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〈生態系としての科学〉あるいは、たたみ切れない大風呂敷

書評:佐倉統『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』(ブルーバックス・講談社)

「科学とはなにか」というタイトルを目にして、多くの読者は、本書を「科学の本質」を語った本だと思うのではないだろうか。少なくとも私はそう思って手に取ったのだが、結論としては、そういうタイプの本ではなかった。
むしろ、そういうオーソドックスなタイプではない点において、本書は、サブタイトルにある「新しい科学論」であり、「いま必要な三つの視点」を提示した作品なのである。

著者は、「抽象論」や「本質論」的なものではなく、科学をその「実態」に即して描き出そうとしている。
当然そうなると、科学は、「これである」といった言い方では規定できず、多面性を持って「生きて変化する運動体」として描き出されることになり、そうした著者の視点から、科学は一種の「生態系」だということになる。

先行のレビュアー「無気力」氏が紹介しているように、本書は『まずは具体的な科学技術の話題を取り上げた上で方法論は最後に配置し、本書の振り返りとして使う』という構成を採っており、紹介されるエピソードはそれなりに興味深いものの、著者が何を言わんとしているのか、いささか捉えどころがなく、散漫な印象が否めない。

著者は、本書各章の冒頭に、アガサ・クリスティーのミステリ小説から、その章のテーマを象徴するような文章を、エピグラフとして掲げる、という意匠を凝らしているが、本書の構成は、たぶん意図せずに「ある種のミステリ」に似たものになっている。

「科学」をめぐる興味深いエピソードが、時空を超えて次々と語られていく。それは一見して、科学のいろんな側面を多面的に紹介しているだけとも見え、著者の「選択基準」が、今ひとつハッキリしない。なんとなく「科学史」エッセイの本でも読まされているような感じで、作者のねらいがいまひとつ判然としない。一一喩えて言えば、「動機」の判然としない「不連続殺人事件」のような印象なのだ。

しかし、最終章で、著者の意図が語られ、見えにくかった「著者の描いた構図」が読者に与えられて「ああ、そういうことだったのか」という、霧の晴れるようなカタルシスを得ることができる。一一そんな作品になるはずだったのだが、残念ながら本書における最後の「謎解き」は、名探偵のそれのような鋭さを持つには至らなかった。

もちろん、著者の意図は、「科学」の理念や理想にはなく、いまここに生きて在るものとしての「科学」であり、私たちはそれをいかにして生かすべきなのかという現実面に力点が置かれているために、きれいに「パッケージされた科学」にはならなかったのであろう。
だが、やはり書き方を誤ったとしか思えない。
現実にコミットするのであれば、もっと違った書き方にすべきではなかったか。

著者の主張は間違ってはいないと思う。しかし、読む者に訴える力が弱いというのは、「文章」作品として致命的なのではないだろうか。

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初出:2020年12月28日「Amazonレビュー」