他人への恐怖心 ー自己肯定感だだ下がりのループー

 自己紹介とか書いてなかったけど、投稿は自分自身についてのアウトプットが主になるであろうということで、自己紹介いらないよねって思いました。

 今回は私の永遠の問題である自己肯定感について書いていきます。その中でも、自己肯定感下落の主な原因である、自身の社交性について書いていきます。23歳社会人、今でも店員さんとか苦手です。

人見知りと言われ続けた子ども時代

 2歳児の私は母親曰く「陽気な子」だったらしい。親戚のお葬式では、木魚のリズムに合わせて人目もはばからずお尻を振り振りさせていたという。不謹慎かもしれないが、2歳児のやることなので大目に見てほしい。しかし4歳頃になって、ものごころがつく頃には人見知りが激しくなっていた。この、「ものごころ」がついたことによって、私の対人に関するネガティブライフが始まったのである。

 近所のおばちゃんに挨拶ができない、幼稚園ではみんなの輪の中に入っていけない、親戚の集まりがあっても自分だけ圧倒的に口数が少ない。そのせいで親や周囲からは内気な子、人見知りが激しい、内弁慶、とさんざん言われてきた。小さいうちは人見知りの一言で大目に見てもらえるが、小学校高学年からはそうもいかなくなった。親にはそのことでため息をつかれ、特に親戚の集まりの時にはあからさまに嫌な顔をされ、大きな声で挨拶するように口すっぱく言われ続けたものだった。

 私自身、最近までそこに疑問を特には抱いていなかった。ただの人見知り、恥ずかしがっていただけ、とそんな風にしか思っていなかったから。

 でも、実際はそれだけじゃなかったと思う。幼いながらその人たちに内在する恐怖をも確かに感じ取っていた。大人になった今、幼い頃の自分を冷静にい返してみると、表情、声色、そういったものにはこの頃から敏感になる質であったと記憶している。

 ものごころがついているということは、人の感情もしっかり感じ取れるようになったということだ。幼い私は、近所のおばちゃんや親戚の人たちを異様に怖がっていたことが強烈に思い出される。

自己主張をしなさいと言われ続けた中学時代

 中学生の頃、通信簿を渡されるたびに先生から必ず言われたのが、「寝まさんはもっと自己主張をしましょう」だった。学生の頃の私は、その日1日を無事に自分が傷つかずに過ごすことで頭がいっぱいいっぱいだった。様々な性格の人間がランダムに集められ、時には強制的に協力体制を取らされる。これほど怖いことなんてない。成長途中の10代、心が未熟な集団の中で過ごすのは酷だ。大人みたいにじんわり滲ませるどころか、彼らはダイレクトに他者への嫌悪感や悪意を向けてくる。 

 そういうわけで、学校という場は不安要素の塊だったから、ほかの子みたいに安心しきった顔で過ごすことができなかった。自己主張をしようもんなら傷つく羽目になる、と当時の自分は考えていただろう。

自己肯定感、右肩下がり

 こんな性格のせいで、自己肯定感を著しく低下させていくことは数えきれないくらいあった。その中で1つの事例を恥を忍んで紹介する。

 大学在学中に自動車教習所へ通った時のことである。多くの人が免許を取得しているのだから、もちろん私だって取れるだろうと思っていた。通う前から確かにそこには強い恐怖心があったけれど。

 結果、リタイアしてしまった。事前に支払っていた高額の教習代を半分くらい無駄にしたのだ。お金は全額親から負担してもらっていた。

 リタイアした理由は、教官が怖かったから。でも、特別怒鳴られたわけでもなく、おそらく人並みの指導だったと思う。それでも思詰めるほどに苦しかった。教官の顔、声色、雰囲気、そういったものから放たれるネガティブな感情を、車の中という閉鎖空間でもろに感じ取り、辟易してしまった。

 大多数の人がやってのけていることが自分にはできなかった。なんて自分は無能なんだろう。こんな具合に自分を責めたて、私という人間は出来損ないであると確信していった。

 引っ越しの手続きも、何かの手続きも、全く知らない他人と関わることにおいてはなにもかも怖かった。母親に電話で相談すると、電話の向こう側で父親の怒鳴り声が聞こえた。どうしても苦手なんだと伝えると、今まで甘やかしすぎたお母さんが悪かったよ、と言われた。なぜ多くの人が普通にやってのけることが私には困難に思えるのだろうか。やはり甘えなのだろうか。

 とにかく自分のことがとことん嫌いになり、無能無能と自分を洗脳していったように思う。自信もなくなり、自分の言動ひとつひとつが頼りなかった。だから行動にも移さず、その場で足踏みをして、他人がどんどん得をしていくのを指をくわえて見ているしかなっかた。自己肯定感だだ下がりのループである。


まって、思ったより暗い投稿になりそう。それはそれで怖いわ。

HSPという気質の存在を知る

 HSPという言葉を最近耳にする。自身も去年その存在を知った。HSPはハイリーセンシティブパーソンの略で、直訳すると「非常に敏感な人」という意味になる。具体的な説明は省くけど、とにかく外からの様々な刺激を敏感に受け取る気質を持っている人のことを指すらしい。病気ではない。

 おそらく私はこれなんだと思う。この異様なまでの他人への恐怖はこの気質のせいなんだ、と思ったら多少は楽になった。単に自分の能力が低いのではなく、敏感な分受けるダメージが多かったということだろう。もちろんここで言いたいのは、敏感な乙女なんだから優くして!という話ではない。

どこからが甘えか

 私はHSPだから、と何かにつけ心で唱え、できないことに開き直るのは違う。その気質の存在に依存し、行動を免除してもらおうとするのは正直ダサい。でも、できないことに対して過剰に悲観することでもないのだと、最近は少しだけ思うようになった。そんなこと全然問題じゃないよ!という、いつもなら気休めにしか思えないポジティブな考え方を裏付けてくれる存在、という程度の認識だ。

 でも、頭では先述したように考えようとするのだけれど、そうも簡単に割り切れないことが多い。HSPの存在を知る前では、なんとか頑張るしかない!と搾りかす程度の覇気を持って立ち向かっていた物事も、知った後ではその気質を持っていることを意識し、逃げたり周囲に助けを求めたりしたくなる。そもそも、診断をされたわけでもないのだ。そういう気質の人間なんだ、と自己判断を下した時点でもしかしたら甘えなのかもしれない。そう考えだしたら、自己肯定感だだ下がりのループから抜け出せないのだ。

 ごめん、ハッピーエンドで終えられなかった。

 

 


 




 


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