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表面的な言葉と質的な言葉

先日、”馬から学ぶリーダーシップ研修” を行いました。
馬は個体認識しないため、犬のように”この人だから言うことを聞く”ということはないそうです。なので、馬の手綱を持って、馬にとってのリーダーになれば、その人に従う・・とのこと。
でも実際にやってみると、手綱を持っただけではリーダーにはなれません。
・馬は言葉では動かない
・脅して動かすと後で制御が効かなくなる
・合図の出し方(強弱・声のトーン等)次第で、馬の動きが変わる
とヒントをもらうものの、やってみると全くうまくできないものです。
それでも馬との関係を作り、合図の出し方など、自分なりに馬とのコミュニケーションが図れるようになると、だんだん自分と馬との間に見えない繋がりができてきます。

保育でも、とっても上手に保育をしている先生は、先生の言葉数が少なくても、子どもたちとその先生が見えない何かで繋がっている様な保育をしています。
大きな声を出さなくても、子どもたちの姿をよく捉えていて、絶妙なタイミングで、「そろそろあっちに行ってみようか〜」とか「これやってみる?」と普通の声で呟くだけで、周りの子どもたちがその言葉を聞いて自然に無理なく、その先生が意図する方向へ動いていくのです。

これが、馬を動かす時と保育をする時のあり方が似ていると思った点の一つです。

さて、馬から学ぶ研修の時のことです。
馬とのコミュニケーションの取り方をコーチしている八木一馬くんのポロっと呟く一言が非常に的を得ていました。
例えば、「優しいのと弱いのとは違います」とか「楽しむとおどけるは違いますよ」とか「馬を信じて、自分を信じて」などなど。
この言葉は考えて言っているのではなく、馬の様子をみてアドバイスをしているとのことでした。
このアドバイスは、その人の意識の向いている方向に注目させるものだと思いました。

10年ほど前、ある保育園で研修を行った時のことです。
研修を始める際に
「今日は童心に返って楽しんでくださいね」
と話すと、その研修中、先生たちはわざと子どもっぽいことをやってみたり、言ってみたり・・と、”子どもを演じるような姿”になってしまいました。
その時「童心に返る」と「子どもっぽい」は違うのに・・とがっかりしたことがあります。

「童心に返る」と「子どもっぽい」そして先に書いた「優しい」と「弱い」、「楽しむ」と「おどける」は、似て非なるものです。
他にも、「強調して伝える」と「脅して(怒って)伝える」、「愉しむ」と「楽しむ」、「静けさをつくる」と「静かにする」なども、似ているけれどニュアンスは違います。

これらの言葉の違いは、「内的な、質・あり方」と「外的な、行動・表現方法・状態」だと思います。

保育や子育ての中でも、この言葉の違いを混同して使っている人は多いのではないでしょうか。
子どもを観察する時にも、言葉の違いを意識することで、見え方が変わってきます。

大人は表面的に子どもたちを捉えがちです。
例えば・・
「走り回って遊んでいる」から「楽しんでいる」のだろう。
いつも「大人しい」、「元気がない子」だ。
「じっとしていた」から「何もしていなかった」。

そして、表面的な保育・子育てをしていることが多々あります。
例えば・・
子どもを「楽しませる」だから、子どもを「笑わせる」(そのためにおどける・くすぐる)
子どもを「自由にする」(自由な保育・子育て)だから「制限をしない」(大人が振り回される・我慢する)
子どもを「喜ばせる」ために、子どもが「喜ぶことをしてあげる」(ご褒美をあげたり、おもちゃを与えたりする)
子どもに「丁寧に関わる」から、子どもに「赤ちゃん言葉で話しかける」(小さい子ども扱いをする)

真の「楽しむ・愉しむ」「喜び・歓び」とはどんな体験でしょうか。
果たして「自由」とは何が自由なのでしょうか。
子どもに「丁寧に関わる」「寄り添う」とは、どういう行動なのでしょうか。

言葉一つとってみても、自分がどう解釈しているかで、表現される行動や言葉が変わってきます。
これからの保育・教育は、私たち大人がこうした一つひとつの言葉に意識を向けることで、進んでいくのではないかと思っています。




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