英語学習の街を歩けば「クジラ構文」というトマソンに当たる
「クジラ構文、どう覚えればいいですか?」と、先日若い人に聞かれた時、私がふと思い出したのがトマソンでした。
トマソンとは無用の長物のように見える建築物の一部です。「超芸術」とも言うらしい。「世間の役には立たない芸術作品のようなものなのに、芸術のために作られたわけではない」という意味で。
(興味のある方は「四谷の純粋階段」で検索!)
話を戻しますが「クジラ構文」とは、
A whale is no more a fish than a horse is.
鯨が魚でないのは馬が魚でないのと同じことである。
長い間、英語学習界隈の路地裏にポツンと残っている一文です。
英語を教えていると、時々視界に入ってきてしまうクジラ構文。そのたびに私の心は失笑します。なぜって、
「鯨が魚でないのは馬が魚でないのと同じこと」
なんて、英語学習以外の場では言ったことも聞いたこともないからです。
〈no more ~ than ……〉を理解させるためとはいえ、この文を覚えて、実際に何かの役に立つことって、あるんでしょうか?
「鯨は魚じゃないよ」なら、私もアラカンですから、長い人生の中、一度や二度は言ったかもしれない。でも、「馬が魚でないのと同じように」……これはまったく記憶にありませんね。
私は給食で鯨を食っていた世代です。さらに自分は、子どもの頃、大洋ホエールズ応援していたし、大人になってからも居酒屋で鯨の竜田揚げがあると頼んでたし、渋谷にあった鯨料理の店の前をしょっちゅう通っていたし、鯨に関して発言する機会は、たいていの人より多かったはず。
そんな私でも違和感覚えまくりですよ、クジラ構文ってやつには。「馬が魚でないのと同じ」って、なに、それ? なんで、馬?
でも、じゃあ、この構文が嫌いなのか?といったら、そうでもない。憎めないものを感じるのです。
「実用的じゃないから、なくなってしまえ」というのも違いますよね。そんなこと言ったら、古文の存在意義も揺らいでしまう。私には、このクジラ構文、なんというか、哀愁を漂わせているように思えます。
再び童心に返りますが、ファンだった頃の大洋ホエールズが弱くてねぇ。巨人に3タテ食らうなんて、しょっちゅう。そんな翌日、スポーツ新聞を見ると、「くじら沈む」。阪神にもやられ、翌日スポーツ紙を見ると、「くじら浮上せず」。
それでも、時には布団に入ってラジオでプロ野球中継を聴きながら、ガラスのエース平松がカミソリシュートで三振を奪うのを心待ちにしていました。たまに大洋がスタートダッシュを決める年がありましたが、スポーツ紙の見出しには必ず「春の珍事」の文字が踊ったものです。
「珍事」でも「椿事」でも嬉しかった。「くじら潮を吹く」なんて見出しでも出た日には……。私にとってのクジラ構文は、ホエールズに一喜一憂した少年の自分の記録ですね。
なるほど……。
鯨が魚でないのは馬が魚でないのと同じ!
この文が、いまいち受けなかった芸人さんのギャグのように感じられるから私は心で失笑するんだろうと思っていましたが、違いますね。
弱くて、弱くて、ごくたまに強かった大洋ホエールズ。もう見ることのない緑とオレンジのユニフォーム(復刻ユニは作られたそうですが)や川崎球場の記憶と無意識でつながっていたため、
「クジラ構文、どう覚えればいいですか?」
と聞かれたりするたびに、私の胸に、いとしいような、笑いたいような想いがわくわけですよ。
今となっては、何かの役に立つこともない、私の、大洋ホエールズ応援期間。だけど、時々ふっとそれを眺めると、不思議な懐かしさが滲んできて、嬉しくなっている自分がいる。そう、まるで、街角で、トマソンを見つけた時のごとく。
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