ジョーダン・ピール監督 『NOPE/ノープ』 : 正統派〈モンスター映画〉+α
映画評:ジョーダン・ピール監督『NOPE/ノープ』
とても面白かった。満足した。
私の好きなパターンの「モンスター映画」で、「モンスター」をハッキリと映像として見せてくれ、それでいて、生々しい存在感や臨場感があるのだ。
「空を見上げる習慣をつけたら、いつかこんなのが見られるんじゃないか」と思ってしまうようなリアリティーがあった。
「空飛ぶ円盤」動画が好きな人には、強くオススメの傑作エンタメである。
(※ 以下、この映画においてはそれほど重要な要素ではないものの、一部ネタを割りますので、未鑑賞の方はご注意ください)
さて、上の(私の)文章を読んで、引っ掛かりを覚えた人がいたはずだ。
そんなあなたは、全く正しい。引っ掛かりを覚えなかった人は、もう少し注意深く文章を読む習慣をつけるべきである。
どこに引っ掛かりを覚えるべきなのか。それは、「モンスター映画」と「空飛ぶ円盤」である。
この映画は、公開前宣伝において「UFO(未確認飛行物体)もの」であることを強く臭わせているので、多くの人はそのつもりでこの映画を観に行くはずだ。「UFOが襲ってくる映画なんだな」と。
この理解は、半分正しくて、半分はたぶん間違っているはずだ。
「半分正しい」というのは「UFOが襲ってくる映画」という点で、この映画はまさにそのとおりの作品だ。
だが、私たちは「UFO」というと、おおむね「宇宙人(異星人)の飛行機械」というように理解しているはずなのだが、正確には、「UFO」とは「未確認飛行物体」のことであって、「宇宙人(異星人)の飛行機械」である必要はない。
例えば、「国籍不明の航空機」なんてのも広義の「UFO」であれば、「ラドン」や「ギャオス」だって、巨大生物だと確認されるまでは「UFO」だったはずである。
そして、本作に登場する「UFO」も、そういった意味での「UFO」であって、「宇宙人(異星人)の飛行機械」や、その意味での「空飛ぶ円盤」などではない。つまり、「正体不明の飛行機械」ではなく、じつは「飛行生物」だったのだ。だから「モンスター」なのである。
このモンスターは、当初「空飛ぶ円盤」そっくりの形態で登場する。だから、視覚的には「空飛ぶ円盤」としての存在感を楽しませてくれる。
だが、映画の半ば手前で、主人公兄妹の兄は、この「UFO」が、「機械的な飛行物体」ではなく、非常に「動物的」な、つまり、ウマやクマといった「動物(高等哺乳類)」によく似た性質を持つ「空飛ぶ生物」だと気づく。そして、その習性を突くことで、最後は、正統派「モンスター映画」らしく、モンスターを退治することに成功するのである。
したがって、この映画は、前半では「空飛ぶ円盤」的な存在のリアリティーを楽しませてくれ、後半では「空飛ぶ宇宙怪獣」との戦いを楽しませてくれる、一粒で二度美味しい「モンスター映画」だと言えるだろう。
このような意味で、この映画は、エンタメとして面白く、特に「空飛ぶ円盤」好きの方には、是非ともオススメしたい作品なのだ。
○ ○ ○
だが、この作品には、いくつか「不協和音」の感じられる部分があった。
その部分が、特にマイナスになるわけではないから、気にする必要もないのだが、「この映画は、どんな評価を受けているのだろう? 私と同様に、娯楽作品として絶賛されているのだろうか?」と思って、少しネット検索してみたところ、いくつかの優れた『NOPE』解説文を見つけた。例えば、下のものなどもそうだ。
・映画『NOPEノープ』ネタバレ考察・聖書とチンパンジーと靴の意味,ラストあらすじ解説・感想
(https://cinemag-eiga.com/entry/nope/)
(「CineMag☆映画・海外ドラマのネタバレ考察・感想」より)
本作で、私が引っかかったのは、例えば、登場人物の一人の過去エピソードとして描かれる、「猿による惨劇」などがある。
主人公兄妹の兄は、ハリウッドに映画撮影用の馬を提供している牧場経営者なのだが、彼と付き合いのある「ウエスタン・ショー」の経営者の男性は、かつて人気を博したホームコメディーのテレビドラマに出演していた、元・子役だった。
このドラマには、チンパンジーが家族の一員としてレギュラー出演していたのだが、ドラマの中の子供の誕生日パーティーのシーンで、風船の爆発音に驚いた猿が大暴れをし、出演者に大けがを負わせるという事故があった。幸い、子役の彼は、難を逃れたのだが、その記憶は今でもトラウマになっている。
で、本作『NOPE/ノープ』の中では、主人公・兄によって「そう言えば、あれからハリウッドでは猿を使わなくなったんだよな」と語られ、この事件が、実際にあったことのようにほのめかされる。
そう言えば、私が幼い頃には、人間が一切登場しない、チンパンジーだけの私立探偵コメディ「チンパン探偵ムッシュバラバラ」というアメリカ製のドラマが日本でも放送され、私も楽しく視ていた。
近年、ああいうものをすっかり見なくなったのだが、はたして、この映画の主人公が語るような、猿をめぐる事故でもあったのだろうか?
一一実は、それが、あったのだ。
映画の中のような、ドラマ撮影中の事故ではなく、ドラマ出演用に猿の調教をしていた調教師の女性が、ある時、猿に襲われて大けがをするという事故があったようで、それもあって、映画やテレビドラマで、猿を使うことがなくなったようなのである。
実際、この『NOPE/ノープ』に登場するチンパンジーは、よくできたCGであった。
で、問題は、これが、この「空飛ぶ円盤モンスター映画」と、何の関係があるのか、ということだ。
他にも、「主人公兄妹の先祖が、ハリウッド映画のひとつの原点にあたると言っても良い、無名の黒人スタントマンであった」という「設定」や、映画の冒頭あたりの映画撮影所シーンで、主人公・兄が馬を連れてスタジオ入りしているのだが、映画関係者が馬への配慮を欠くために主人公・兄は不機嫌だし、スタッフが馬に蹴られるという軽い事故が起こってしまうシーンもある。
これも、問題は、このシーンが、この「空飛ぶ円盤モンスター映画」と、何の関係があるのか、ということになる。
また、前述の「ウエスタン・ショー」で、客席に、顔の前面にベール(薄布)のついた帽子をかぶって、顔を隠している上品そうな女性が一人いて、この元・子役の経営者が「UFOショー」を始めるの当たって、この女性を、他の一般客たちに「われらが〇〇〇〇」(紹介の文言は、ハッキリと記憶していない)と、簡単にだが特別扱いで紹介する。そして、ショーがいよいよ動き出したところで、本当にくだんの「UFO」に襲われ、ショーの関係者と観客は全員、「UFO」に吸い上げられ、下面の開口部から食われてしまう、というシーンがあった。
この、「UFO」による「ウエスタン・ショー」襲撃のシーンで、「UFO」の巻き起こした風により、顔を隠した女性のベールがめくれ上がり、その下から、歯ぐきがむき出しになった、恐ろしい顔が一瞬覗くというカットがあったのだ。
これもまた、問題は、このカットが、この「空飛ぶ円盤モンスター映画」と、何の関係があるのか、である。
他には、主人公・妹が、電動バイクで「UFO」から逃げるシーンで、「バイクを横滑りさせて停止させる」カットがあったが「どこかで見たことがある」ようだとか、それまで、円盤型であった「UFO」が、後半の決戦シーンでは、なぜか「幾何学的な蛸(あるいは、複雑な凧)」のようなかたちに変形するのだが、映画的にも、映画内的にも「そんな(変形の)必然性があったのか」といった「疑問」が、チラと脳裏をかすめた。
つまり、この映画は、基本的に「とても面白いモンスター映画」なのだが、なぜ「こんなエピソード」を挟み込んでいるのだろうとか、あまり必然性があるとは思えない「見せ方」をしている部分があって、そうした部分に、私は若干の「引っ掛かり」を覚えたのである。
○ ○ ○
で、結論から言ってしまうと、このジョーダン・ピールという黒人映画監督は、これまでにも『ゲット・アウト』(2017年)や『アス』(2019年)といった「社会派的なテーマを込めた、ホラー映画」を撮ってきた人であり、この2作ほど前面には出さないものの、本作にも「社会派的テーマ」を込めていた、ということだったのだ。
だが、その「説明」が十分ではなかったために、「あれは何だったんだろう?」ということになってしまっていたのである。
本作『NOPE/ノープ』に込められた「社会派的テーマ」とは、(1)黒人差別、(2)面白さ優先による動物の虐待的な扱い、といったことだ(これまで、映画のために、どれほど多くの動物が無残に殺されてきたことか。感動作『かもめのジョナサン』では、良いシーンを撮るために、カモメが何十羽も殺されたのは有名な話である)。
要は、ハリウッドの通例である「面白い絵さえ撮れるなら何でもありという、傲慢な人間中心主義による、動物虐待的態度」とは違って、本作主人公・兄は、映画のための馬を育て調教しているとはいえ、動物の習性を尊重して、大切な仲間として遇しており、だからこそ、「UFO」が「動物」の一種であるということに気づき、その弱点を突くこともできた、というわけなのだ。
また、「ウェスタン・ショー」の「異貌の女性客」の「謎」は、彼女が、かつて事故を起こした「テレビドラマ」の「母親役の女優」か「猿の調教師」だったことを暗示している。元・子役の「ウエスタン・ショー」の経営者とは、そういう古い関係であり、彼女の無残な顔は、猿にやられた傷だったのだ。
で、この「ウェスタン・ショー」で、どうして「UFOショー」をやっていたのかというと、この元・子役の経営者も、何度か「UFO」を目撃しており、それをショーに利用できると考えたからだった。
だが、動物である「UFO」を無用に挑発して見世物にしようとした結果、全員「UFO」に食われてしまうという、言うなればこれは、彼が子供の頃に経験した「猿による惨劇」の再演だったのである。
あと、私が引っ掛かった「バイクの横滑り停止」は、大友克洋監督のアニメ映画『AKIRA』の「金田バイク」による有名シーンへのオマージュであり、「円盤生物の、幾何学的な蛸様形態への変形」は、『新世紀エヴァンゲリオン』へのオマージュであり「使徒」を意識したものだった。
一一こう「説明」されれば、「なるほどね」というものだったのである。
○ ○ ○
だが、問題は、「社会派的なテーマ」の挿入にしろ、「先行作品へのオマージュ」にしろ、ほとんど「おまけ」のようなものでしかなく、無くても全然困らない、言うなれば「必然性のない構成要素」でしかなかった点だ。
ピール監督としては、今回は「モンスター映画」が撮りたかったのだろう。だが、やはり、何らかの「メッセージ」も込めたかった。だから、ひととおりの理屈をつけて、この映画にも「社会的メッセージ」を盛り込んだ。
しかし、そこに組み込まれた「メッセージ」は、「先行作品へのオマージュ」と同じで、1本の映画として「必要のある、必然的な構成要素」ではなく、「あっても困らないし、事情通には、それなりにニヤリとさせられる要素」でしかなかった。
「ハリウッドの問題点」や「ピール監督の作家性」を知っている「映画マニア」なら、そうしたシーンやカットを取り上げて「実は、このシーンには、こういう意味が込められているんだよ」と、オタク的な説明することもでき、自慢話のネタにもできるといった、所詮はその程度のものでしかない。
ただ、そうではない一般の観客、単に「UFO映画を観にいった人」たちにとっては、「小島よしお」ではないけれど、それこそ「そんなの関係ねぇ!」ということにしかならないのである。
(※ 私の愛蔵するUFO写真集。合成でも「らしさ」が楽しい)
したがって、本作『NOPE/ノープ』に見ることのできるジョーダン・ピール監督の難点とは、「内容と形式の不整合」だと言えるだろう。たしかに「つじつま」は合わされているから「不整合」というのは言い過ぎかもしれない。いちおう最低限の「整合性」は担保されているのである。
だが、「整合性が担保されている(だけ)」というのと「内容と形式が、必然性をもって緊密に一体化している」というのでは、内容的に「雲泥の差がある」というのは言うまでもない。
それは、「単なる正論(きれいごと)」と「正しい意見」の違いと言っても良いし、「小理屈」と「明晰な論理(ロジック)」の差だと言っても良いだろう。
かつて「新左翼セクトのイデオローグ」だった、作家で評論家の笠井潔は、セクトの仲間の前で「理屈なら、どうとでもつけられる」と放言して顰蹙を買ったという過去を語っていたが、本作における「テーマ性」というのも、そのレベルのものでしかない。
「お説ごもっとも」ではあるのだが、「それを、こんな映画で語る必要があるのか?」「それが語りたいのであれば、そのテーマに合致した作品で、それをやるべきではないのか」という「理屈」の方が、およそ「正論」でもあれば「健全」なものなのである。
(2022年8月30日)
○ ○ ○
● ● ●
・
・