大人になるということ
31回目の誕生日を数ヶ月前に迎えて以来、「大人」について考える時間が増えた。
去年30歳になったときにすごくnew chapterな気がして、新しい自分になりたくて、この一年はこれまでやりたいと思っていたことを何でも挑戦しようと決めていた。お茶を始め、憧れのモロッコに飛び立ち、久しぶりのマラソン出場も叶えた。仕事は相変わらず忙しいけれど、働いている以外の時間にもフルパワーで向き合うようになったらなぜか仕事のモーターもより力強く回り始めた。喜ばれるか嫌われるかとかじゃなくて一番貴女らしい方法をいつも選んで、としつこく言い聞かせてくれる友達ができた。
向き合いたくなかった自分の嫌なところも、時間がかかったけれどようやく全部ひっくるめて抱きしめてやれるようになってきた。
「早く“わたし”になりたい」と呪文のように呟き続けていたこの10年に区切りがついたかのように、間違いなく“わたし”の輪郭が鮮明になり始めたのがこの一年だった。30代、いい感じに走り出してる。
一方で、31歳にもなって未だに「大人になったら」なんて言ったりもするから不思議だ。自分のことを子供だと思っているわけではないけれど、まだ胸を張って自らを大人と呼べるほど成熟できていないのは確かで、大人でもない何か、どこか至らぬ場所にいる感覚は思いのほか長く続いている。
もしかしたら幼い頃に「大人」だと思っていた完璧な存在はただの虚像で、「大人」になった我々の精神はまだ全く完成されたものではないが、ゆっくりと続くグラデーションの向こう側を目指すようなイメージで今も引き続き同じ名称で呼んでいるだけなのかもしれない。大人になったら自己が確立するのか、自己が確立したら「大人」になるのか。どちらでもよいけれど、何度だって言うぞ、わたしは早くわたしになりたい。
31歳の目標
・静 / 動 の切り替え
・姿勢を正す
・会いたいと思った人に会いに行く
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ところで先日、甥っ子(4歳)と遊んでいたらおもむろに「ゆうこちゃんって、おとなだったの?」と驚いたような顔で訊ねられた。今まで何だと思ってたんだわたしのことを!可愛すぎる!!一緒に遊ぶことの多い、身体の大きなおともだち?彼は何をきっかけにして、ゆうこちゃんはもしや大人なのではないかと気がついたのだろう。