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のら庭っこ便り#001 「嫌われるもの」を、見る勇気。

のら庭(わたしの圃場のこと)で、「蛾(たぶん)」のさなぎを拾った。

そして帰り道に、60センチはあるロングアスパラを落とした。

2本並べてたら、自転車のカゴからスルリ。
しかも落としたのは、長い方。

どこかの小学生が拾って、「どうしてこんなものが道に…!?」
って、へんな童話のワンシーンみたいな、一生の思い出になってくれたことを祈るばかりである。

お店には絶対並ばない、巨大なアスパラは、次女は怖がって食べない。

正体不明の蛹も、「ギャーーー!!」って叫んで逃げてしまった。

残念だけど、あたりまえといえば、あたりまえ。

安全圏にあることが確実そうな「普通」ではないもの、

人間にとって病気やケガのリスクがあるもの、

風通しの悪いジメジメした場所を好んだり、命を土に返そうとする分解者の類のものから反射的に逃げたくなるのは、

生き続けようとする、生命として切り離せないニーズがそのねっこにあるのだ。

でもさ、それにしても、嫌われすぎだよね〜、と思う瞬間は多い。

そして、嫌いだったら排除しよう、って行動パターンはもったいないよな〜、とも思っている。

アブラムシの世界も、人間であることを忘れれば、美しい
( はず。)

だって、

「なぜ、わたしはこれが嫌いなんだろう?」

って、嫌われるものを見ることで、反応と世界の間に隙間ができて、

そこから開かれていく世界ってとても広いんだよね。

「嫌い」って反応は、自分の世界から危険を締め出して守ってくれるけど、

「嫌いの外側の世界」は思うよりずっと平和で、豊か。

思っているより美しく、

思っているよより面白い。

そういうわけで、とつぜん丁寧語になりますが、畑と虫の写真を載せるマガジン、「のら庭っこ(仮)」はじめます。

今日は入れませんでしたが、イモムシとか、クモも出ます。

嫌いな方、ごめんなさい…!

でも、もしゾッとしちゃっても、

むしろちょっとゾッとできたなら、

その健康的な反応を観察しながら、写真が見せる虫の世界に入って、自分が人間だってことを、忘れてみてもらえたらな、って思っています。

なぜって、

もしかしたら、人間としての反応がちょっとだけ他人事になって、反応と世界の隙間から、「嫌いの外側」の世界におでかけできる、かもしれないから。

「嫌われる勇気」で人生変わるらしいけど、「嫌われるものを見る勇気」でも、けっこう人生変わりますよ…?
(※ 個人の感想です。)

「のら庭」はうちの畑のこと。

パーマカルチャーの考え方を採用した混成栽培、不耕起の自然農的スタイルで育てるなか、収穫より観察が好きだし、その場に関係する存在のひとつとしてつながってるのがしっくりくるので、そう名づけました。「のら庭っこ」は、自分を含めた庭にいるいきものたちを指します。

タイトル(仮)ではじめるなって気もしますが、だってそれがWeb日記のいいところでしょ〜?ってことで。


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ゆっか
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。

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