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モノ書きのかじりかけは、お茶など飲んで❻私のお値段

執筆のかたわらつらつらとゆる〜いノリで書いてる創作談義です。↓↓↓こちらがそのコンセプト。

話をnote はじめたばかりの頃に戻して(2年前になります)、あの頃は井の中の蛙MAXでこんなこと思ってました。

「読者が増えたら有料記事も書いてみようムフフ🐸」

note の特徴って記事を売れることだと思います。
もしかしたらもしかしてだけど、誰かが買ってくれたら自信にもなるし、次のステップにいけるんじゃないかと蛙は希望的観測に満ちていたのでした。

いきなり有料なんて誰も買うわけないから、よし、短編とか(2万字は短編の部類だと思っていた💧)書いて読んでもらおう!
そしてフォロワーさんが100になったら、有料記事も書くぞ!と。

でもいざnote の創作界を覗けば、まず自分の文章の下手さにビックリ!
無料で読める小説だって、プロが書いたと思うほど上手い人がいっぱいいた!

「ダメだこりゃ〜」

って早々に諦めて気まぐれ更新マンになりました。

でも考えてはみるのです。
自分の書く小説はいったいいくらだろうと。
お金に換算したらどれくらいの価値があるのか?

おそらく1円でも売れない。でも、1億でも売れない。

1円でも買い手はつかないでしょう。
でも1億出されても売るつもりはない。

天邪鬼だけどでもね、小説書きの中には同じこと考えている人もいるんじゃないかな?
はい、挙手願います!

いろんな方法で作品を金銭に換算はできると思うんですというか、世の中は金銭に置き換えることで回っていきます。
例えばプロの原稿料の相場や得たい収入が基準だったり、諸々の忖度の中で自分の値段が決まると思ってるんです。
でもね自分の値段は自分で決めたっていいんですよ。

だから、無名のド素人のへたくそのモノ書きは言います。

私の作品は1億でも“買う”ことはできません。

  えっ?どうしても?

じゃあねえ、1億提示してくれたら交渉のテーブルについてもいいですけどねえ(ドヤ顔)」

はい。だいぶ頭が沸いてますね。
でも、ほら、1億でも買えない作家ってよくなくないですか?

作品なんて自分の血肉で子どもも同然で、ほんとうの意味で値段なんてつけられないんです。
自分の分身みたいなものだから、いらんと言えばいらんのだけど、いくらだったら差し出しますか?と聞かれたら、最低一億でしょ。
例えば、朝露の輝きとか夕暮れの雲に値段がつけられないみたいな。
つまりそういうことです。


ところで、当初何となく目安にしていたフォロワーさん100人に近づいてきました。
始めて1、2ヶ月で100人とかいく人もいるわけですから、自分はよっぽどフォローされにくいんですかね。分かりますけど……。
それなのにしてくれる稀有な人は、仏の心をお持ちか、しつこくスキをつけられて「フォローくらいしとかないとストーカー化しそう」という防衛本能の強い方なのだと思います。(それでもありがとうございます!)
いえ、不満は微塵もないですよ。
誰も読まなくても書けるなってnote お休み中にわかったし、でも、読んでもらえたら嬉しいし、楽しい。そんな感じ。


で、もし100人になったら100円の記事を書こうかなーと思ったりもしてます。100繋がりで。(1億の話はどこに消えた!?)

でもそれより、100円サポートしてフォロワーさんの記事オススメ祭りをするのも楽しいな。
なんかしたいな。でも100人にいくのかな?1人来ると1人出ていく……このアカウントフォローは当番制なのか……(笑)

あと!あとですね、2年のうちにnote をさよならされる方も更新をストップされるかたもいまして、心配なんですよなんで書かないのかな、他に行ったのかなって。
だから去るときは言って下さい。さみしんぼからのお願いでした!







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