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優しくて好かれる人。尽くしてもなめられる人。なめられたらアカンよ。

いつも相手に
気を遣っているのに
嫌われないよう
不快にさせないよう
人の役に立つように
頑張っているのに

なぜかいつも、なめられる。
なぜかいつも、
仕事が増えたり、
感謝もされない。。
損をしてる気がする。。。

憧れのあの人はいつも、優しくて、
人に好かれているのに。

どうして???

人のためにやっているのに、
いつも私ばっかり損な役回り。
結局自分が疲れてしまって
人間関係を終わらせたり。

なんだかいつも
この繰り返し。
ちょっと
人間関係に疲れてきたかも。

優しくて好かれる、、
あの人みたいになりたいのに。。。

あなたは、
こんな悩みを抱えていませんか?

自分が安心している

もしかするとこの現象を
引き起こしているのは、
あなたが「尽くすこと」
「何かをやってあげること」で

無意識に
自分が安心している。

もしくは「尽くすこと」
「何かをやってあげること」がないと
無意識に
あなたが「不安」になっている
のかもしれません。

実は優しくて好かれる
「あの人の優しさ」は、
・自己犠牲の優しさでは
ありません。
・自分の価値を
証明するための
優しさではありません。

結論から言います。

基本的に
自己肯定感を感じるのが
「誰かの役に立っている時だけ」の人は、
人の役にたったとしても
相手から
「あまり感謝されずなめられ」ます。

わかり易く言い換えると
「何もない自分では、
ここに居られない」
何かお役に立てないと、
自分には存在価値がない
」と
思ってる人は

基本的に
人の役にたったとしても
相手から
「感謝されず、なめられ」ます。


この記事では
なぜ尽くしているのに
報われないのか?という
「原因」と「その解決策」を
お伝えします。

報われない自分を手放し、
その対策ができるように
なってきます。

ではいったい
どうしたらいいのでしょうか?

自分の気持ちを優先する

何か人の役に立っていないと
「ここに居られない」と
感じることに気付いた方は

まずは、他人の為ではなく
「自分の気持ちや、
自分の感じることを
優先できる自分」に
なるということです。

でもこう言っているのも
よく聞きますよね。

しかし今まで自分を押し殺して、
「人の為に役に立たなければ」と
必死で頑張ってきた人たちには

「自分を優先する
ということが
どうゆうことか?」


ということも
わからないのです。

ただ覚えておいてください。

自分優先が
できるようになってくると
あなたの優しさが

「なめられたり」
「いいように使われたり」
「利用されたり」ということが
減っていきます。

そしてだんだんと
自分を大切にして
もっと自分を
優先できるように
なっていきます。

なぜ起こるのか?

この「誰かの役に立ってない」と

・「私はここに居られない」
・「自分は無価値なんだ」
・「自分は存在価値がない」
・「何かの役に立っていなければ
わたしは存在してはいけない」
・「何かの役に立たなければ
生きてはいけない」

という思い。


逆を言うと

「誰かの役に立ってると
思える時だけ
自分は生きていいと思える」

という感覚。

「誰かの役に立ってない自分」
には「価値がない」
「存在してはいけない」という思いが
無意識にあるのです。

この感覚の人は
「お世話をしたり」
「誰かの役に立っている」と
「生きてる感じ」がするのです。

いったいこの歪んだ認知、
無意識の感覚は
なぜ起きるのでしょうか?

他人優先にしてない?

なめられる人は基本的に
「自分より他者を優先」
してしまっています。

優しくて好かれる人は
自分を優先しています。

あなたの価値を証明するための
「人の役に立つこと」は
最初は感謝をされ
嬉しい気持ちに
なることもあるけれど、
だんだんと

相手が
「それが当たり前」のこと
として捉えられだします。

やってもやっても当たり前。

あなたは、
だんだん苦しくなって、

しんどくなってどんどん
疲れてしまいます。

「もうしんどい」「きつい」。

でも
「役に立ってないと、
私はここに居られない」と
思っているので

「尽くすこと」
「人の役に立つ自分でいること」は
やめられません。

やめたら自分は
存在価値をもらえないから。
生きていけないから。

そして、疲れはて、
人間関係を
終わらせてしまうのです。

当てはまると思った方も
いらっしゃるのでは
ないでしょうか?

「何かの役に立ってないと不安」
「役に立ってないと落ち着かない」

そんな感覚はありませんか?

さらに
「誰かの役に立ててない」時間があって
不安にさいなまれるぐらいなら、

「相手に利用され」
「なめられている」方が
むしろ安心するという感覚すら
無意識にあるのです。

原因は認知のゆがみ

これは幼少のころ
家族(親、母親、父親、お母さん、大人)の
役に立った時だけ
褒められる=存在を認めてもらえたり 

何もできなくても、
「そのままのあなたでいい」と
認められたことがなかったりと

「ありのままの
自分ではだめだ
というような環境」で
育った人が
陥りやすい傾向があります。
(※子供の勘違い、
親の伝え下手の場合も
ありますが。)

家族の面倒を
見るしかなかった人も
いるでしょう。

頑張って
認めてもらおうとしたけど
全く褒められなかった人も
いるでしょう。

お兄ちゃん、
お姉ちゃんだからと、
「エライ」自分を
頑張ってしまった人も
いるでしょう。

我慢するとえらい。
いい子でいるとえらい。
お手伝いをするとえらい。
もしくは
何をしても全く褒められない。

「いい子で」「エライ」、
それ以外は
存在してはいけない、
自分は「役にたたないと
価値がない」という
認知のゆがみ
できあがるのです。

役に立ってない自分のポジションは
不安でしかないのです。
「役に立っている時は
生きてていい。」
でも、それがないと、

「自分の生存価値」まで
脅かされている
気になるのです。
不安で仕方ないですよね。

その裏には
お母さんや、お父さん、
家族や、大人の
「期待に応えられなかった
価値のない私」という罪悪感

なので、
一定のグループ、
コミュニティの中でも

「役に立たないと落ち着かない」。
「ただいるだけでは不安になる」。

という現象が
無意識に起こってきます。

言葉を変えてみる

とはいえ、
なかなか、いままでの
「他人優先」から
「自分優先」にするのは
難しいですよね。

斎藤一人さんは
「なめたらあかん!
なめられたらあかん!」と
言ってました。

まずは、
言葉を変えてみるのも
いいかもしれません。

朝起きたら
「なめたらあかん!
なめられたらあかん!」
寝る前に
「なめたらあかん!
なめられたらあかん!」

自分の細胞が覚えこんで、
なじむまで
言ってみてください。

言葉の力を
「なめたらあかん」ですよw。

さらに人に尽くしたのに
「なめらる」のは
あなたの行動、自己犠牲が
相手にとって「当たり前」
なっているからです。

もしかしたら
「なめられるよう」にしているのは
実はあなた自身かもしれない
振返ってみてください。


自己犠牲をやめるための3つのステップ

ステップ1:
もしかしたら、
「役に立ってないと、
不安になっていたのかも」と
気付くこと。

ステップ2:
自分を○○さんとし、
○○さんのお役に立つには
何をしたらいいかな?と
第三者滴視点で見てみる。
自分の為に時間を遣おう。

ステップ3:怖くてもやってみる。
心屋では
怖くてもやってみる
ということをしていました。

「怖いからできないんじゃないか」と
思われるかもしれませんが、
意外と怖いことを
やってみると

崖から海に
飛び込むつもりでいたのに
あっさり足がつく浅瀬で
大丈夫だったりするのです。

体感は一番早く変われるので、
おすすめです。

まとめ

なめられる人は

・「尽くすこと」に
自分が安心している。
・「尽くさない」と
自分が不安になる。
・なめられる人は
他者を優先している
・原因は幼いころの
環境も大きい
・自分の認知の歪みを知る。
・言葉を変える
・怖いことをやってみる

以上、
なぜ尽くしているのに
報われないのか?
「原因」と「その解決策」でした。

自分を見つめて安定した精神を
手に入れていきましょう。

人は気づけば
いつからでも変われます。

あなただけじゃない。
あなた一人じゃない。

知識は人生の盾であり矛である。

あなたの歩いた道が幸せの道でありますように。
ではまたっ。

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