この世から戦争は無くならない
未だにウクライナとロシアの戦争が続いている。残念ながら終わる気配はない。
イスラエルとハマスの戦いも酷い有り様である。
なぜ人類は戦争を繰り返すのか。
私なりの答えは「他人が自分の思い通りになると思っているから」である。
戦争が始まる理由のひとつに宗教が挙げられる。
A国「B国は我々と違うb教を信仰している。しかし、我々が進行しているa教こそが正しい。b教なんぞを信仰しているB国を征服し、a教を広めよう。」
よくあるパターンだ。
それに加え、悪意の無い「自分がa教を信じているから、B国の人間にもa教を信じてもらえるに違いない。」というパターンも考えられる。
これらの根源を辿ると、「(自分たちが導くことにより)他人は自分の想定通りになる」と考えていることである。
しかし、現実はそう甘くない。100人いたら100通りの考えや趣味嗜好があるのである。
それでも、他人を自分の思い通りにしたい人たちが戦争を始める。
何を隠そう、これは戦争以外にも当てはまる。
ネット上での他愛もない論争もそうである。
「自分が支持している政党の政策は全て正しい、別の政党の支持者をなんとか論破しよう。」
「いや、私が支持している政党こそ正しいんだ」
こういった争いももはや根は戦争と同じだろう。直接手を下すかどうかだけの差である。
彼らも、ネットの向こうにいる他人が、自分の思い通りになると思っているからこそ議論(という名の喧嘩)が始まる。
この世の中の争いごとの根源は全てこれに繋がると私は考える。
彼らは、自分とは異なる考え・趣味嗜好を持つ他者の存在を認められないのである。
断言する。
他人は自分の思い通りにはならない。それどころか、ときに他人は自分の想像を超えるような言動をするのである。自分以外の全ての人間は自分の想定外の世界で生きているのである。
そして、社会は、「自分」と「自分の想像の範疇を超える人間たち」で成り立っているのだ。
当然、社会が思い通りに行くはずはない。社会を構成する全員の欲求を実現することは到底不可能だ。
このことを多くの人に認識して欲しい。
「他人は自分の想像を簡単に超えうる」
「社会はそういう人たちで構成されている」
私は気付くのに20年以上かかった。
そして、自分が想定できない人間の存在を認めよう。
例えば、
●自分はアニメが嫌いだ。でもアニメが好きな人だっている。それでいいじゃない。
●自分は野球よりサッカーが好きだ。でも野球を好きな人だっているよね。
自分が受け入れられないものを排除しようとすると争いが起こる。つまり、戦争である。
自分が気に入らないものを排除するということは、いつか自分の好きなものが排除される可能性があるということだ。
自分の好きな物が、誰かにとっては嫌いな物かもしれない。
お互いが、自分とは異なる人間の存在を認めよう。
そういう人が増えれば、やがて戦争は減るだろう。
ただ、それが人類のとって良いことかと考えると、そうではないのかもしれない。
「戦争が無い世界」
口では簡単に言えても実現はほぼ不可能だろう。
国家間に留まらず、民間の個人間でも日々争いごとが絶えないのだから。
いっそ戦争で人類が滅んだ方が早いのかもしれない。
これについては、いつか別のnoteで書ければ。