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【読書感想文】「バカの災厄」


敬愛する池田清彦さんの著書であること、「バカの災厄」というタイトルに惹かれたこととでこの本を手に取った。

バカってどういうものだろう、と思って読み出したのだ。

「この本のなかで私が「バカ」と呼ぶのは「概念が孕む同一性は一意に決まる」と思い込んでいる人々だ。」
「概念に正しさを求めるのは間違っている」

(本文より引用)

概念に正しさってないんだ!、と序章から衝撃を受けた。

映画「シックスセンス」の、客観から主観への転換のような感覚。

なんだ、「バカ」って自分のことじゃないか。

「ある論点について賛否両論をともに参照して考えることをせずに」
「いかに高学歴な人であっても、知識や教養のある人であっても、独善的で他人の意見に耳を傾けない場合、本書では「バカ」と呼ぶ。」

(本文より引用)

だけど、「バカ」である自分を受け入れてるからそうバカでもないのかな、
無知の知ってやつ? 都合のいい情報だけを信じることもないし。

そう自らを慰めつつ、でもそこからは確実に目に映る世界が変わり、「バカ」の一人として読み進めることとなる。

その上で、文中の「バカ」に対しては、

「こういう人いる!」

と共感し、

「やっぱりあいつ『バカ』だったんだ。」

と、嫌いな奴らを「バカ」認定して溜飲を下げる。

翻って、自分は間違ったことはしていないと思ってきたが、それすらも「バカ」の発現であり、賢明に災厄を逃れる選択肢もあったかもしれないと、今さら思ったりもした。

おもしろいなと感じたのは、「バカ」が本書に憤慨したとしても、攻撃してくる奴は「バカ」だということになるのでそれができない、ということ。

うまくできた本だ。

もっとも、「バカ」はそんなことお構いなしであるが故に「バカ」なのだが。

また、本書も鵜呑みにしては「バカ」になってしまうという点。

これだけ滔々と「バカ」について語っておきながら、本書すらすべて正しいわけではない、ということを筆者自ら述べているのだ。

筆者が率先して「賢明」を体現しているというわけである。

そして、方法論になるが、文章の末尾に「~なんだよね。」「~だよね。」が時折現れる点も、個人的にはおもしろい。というか好き。

村岡花子訳、L・M・モンゴメリ作『赤毛のアン』に出てくるマシューの口ぐせ、「そうさな。」を思い出した。

この「そうさな。」に、マシューのやさしさや慎ましさが表れている。

他愛ない一言だが、特別なフレーズだと私は思う。

本書では意図的なものなのかもしれないが、この「~だよね。」にはそうした、人柄が出るというのか、親しみやすさがあって、引き込まれる。

「ひとりでも多くの方が「バカ」という状態から抜け出すことがあれば、これほど嬉しいことはない。」

(本文より引用)

「バカ」は人ではなく状態も表す。

「バカ」とは誰にでもスペクトラムにあるものかもしれない。

私は、「『バカ』から脱却するための第一歩」(本文より引用)を踏み出した。


#読書の秋2022 #バカの災厄

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