31回目の誕生日を数ヶ月前に迎えて以来、「大人」について考える時間が増えた。 去年30歳になったときにすごくnew chapterな気がして、新しい自分になりたくて、この一年はこれまでやりたいと思っていたことを何でも挑戦しようと決めていた。お茶を始め、憧れのモロッコに飛び立ち、久しぶりのマラソン出場も叶えた。仕事は相変わらず忙しいけれど、働いている以外の時間にもフルパワーで向き合うようになったらなぜか仕事のモーターもより力強く回り始めた。喜ばれるか嫌われるかとかじゃなくて一
高校生の頃、父が急にiPod shuffleを買ってくれたことがあった。普段は娘にあれもこれも禁止してばかりの父親だったけれど、時々なにか特別なものを買い与えたくなるところがあるらしい。 音楽は好きだったので嬉しかった。ピンク色のちいさな本体はクリップ状になっていて、いろんなところへくっつけられてとても便利だった。 時を同じくして友達に勧められたYUKI、キラキラした特別な女の子が詩と音楽に編み出されて具現化されたようですぐにハマり、通学中に延々聴いていた。高校は丘の上にあ
この春は法要と長めの家族時間で熊本に帰って来ていた。育ちは名古屋だけど、生まれたのは熊本城のふもとなんですって説明するのわりと気に入ってて何回でも言いたくなってしまう。お城のすぐ下で生まれたんです、わたし。ふふ 初めて水前寺公園に来たのがちょうど一年前に祖父を見送る頃だったのと(何度も熊本に来ていたのにほとんど観光したことがなかった)、祖父が最期の時間を過ごした住まいが水前寺公園近辺だったこともあり、ここに来るとなんとなく祖父に会いに来た気持ちになる。 もっとも、せっかちだ
日サロに通いたいとずっと思っている。 元々肌が白くて不健康そうに見えるのがコンプレックスで、放っておくともはや「顔面蒼白」という感じで生きている。世界の全てに絶望していた中高生の頃は何もかもが嫌になって保健室へ行くと毎日顔色が悪いのでまず体調不良を疑われなかったし、新婚旅行のハワイでは一週間肩を出して過ごしても境界線すらつかなかった。 羨ましく聞こえるかもしれないけれど至って真面目に悩んでいて、周囲が地肌よりワントーン明るいファンデーションを選びがちな中、わたしはツートーン
なにもかも一人っきりでやり遂げなくてはいけない、はやく強くなりたい、「自立」したい、と焦燥感に駆られている時期がずいぶんと長かったけれど、他人との協力、依存関係を成功させることこそが自立だという言葉に出会ってからは少し肩の荷が降りたように思う。周囲と支え合える関係を築こうと視点を変えてみると、不思議なことに社会の中でなんだかすっぽりと収まることのできる居場所を得たような感覚がある。あれだけひとりぼっちだと思っていたのにね、自分で自分を隔離させていただけなのかもしれないね。
一人っきりになりたい気持ちと誰かに優しくされたい寄り掛かりたい気持ちがごちゃまぜで、毎日泣いて暮らしている。赤ちゃんかよ。(元気があるときは踊ったりもしてる) 「おうちでなにもしない」の時間も大事だけど、ある程度はお外に出て誰かと話さないと抱え込みまくって絶対にヤバいと思い、安心できる&パワーをもらえるいろんな人にできる限り会いに行って最近のできごとを共有し合ったり、お仕事や人生についてぽつりぽつりと相談したり。日光に当たったり風を浴びたりするのもけっこう重要ポイントらしい。
仕事、自己の整合性が取れず苦しすぎるのに人前では明るく振る舞ってしまう自分に心が追いつかないので、溜まりまくった有給を使って長い春休みをもらうことにした。 春休み中にわたしと会う約束をしてくれたフレンズには感謝でいっぱいです。なるべくゆるゆる楽しく過ごすぞ〜! もう一年もポッキリ心が折れたまま、何度修復を試みてもうまくいかず、些細なことで涙が溢れてばかりの毎日だった。新しい組織作りのアレコレによって与えられたポジションとは相性が悪く、ミッションも永遠に腹落ちしない。「じゃあ
東京で身を削って働くワーカホリック系イベントプロデューサー(営業職)が、仕事において完全に自分の波をつかみおそらく過去最も活躍できたであろうドンピシャのタイミングでコロナに直面し、イベント業、ひいては広告業に携わっていることの社会的な罪悪感(人が集まる場所を作ってはいけない世の中で、所属する会社の営業職としては第一線で何とか仕事を、売上を生み出さないといけないという板挟みの状況)(個人の抱いた感情です)に苛まれた約一年間の回想録と、自分がなぜこんな業界に飛び込んだのかを振り返
最近、自己のuniquenessについて考えることが多々あり、どう在れば「わたし」が最大限に本質を発揮できるのか試行錯誤の日々が続く。 メモ書きのままずうっとほったらかしていた、半年ほど前に観てきた「ル・コルビジェによるチャンディーガルの家具と前川國男による紀伊国屋書店の家具から、1945年前後の日本のデザイン史を探る展覧会」の備忘録。 静かなワンルームのギャラリーに入ると、展示品であるコルビジェが当時の首相ジャワハル・ネルーのためにデザインした机に座るよう案内され(いいの
3月の半ばから、パーソナルトレーニングと栄養士のマンツーマン指導付き糖質制限を始めた。脚は瞬く間に細くなり(当社比)、みるみるうちにくびれが生まれ(当社比)、体脂肪率に至っては5%も落ちた。一方、かなり期待していたのにもかかわらず未だに腹筋の縦線は現れない。へそを出せるようになるのはいつですか。 始めてすぐのころは低血糖で起き上がれなくなったりしていたけれど、途中から自主チートデイと称してこっそりパンをつまみ食いしたりするようにもなり、罪悪感と闘いながら健康的な食事の概念を毎
何をそんなに悩んでるのかわからないけどずっと暗くて狭い窓のない部屋をぐるぐる回ってる感じがする。だんだん部屋に水が溜まってきてもうすぐ首のところ。夜になると次の日がやってくるのが憂鬱で眠れなくなって気付いたらそのまま朝になる。何もないのに急に泣きそうになる。日の光と暖かい風を浴びているときだけ少しまともな人間に戻れるので、せっせと外を歩く。ほんとうはドロドロに溶けてしまいそうなのに、人間の形を保って生きていてえらい。 前世はきっと、水害で死んだのだとずっと思っていた。小さな
この一年、最も印象的だった出来事といえば「ハナマル」が我が家に来たことだろう。ハナマルというのは、わたしが2020年の12月に購入したシトロエン・C3のキャラメルエディションという特別仕様車に付けた名前である。 昔から、いつか柴犬を飼おう、そのときは「花まる」という名前をつけて、何をするにも「えらいぞ〜〜!花まる!!!」とわしゃわしゃ撫でくりまわそうと思っていたのだが、柴犬を飼うより早くマイカーを買ってしまったので、より大切に可愛がるためにもハナマルという名前を先にクルマのほ
「第一次世界大戦は化学者の戦争であり、第二次世界大戦は物理学者の戦争だった(中略)第三次世界大戦が起こるとすれば、それはーー」 未知の感染症に困惑しながらも小さな部屋に閉じ籠って生活しようと腹を括り、これまで何気なく摂取していた膨大な量の情報や他愛ないコミュニケーションの激減にかなり精神をやられていたのはもう一ヶ月も前のことだ。(気が狂いかけていた) 今はもう、日常のアップデートを少しずつ受け入れ始めて、食材が余るのを気にせず買い物ができることの「自由」だとか、会話する場や