【日常】言葉を手紙にする理由。
一年の終わりが近づくと、
いろんなことを整理したくなる。
部屋の片付けだけじゃなく、心の中も。
そしてやり残したことや
伝えそびれた言葉が頭をよぎって
なんとなく誰かに気持ちを届けたくなる。
ふと「手紙を書こう」と思いついた。
5人分だ(なんとなく)
最近あまり話していない友人、
お世話になったあの人・・・
顔を思い浮かべると、次々と名前が浮かぶ。
手紙には、手紙ならではの良さがある。
会話やLINEと違って、手紙は一方通行だ。
こちらから「あなたへ」と送り出すだけで、
相手に返事を求めなくていい。
LINEみたいに未読マークに
やきもきすることもないし、
電話のように返事に困らせることもない。
受け取るも受け取らないも
読むのも読まないのも、
返事を書くのも書かないのも
すべてがその人の自由だ。
ただ、自分は「こんなことを思っています」と
静かに言葉を置くだけ。そこがいい。
「言葉」を意識するようになったのには
深い理由がある。
昔、人の心を深く傷つけてしまったことがある。
傷つけたというよりその人の心を
「殺して」しまったんじゃないかと
今でも思うことがある。
あのとき自分の放った言葉が
相手の心にどれほどの痛みを与えたか、
気づいたのはずっと後だった。
言葉は、使い方を間違えれば刃になる。
刺さった傷は、消えることはない。
あのとき放った言葉はきっと今もどこかで相手を苦しめているかもしれない。
消したいと思っても、消せない。
なかったことになんてできない。
そんな経験があるからこそ、
今は言葉を大切にしたいと強く思う。
言葉は一度放ったら、
もう二度と取り返せない。
だからこそ手紙を書く時間は
自分と向き合う時間でもある。
じっくりと言葉を選び、相手のことを考え、
丁寧に紡ぐ。
手紙を書くたびに
言葉はまるで種みたいだと感じる。
送り出したその瞬間には
何も変わらないかもしれないけど、
土の中で静かに芽を出し、
やがて心の片隅に小さな花を
咲かせることがある。
誰かに手紙を書くということは
相手のためであり、自分のためでもある。
その過程で自分の心に隠れていた思いを見つけ、
改めて大切にしたい人を思い出す。
それが、手紙の魅力だ。
一年の終わりに、
お世話になった人たちの心に、
言葉の種を5つ、そっと置いてみたいと思う。
そんな感じ。