞いた。

 頼政はいつもよりさらに丁寧な口調で、

「帝でございます」

 と答えた。

 胸を撫で下ろし、斎院は言う。

「それでよろしい。だが、肝心なのは、第一の戦い、第二の戦いの後です」

「というのは?」

「聖徳太子の『未来記』に曰く、『第一の戦いの後、老いたる白き龍と赤き龍の首が刎ね飛ばされ、聖者による政が行われる。が、白き龍がその聖者の首を取り、日輪を飲み込む』とあります」

「ほう」

 頼政は斎院の話した『未来記』の予言の内容を大方察した。が、日輪を飲み込む「白き龍」が誰なのかわからない。自分か? それとも、自分以外の源氏の誰かなのか。

 斎院は、表を上げるよう命令した。

 頭を上げる頼政。視線の向こうには、十二単衣を身に纏った小柄な賀茂斎院の姿があった。

 斎院は小さく、赤い唇を動かし、今から出陣をする頼政に励ましの言葉をかけた。

「ご武運をお祈りします」


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