星の王子さま2「ヒツジ(想像力を働かせること)」
1で言及したとおり、想像力を失ったおとなたちとの表面的なやり取りに、失望感を抱いていた「僕」は、砂漠で飛行機が不時着し、遭難してしまう。
孤独に包まれていた「僕」は不思議な雰囲気の男の子と出会う。「彼」の一声はこうだった。
「おねがい……ヒツジの絵を描いて!」
画家の夢を諦めた「僕」は戸惑いながら、「描けない」と告げる。それでも良いと食い下がる「彼」に、「僕」は‘ボア’の絵を描いてみせた。すると「彼」はその絵が‘ボア’であることを理解した。
つまり「彼」には‘想像力’があり、かつての「僕」と同じようなこどもだった。その後、「僕」は「彼」のリクエスト通り、ヒツジを何通りか書いてみせるが、「彼」の気に入るようなヒツジはなく、しびれを切らした「僕」は‘穴の空いた箱’を描いて渡す。
「ほら、木箱だ。きみが欲しがってるヒツジは、この中にいるよ」
投げやりになったかのような行動であるが、「彼」はその絵を気に入り、ヒツジがその木箱の中にいるかのように話し出す。
‘想像’には、それをするだけの‘余白’が必要である。何も無かったり、もしくは隠されている部分があれば、それが「想像」をかき立てる。ヒツジといえばこういう見た目だろう、という「僕」のイメージに「彼」は納得しなかった。「彼」の想像をゆるす‘余白’こそが、中身の見えない木箱であった。
人類の発明した‘光’が余す所なく届く現代において、‘余白’はもはや残されていないのではないだろうか。‘想像’をする余地は、もはやないのだろうか。
しかし、誰かの欲しいものがあったとして、それは‘ヒツジ’のように形のあるものとは限らない。形のあるものでさえ、ひとによって捉え方が違うのだから、他者がその形を言い当てることなど出来ようもない。相手の心の中の木箱にしか答えはないのだから、‘想像力’を働かせる他にない。
他者のことを推し量ることは、どんなに文明が進化して、こどもがおとなになったとしても、確実な方法はなく、その点において人は自身で思っているよりもはるかに、無知なのである。
つづく